1880年。

日本の人口が一番多いのは、石川県。


そして、1920年。

石川県は、34番目。


今もさほど変わらない33番目。


明治政府が中央集権を確立するため、廃藩置県後も府県の統廃合を行い、1876年に富山と福井(越前?)を石川に併合。

面積は、1万1518㎡になり人口も多くなったらしい。

それでも今の秋田県より少し小さく、岐阜県より少し大きいくらい。


結局、最近の地方自治体の統合と一緒で併合した地域通しで対立。

越前が滋賀の若狭3郡と敦賀を取ってきて福井として独立。

滋賀が海無し県に。

その後、富山も不公平な石川のやり方に嫌気をさし1883年に独立。


第9師団も置かれ、第4高等学校も設立されかつては五大都市の1つだった金沢。

航路から陸路、農業から工業への移行の中で、衰退していってしまったらしい。

今では、魅力的?な「地方」の1つ。

カジノ構想などを実現し、能登空港を国際空港にして、次の展開を考えることができる時期であるような気もする。

地震被害が大きい中で、市民に直接投入すべきお金を芸術祭にまわし、強行的に実施する現状。

かなり無理がある今なのに、これを10年後20年後も続けるのは、急激に減り続ける能登の中で不可能。

定住人口の拡大と共にお金を市民から搾り取る運営を市外からお金を稼ぎ市民に還元する運営に変換しないと珠洲の未来は、能登の未来は、そして石川の未来は、無いと思う。