その2では、宮崎アニメの性的な部分について触れた。


もう少しここに言及してみよう。


「風の谷のナウシカ」で、風の谷を襲ったトルメキア国の女性リーダー・クシャナが、虫に食われた腕を見せながら、「我が夫となる者は更におぞましきモノを見るだろう」という言う台詞がある。


子供向けアニメとしては考えられない台詞である。


「魔女の宅急便」では、少女の魔女キキがお世話になるパン屋の女店主・おソノが、普通の姿ではなかったことに気づいているだろうか。


おソノは、妊娠しており臨月のお腹をしていた。


このアニメを見たある女性は、少女が主人公のアニメに臨月の女性が登場することに「ちょとした緊張」を感じたという。その緊張感を微妙に増幅させているシーンがある。


キキがパン屋の屋根裏部屋に泊まらせてもらった初日。

朝になってキキはベットの中でもじもじしている。

用ををもよおしているのだ。


急いで家の階段を下り、家の外にあるトイレに駆け込むキキ。

そこに店の主人でおソノの旦那である男性が起きてきて、トイレの近くを通り過ぎる。


キキは旦那に気づき、トイレのドアを少し開けながら旦那が過ぎ去るのを待ち、いなくなったところで急いで階段を駆け上がり部屋に戻っていく・・・


臨月の女性の好意を受けているキキと、女性の旦那に対し秘め事を恥ずかしく感じる少女キキ。

これを微妙なシーンで表現して、観る側の無意識の緊張感を生み出している。


「魔女の宅急便」では少女が女性へと成長する小さな過程を描いているのだが、その未来像としての臨月のおソノの姿があるように思える。


さらに、「もののけ姫」や「千と千尋」では、胸をはだけた女性が何人も登場し、非常にセクシャルなシーンが多い。


ここで、ジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏が語った言葉を聞いてもらいたい。


「宮崎アニメは全世代の人が見て楽しめるように、登場人物も子供から老人まですべて登場させる。

自分と同じ世代の登場人物がいることで、その登場人物の目を通して物語を追いかけてくれる。

だから、広い世代に受けるのだ」


宮崎アニメは子供向け映画ではない理由が語られている。


したがって、大人目線で観る世界として性的な表現もしっかりあるのだ。


そこで、この研究レポートの「その1」で書いたキキの足を牛が舐めるシーンについて言及しよう。

このシーンは、大人が観たら性的な見え方がする。

大人の常識として少女に対してそのような感覚を持つことは抑制されるのだが、無意識レベルでは性的な表現として感覚が残ってしまう。


一方、子供の反応を見ると、「ぎゃ~」と言いながら大受けなのだ。


気持ち悪さと、無意識レベルで感じる嫌らしさが合わさって、動物感覚的に純粋に感じているのだ。


この微妙なさじ加減で、子供も大人も刺激させる表現を無限に持っているのが宮崎駿であり、宮崎アニメの魔法だ。


ちなみに、宮崎駿は人間観察のマニアでもある。

これはアニメーターという職業病でもあると思えるが、人間がどんな場面でそのような表現をするのか、ということに異常な興味を持っている。


たとえば、少女が怒って歩くシーン、というのが宮崎アニメでは何度も出てくるが、その表現をさせるために、人が怒るとどのような姿になるかを研究しつくしている。

肩が上がり、少し前のめりになり、しかも腕をふくらませて大股で歩く・・・・


さらに宮崎はご飯を食べるシーンも、登場人物の個性に合わせて使い分ける。


ご飯を口に近づけるのか、ご飯に口を近づけるのか。


見事に2つのタイプをかきわけている。


この異常なる人間観察の結果から、人がどのような性格でどのような感情ならば、どのような反応をする、ということが感覚的に分かっているのだろう。


だから、映画の中で、一見無駄に思えるようなシーンに意味を持たせ、映画を有機的に立体化させることに成功しているのだ。