おまきさんの記録

おまきさんの記録

自分の記録用に、家計管理や日々のコーディネートをあげていきます。

Amebaでブログを始めよう!
あの日は長男と閖上のアパートにいて、3時になったら出かけようと思ってた。


地鳴りと共に聞いたことのない音が。
バウンサーに寝ていた長男を抱き上げたけど、立っていられなかった。

円を描くように揺れて、端にあったスチール棚が段々前に出てきてた。
テレビは「美男ですね」がやってたけど、ブチッと音を立てて切れた。

揺れがおさまって、外に出ようとしたけど、歪んでしまったようでドアがなかなか開かなかった。
駐車場の地面が割れて、水が吹き出してて「これが液状化ってやつかぁ」と思っていた。
ふと、後ろを見ると、濡れ髪でフェンスにしがみついて、しゃがみこんでる女の人がいた。

地震が起きたとき、シャワーを浴びていたらしい。しばらく2人で話してた。
その間に目の前の道路を、車が何台も走って行った。あとから保育所の職員が、子どもたちを連れて逃げたのだなと知った。

濡れ髪の彼女が逃げると言うので、歩いて公民館に行こうと準備を始めた。
寒かったので、長男は車のベビーシートに乗せておいた。

アパートに戻って、普段のカバンに通帳が入っていたから、一緒にハンコを持った。
泥の中から探すのは嫌だと出産祝いも入れた。
ストレスで母乳が出なくなる事があると聞いたから、哺乳瓶と粉ミルクを持った。
紙おむつとお尻拭きも出来るだけ持った。

車に戻って、荷物を詰めていたとき、ラジオが聞けることを思い出した。
普段はCDしか聞かないから、ラジオを聞く習慣なんてなかった。
ラジオをつけると「○○港で、10メートルの津波です」とアナウンサーが言った。
それを聞いて、公民館はダメだと思った。

もう一度、家に戻って、さらに必要なものを持って、車で実家に行こうと思ってた。
その時、夫からメールが届いた。
「実家に逃げてください!」

「今、実家に向かって出発するところ」
と、返信した。

アパートを左に出ると大通り。右に出ると小道。停電してるから渋滞してると、右に出ることにした。
濡れ髪の彼女が後ろから付いていくと言った。

出発して、ケータイの充電器を忘れたことに気づいた。が、戻ったら死ぬと思った。
なぜなら、堀の水がなくなって、魚が跳ねていたから。それは、津波が来る前兆だと聞いていた。

とにかく、信号のない道を行こうと運転した。渋滞にはまったら死ぬと思った。
何もない田んぼの真ん中を走った。
今、津波が来たらアウトだなと思いながら、ハンドルを握っていた。
とにかく、どこまでも、信号のない道を走った。

やっとの思いで、役所近くまで来た。
バイパスに出るための渋滞が出来ていて、バイパスも渋滞していた。

回り道だが、バイパスも線路も越えられる道路があるから、そっちに向かった。
その道路を渡れば、すぐに自分の実家がある。
少し古いアパートだったから、倒壊してるかと思ったが、大丈夫だった。
でも、誰もいない。頼れない。

丘を越えて、夫の実家に向かった。
その途中、当時高校生だった妹と電話が繋がった。泣いていた。迎えに行くからと話している途中で切れた。
夫の実家に着いたが、中に入れる状態じゃないからと車の中で待つことにした。

ケータイでテレビを見た。
空港の滑走路を津波が襲っている映像だった。
あぁ…。と思ったが、我が家は浸水するくらいの考えだった。
帰ったら、泥を洗うのかぁ…くらい。

しばらくすると義母が来て、買い出しに出かけた。
近くのスーパーに行ったけど、すでに行列で何も買えなさそうだった。
義母は「病院に行ってくれる?」と言った。
近くの大きな病院に向かうと、売店でカップ麺をたくさん買ってきた。

義実家に戻ると、義祖母が圧力鍋でお米を炊いていて、病院の売店で買ったカップ麺とおにぎりで夕飯にした。

夫も無事到着し、妹や実家を見に行ってもらったが、誰にも会えなかったと言われた。

その日の夜はとてつもなく寒かった。
リビングのソファーで毛布をかけて、ラジオを聞いて過ごした。
ラジオから「○○海岸付近で300~400人の遺体と見られる…」と聞こえてきてゾッとした。

この日、長男は空気を読んだように、全く泣かなかった。夜泣きもせず朝までぐっすり寝た。

12日の朝を迎えた。
その日から、自分の実家に移るまで、いまいち記憶がはっきりしない。


これが私の3.11の記憶。