日本赤軍重信房子22年ぶり出所★あさま山荘事件 | すずすずちゃんねるのブログ

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連合赤軍★日本中がドン引きした総括

 

動画>あさま山荘、内部はいま…事件から50年、記者が見た連合赤軍と警察の攻防の舞台:東京新聞 TOKYO Web

 

2022/05/19

以下引用

あさま山荘事件と山岳ベース(アジト)事件は、共産主義革命(財産の私有を否定し、生産手段などを共有することで貧富の差のない社会を実現するための運動)を目指した新左翼組織(日本共産党などの「既成左翼」と対比させた用語)「連合赤軍」が1971~72年に起こした事件である。

 連合赤軍メンバー5人が長野県軽井沢町の保養所に立てこもった「あさま山荘事件」は発生から10日目に人質が救出されて全員が逮捕されたが、その後の取り調べなどから、連合赤軍が立てこもり事件前に群馬県内の山岳アジトで集団リンチを繰り返し、仲間12人が死亡していたことが発覚した。

引用以上(途中略有)

 

証言 あさま山荘事件50年>現代社会に残したものとは…元メンバーら当事者や研究者たちの証言でたどる:東京新聞 TOKYO Web

 

 

あさま山荘事件50年、大量リンチ殺人の衝撃 なぜ起き、何を残したのか|社会|セレクト記事|京都新聞

 

あさま山荘」から白日に 疑心暗鬼が生んだリンチ死 特別連載・サンデー毎日が見た100年のスキャンダル/21〈サンデー毎日〉 | 週刊エコノミスト  Online

 

あさま山荘】1972年2月28日 テレビが一番長い日(再編・1992) - YouTube

 

連合赤軍

あさま山荘事件50年、大量リンチ殺人の衝撃 なぜ起き、何を残したのか|社会|セレクト記事|京都新聞

 

 

自分の兄に総括を加える異常状態に追い込む暴力革命思想 共産はやっぱり怖い カルト怖い

2022/03/07

以下引用

国民が幸せになる社会を作ることが、革命ですからね。

いま振り返ると、革命しようという人間が 国民を人質にするというようなことはあってはならないと思いますね。

引用以上(途中略有)

 

 

「総括」の論理って何? 

論理は本当にあったのか? 考え方の違いだけでの総括ではなかったようだ。

 

http://zip2000.server-shared.com/asamasannsou.html

以下引用

「総括」の論理について、その中心となっていた森恒夫はこう語っていました。
「銃による殲滅戦は共産主義化された兵士によってのみ勝ち取ることができるのであって、共産化されていない者は総括によって共産化された兵士に生まれ変わる必要がある。それができない者は組織から排除すべきであり、敵である権力機関に通報させないために死に追いやることもやむをえない」
森恒夫
「共産化」とは何か?殺人を平気で行う精神状態を身に着けるということなのでしょうか?

引用以上(途中略有)

 

 

 

 

 

 

あさま山荘事件の指揮官 佐々淳行氏

 

突入せよ! あさま山荘事件 - anttiorbの映画、映像の世界

 

日本の危機管理 佐々淳行氏 

(助さん、格さんの佐々助三郎の末裔)

 

2018/10/10

 

突入せよ!あさま山荘事件』を100倍楽しもう | 映画を100倍楽しむ方法

今の日本の危機管理を見て何て言うだろう?

 

 

「日本赤軍」 重信房子出所

 

重信房子独占インタビュー 1973 tuvideo matiasmx com のコピー - YouTube

 

以下引用

重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年昭和20年〉9月28日 - )は、日本の新左翼活動家、テロリスト革命家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部である。ハーグ事件共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受けた。東日本成人矯正医療センターなどで服役していたが、2022年5月28日午前8時前に刑期満了で出所した。

引用以上(途中略有)

 

永田洋子と重信房子

(面識はたぶんなかったのではないかという噂)

 

連合赤軍と日本赤軍

Wikipediaより

 

連合赤軍は、1971年から1972年にかけて活動した日本極左テロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派京浜安保共闘革命左派が合流して結成された。山岳ベース事件あさま山荘事件などの殺人事件、リンチ殺人を起こした。

 

●永田洋子は日本共産党(革命左派)神奈川県委員会 あさま山荘事件を起こしたのは連合赤軍の残党

 

