松山ケンイチと「クマ駆除」の茶番構造

「Hunterーなぜ駆除が必要なのかー」

狩猟そのものは否定しない

まず断っておきたいのは、私は狩猟という営みそのものを全否定するつもりはありません。
人と自然が共に生きるために、命をいただきながら循環の中で暮らすことは、本来は人間にとって大切な知恵です。

しかし、利権の犠牲を正当化するための狩猟には強い疑問を抱かざるを得ません。

松山ケンイチという「語り部」

松山ケンイチは「シカ肉が美味しかったから狩猟を始めた」と語っています。
動機が単純であること自体は悪くないでしょう。けれど、いま彼の姿は「再エネで森を削り→クマを追い出し→駆除を正義にすり替える茶番」の語り部として担ぎ出されているようにしか見えません。

彼のYouTube動画は「クマ駆除の必要性」をわざとらしく訴える構成になっており、利権の臭いが漂います。

数字が示す矛盾

「クマがかぼちゃを食った」「電気柵を潜った」と言う。
しかし、冷静に数字を見ればその主張の脆さは明らかです。

  • 日本の食品ロスは年間約4兆円

  • 一方で野生鳥獣による農作物被害額は164億円

  • そのうちクマによる被害はわずか7億円程度

果たして、これほど桁違いの差がある中で、クマの命を奪うことが「正義」だと胸を張れるのでしょうか。

奪われた雌グマの命

松山の動画では、畑に出没した雌グマ(3歳・70kg)が撃たれ、その命が絶たれました。
最期の息が残る熊に向けて、松山はこう言ったのです。

「まだ生きてるじゃん」

生きていることは罪なのか。
返り血を浴びて満足したのか。

そう問いかけずにはいられません。

本当に「駆除が正義」なのか

人間が森を削り、再エネの名の下で野生動物の生息地を壊し、その結果としてクマが里に現れる。
原因をつくったのは人間の側です。

それでも「駆除こそ正義」と言えるのか。
この茶番を正当化する社会であってはならないはずです。