本日、喫茶店でランチを頂いておりましたところ、突然隣のテーブルにいた女性三人組が悲鳴を上げまして…


女性A「ぎゃー!ゴキブリ~!」

女性B「どこどこ?」

女性A「ほらここっ!」

女性C「うきゃ~~~!」


慌てふためき立ち上がる女性陣。

もう店内は大混乱。


見れば、その三人組が座っていたテーブル横の壁に、ちっちゃ~~~~~い虫(ゴキブリか?)が。


慌てて店員が駆け寄るも、小さすぎてどこに行ったのか分からず、結局行方不明のまま。人騒がせなゴキブリです。


でも、個人的には、その後の 「でもさ、ゴキブリって飛ぶよね」とか「踏んで潰せばよかったのに」とか「テーブルの上とかに移動してない?」とか言う会話の方が「・・・」でした。


横でランチを食べている身としては。

※本日の「知人の一言」は少し真面目路線で。


最近、ケータイの絵文字に危機感を覚える。
前は絵文字など使わなかったのだが、最近送られてくるメールに絵文字が使われていることが多く、自然と自分も絵文字を使ってメールを出すようになってきた。


使い始めて改めて思ったのだが、絵文字はその時の感情を表すことに非常に長けている。
嬉しいときには笑顔、悲しいときには泣き顔を使えば、言葉を駆使しなくても感情がダイレクトに伝わる。
絵文字によって、コミュニケーションはより円滑になったと言えるだろう。


ただ、果たしてこれで良いのだろうか、と思う。


人と人とのコミュニケーションに於いて、これまで言葉が担ってきた役割の大きさは計り知れない。
その一方で、不定なもの、抽象的なものまでも何かしらの文字列に置き換えなければならない言葉は、非常に未熟なコミュニケーションツールとも言える。
だから人は言葉を駆使する。人に伝えるために。


テレビのリモコンではないが、人はより便利なモノへと流れる。
「絵文字」というツールによって、いつか人は言葉を駆使する力を失っていくのではないか。


今はまだそんなに大袈裟なことではないのかもしれない。
ただ、先にも書いたとおり、時間は確実に流れているのだ。
絵文字から始まり、より便利なコミュニケーションツールが生まれ、しかしいずれ人が言葉を失う日は来ないと誰が断言できるだろうか。


絵文字で彩られた味気の無い送信済みメールを見返しながら、蕭然と今日の「知人の一言」を思う。



…というのを知人に話したら、「でも絵文字使うんでしょ?」と言われた。
う~ん、使う。女の子から送られて来たメールにハートマークとか入ってたりしたら嬉しいんだよなぁ~。

あけましておめでとうございます。


…と言ってももう1/6ですが。

皆様どのようなお正月を過ごされましたか?


なにはともあれ、2008年も宜しくお願い致します。

本日は会社の仕事納めでした。


1/3まで6連休。久々の連休です。


それでは皆様、良いお年を!

咄嗟のときに、正しい言葉が出てこないことが良くある。


大概そのようなときはボーっとしているか何か考え事をしているときなのだが、先日も朝エレベーターで会社の同僚と乗り合わせた際、咄嗟に「おつかれさまです」と口走ってしまった。もう帰るんか?自分。


他にも、昔車上荒らしに遭い、後日警察からケータイに電話がかかってきたことがあったのだが、そのときにもつい「いつもお世話になっております」と応答してしまった。
警察に「いつもお世話に」なってちゃいかんでしょう。警察の人もなんて答えたらいいのか分からず苦笑い。あぁもうダメだ。


思うに、これは挨拶や返答の種類が細分化されすぎているのが原因ではなかろうかと。
英語など、「ハーイ!」と言っておけばどんな状況にでも適応するのではないか?(違うか?)


朝上司と会っても「ハーイ!ジョージ」、お昼に知人から電話がかかってきても「ハーイ!ポール」、夜中に恋人が突然訪問してきても「ハーイ!?ミシェル?」で事足りるではないか。


日本語にも、こんな感じでどんな状況で口走ってもおかしくない共通挨拶みいなものがあればいいのに、と思う。
そう考えるとイクラちゃんは偉大だ(?)。


そういえば、どこぞやの食品メーカーが賞味期限を偽った件で謝罪会見をしたときに、「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」と発言してパッシングを受けるという話があった。


「ご心配をおかけした」は、自分が被害にあった際に言う台詞だからというのがその理由。うーん、なるほど。


こういうときにもオールマイティに使える「ソーリー」的な言葉があれば良かっただろうに、と思う。


「ソーリーソーリー。賞味期限偽ってアイムソーリー」


こうして、日本は平和になりましたとさ。



…というのを知人に話したら、「バッカじゃない?」と言われた。
何を書いても「バッカじゃない?」。まさにツッコミの共通言語である。