日本赤軍1971年共産主義者同盟赤軍派重信房子奥平剛士らがパレスチナパレスチナ解放人民戦線(PFLP)への国際義勇兵(アラブ赤軍)として結成し[2]1974年に公式に「日本赤軍」と名乗り、1980年代にかけて多数の武装闘争事件(日本赤軍事件)を起こしたが[1][3]2001年に重信自身が解散を表明した。2022年5月時点で7人が国際手配(国際指名手配)中

 

●重信房子は共産主義者同盟赤軍派 (よど号グループとアラブに渡った重信房子のグループ)

2022/05/28

以下引用

「日本赤軍」重信房子元最高幹部 「生きて出てきたなという感じが強くあります。人質を取るとか、自分たちの戦闘第一にしたことによって見ず知らずの無辜の人に被害を与えたことがありました。古い時代とはいえ、この機会にお詫びします」

(略)

重信元幹部は、現在も逃走している「日本赤軍」のメンバー7人について「必要とされる場で生き抜いてほしいと願っています」とコメントしました。警察は7人を国際手配して行方を追っています。

引用以上(途中略有)

 

↓↓↓ヤフコメの意見

●当時は左翼にあらずんば人間であらずと言われたくらい左翼が流行っていた。
世代の違う私には考えられない事だけど…
左翼は理想を追い求める過程が過激で自分勝手であったが故にドンドンと求心力を失った。私には現在の左翼は全く筋の通らない事を言う老人のイメージしかない。中国の脅威を目の当たりにする現在、共産主義は怖い。人間的とは思えない。
もし、彼らが生まれた時代がもっと後で、現在の若者であったなら左翼思想をむしろ否定する存在だっただろうと思う。

 

●当時の時代背景もあります。足立氏の言うように、そんな時代ですから彼らの思想を全否定はしません。
ただ私が納得いかないのは彼らの最後の身の処し方です。重信も田宮も、自分が歳をとったら望郷にかられて逮捕覚悟で帰国しようとする事に引っかかります。
彼らの思想や覚悟はそんなものだったのか。それでは彼らの犠牲者や、彼らと行動を共にして潰えた者はどう思うでしょう。

 

●戦後のアメリカは日本に憲法9条と財政法4条という現在でも日本社会を奈落に落とす条項を作った。日本赤軍が誕生したのはアメリカによる右翼排除と左翼教育が関連しているが、今アメリカは抗中政策として日本に上記の憲法改正を促している。

それでも日本が変わることが出来ないのは日本人が自分で自分の首を絞めているからに他ならない。相変わらず左翼は核保有の議論すら避け、財務省は緊縮財政を続けている。こんなことを続けていたら次に待っているのは中国による日本の民族浄化である。

 

●戦後の戦前の日本はすべて否定する思想や憲法九条が産んだものが連合赤軍でしょう。今までに例のないやり方で統治したので、アメリカもこんな日本人が誕生するとは思ってなかったはず。このようなことを繰り返さないためには、歴史的事実に乗っ取り、戦前全て悪と言う考え方を丁寧に優しく改めないと日本が世界からなくなってしまう。

 

●どんなに取っても、閉じ込めても、
芽生えたものは無くならない。
どんな良い人達でも、悪い人達でも、
元からあったんだからね。
芽が出る環境だったかどうかで。
絶対、卵はある訳で。
再編しなくても、もう別の種として
眠ってるか、擬態してる。
それが変化する事はないとは言えないね。
だって、こうやってまだ根は生きて
いたんだから。
無くせないものを、怖がるより、
別の種を絶えさせない事の方が
重要だと思う。

 

日本赤軍

銃乱射、ハイジャック、いまだ国際手配中…「日本赤軍」って何?

 

国際手配中の日本赤軍 警視庁

 

 

 

 

 

 

重信房子の手記

 

いくら国民を幸せにするための革命って言われてもこういう事件を起こす人たちが国民を幸せにできるのでしょうか? という疑問は残ります。 まずやり方ってあるでしょう。 幸せの基準も人それぞれですし。 自分たちだけが、自分だけが絶対に正しいという思い込みこそが怖いです。 そして結局誰も幸せにはならずに凄惨な事件だけが残ったのですね。

 

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