阪神淡路大震災から22年が経ちました。
22年前の今日も火曜日でした。
毎年毎年、あの日のことを鮮明に思い出し涙が溢れます。
いつもならスラスラと出てくる文章も、今日はなかなか出てきません。
震災の記憶、残ってますか?
私は鮮明に覚えています。
当時12歳だった私は、なぜか地震の1分ほど前に目が覚めました。
まだ起きるには早いし、もうちょっと寝たいのに寝れない。
仕方ないからマンガでも読もうと思ってベッドから降りた瞬間
ドーン!という大きな音と共に少しずつ揺れ始めました。
その揺れは縦揺れで、どんどんどんどん大きくなっていきました。
これはマズイ。
そう思った私はベッドにしがみつくので精一杯。
ゴー!!という恐ろしい轟音。
そこから悪夢のような時間が始まったんです。
ライフラインは停止、何が起こったのか全然わからない。
道路を挟んだ向かい側では黒煙、地面は割れガス臭い。
当時はまだ携帯が普及してなくて、公衆電話に行列!
何が辛いって、真冬に電気が通ってないので寒いし、トイレ行きたいのに水が流れない…( ̄- ̄;)
食事だってその日の朝ごはんクッキーでした。
幸いにもうちは電気が復旧したのでテレビを見ることができたのですが…
もう愕然ですよね…
当時まだ1歳の赤ちゃんを遺してお母さんだけ亡くなりました。
通っていた小学校では6人の尊い命が奪われました。
別の友達は二階で寝ていて、起きたら一階になってたと言ってました。
火災で沢山の命が奪われた長田では、瓦礫に挟まれた友人を、まだ息があった友人を火の手が回り助けられなかったということがあったそうです。
『自分のことはもうええ。はよ逃げてくれ!』
そう言われたと、当時テレビで見て幼いながらにとても傷ついたことを覚えています。
目の前に助けられた命があったのに、助けられなかった悔しさは計り知れません。
私の妹は当時小学校2年生。
当時の記憶が曖昧なんだそう。
年齢が幼くなるほど記憶に残らないのは当たり前ですよね。
でも…
この記憶は後世に残さないといけないんです。
だから私は毎年書きます。
思い出すのは本当に辛い。だけど書きます。
そして、娘が理解できる年頃になったら
地震の恐ろしさ、そして身を守るために何が必要なのか。
私が経験した全てを話そうと思っています。
いつか彼女が自分の子どもができたとき、おばあちゃんはこんなことを経験したんだってってきちんと伝えられるように、毎年ちゃんと話そうと思います。
皆さんもぜひ、ご家族と一緒に話してください。
震災に遭ったとき、携帯は繋がりません。
避難先について話してみてください。
非常食等の見直しもぜひ!!!
今年は天災のない平和な一年でありますように。
そして犠牲になられた全ての方がどうか安らかに眠れますようにお祈りしています。