さて、今年も残すところわずかとなってしまいました。
毎年、この1年を表す漢字が選ばれるけど、2011年は『絆』でしたね。
公に選ばれたのは『絆』でしたが、皆さんが個人的に選ぶとすれば、今年の漢字は何だったのでしょう。
さて、この『絆』という字は、日本国における3・11の大震災、台風による大規模な水害、ニュージーランドでの地震や、タイでの洪水など国内外の自然災害になどによりかけがえのない家族や友人、身の回りの人たち、また、その他の人たちとの『絆』を再確認したり、明るいニュースで言うと女子サッカー日本代表がチームワークと信頼で勝ち取ったワールドカップでの優勝に感動したりということで選ばれたらしいですね。
素晴らしいと思います。本当に、日本国民ひとりひとりがこの志を持ち続けてくれたなら、この国の未来は明るいなぁと、ちょっと期待しています。
ところで、この『絆』って一体何なのか。
もとはといえば、『絆』とは「犬や馬などの動物をつなぎ止めておくための綱』のことを言うらしいです。
それが転じて、現在一般的に使われている『絆』→「人と人との結びつき」を意味するようになった。
近頃、過剰な『自由主義』『個人主義』という言葉を振りかざし、はき違えた『自由』を主張する日本人にとって、本当にこの『絆』を考えるにあたり、心の片隅にでも置いておいて欲しいことがある。
『絆(きずな)』を別の読み方をすると『絆す(ほだす)、絆される(ほだされる)』となります。つまり、「自由を束縛する」ということ。
何だか、とても美しい言葉であるかのように軽々しく使われはじめた『絆』には相当の覚悟が必要ではないのでしょうか。
なんだか急に持ち上げられてきた『絆』ブームに少し違和感を感じるのです。
少し話は逸れるのですが、以前より問題になっている無縁社会や老人の孤独死。
本来であれば、絆を分かち合うべき親と子、ご近所の人たち。
その人たちから『絆される』ことを避け、自由や個人主義を崇拝し、無関心であることをあたかも当たり前の権利であるかのような風潮が行き着いた結果がこれである。
以前、職場で係長(男)が嘆いていた。
「奥さんがあまり家にいなくて、妻らしいことをしてくれない。夫婦っていったい何なんだろう。」
それに対して他の既婚職員(女)が返した言葉は「奥さんを束縛しないでください!お互いが好きなことをしているのが一番いいんですよ!!」
係長は「そうかなぁ・・・」と言っていたけれど、そこでこのアラサー未婚の私が差し出がましく口を挟んでしまった。
「いやいや。夫婦ですよね?お互いが好きなことを好きなようにするのであれば夫婦でいる必要なんてないんじゃないんですか?もちろん、束縛し合えと言ってるんじゃないですよ。ただ、夫婦でいると決めた以上、お互いに夫である義務、妻である義務があってそれを果たしてこそ、やっとそこから個々の権利じゃないんでしょうか・・・」
そこで、次長が大爆笑して「千葉さんは相変わらず古風な考え方してるなぁ」と言われたけど・・・
「結婚してない私は何も分かってないのかも知れませんけど。人それぞれ夫婦でいるというものに定義があるんでしょうけど、係長が奥さんとの夫婦関係で不満があるならば、それはお互いが話し合って折り合いをつけてください。でも、私は絶対に束縛されない相互関係っていうのはないと思うんです。うまく言えないですけど、それが夫婦になる覚悟というか・・・1人でいるんじゃないんだから、そこは奥さんに腹くくってもらうしかないですね。」
私が、あの時に言いたかったのは、お互いに絆し、絆される関係がなければ『絆』なんて分かち合えないんじゃないだろうか、ということです。それは、夫婦だけに限らないのですが。
とにかく、2011年最後のブログがまたこんな五月蠅い感じになってしまいました。
『絆』『絆』言う前に、きちんと絆されてますか?
絆されることなしの『絆』は胡散臭いです。
では、皆様よいお年を!!
2012年はもっともっと素敵な年になりますように!!

