2016年5月 山口県の旅 14.
維新の町「萩」へ① 吉田松陰を訪ねて「松下村塾」と「幽因の旧宅」
山口県の旅も、とうとう最終日となりました。下関&門司から始まり、角島~仙崎・長門温泉と、海沿いをぐるっと回って、最後は「萩」です。まずは、宿(萩本陣)の近くにある「松陰神社」へ行ってきました。松陰神社の境内に「松下村塾」や「吉田松陰幽因の旧宅」などがあります。楽しみです
さーここから、松陰神社のスタートです。絶対行こうと思っていたので、ワクワクします。
まずは、境内にある「松下村塾」を目指します
鳥居をくぐると、境内はとても賑やかでした。入って左を向くと、着物を着て髪を結った人が紙芝居でしょうか、イスも用意されていて、お客様が話を聞いていました。ちょっと気になりましたが、時間もないので通過致しました。
正面には、吉田松陰さんと、もう一人は誰でしょうか。伊藤博文さんでしょうか
この奥に、松下村塾があります。
松下村塾です。ここで、吉田松陰が、教鞭をとっていたんですね。歴史が好きなので、色々な所に行きますが、ここは、他の場所よりタイムスリップ感が強く、ワクワクしますね
正面には、吉田松陰や、松下村塾で学んだ、伊藤博文らの写真や絵が飾られています。松下村塾では、分かっているだけで92名の塾生がいたそうです
隣の講義室には、松陰の掛け軸などが飾られています。
思っていたより、小じんまりとしていて、ここで92名が勉強したなんて・・。松下村塾はとても人気があったのでしょうね
ここが、未来と希望を語り合った場所なんですね。想像するとワクワクしてきます
松下村塾の後ろと言うか横に、吉田松陰の旧宅があります
ここには、吉田松陰が幽因された部屋が残っています。
伊豆の下田港で海外渡航に失敗して、江戸の獄につながれ、その後、萩の野山獄に移されたが安政二年(1855年)、許され実家へお預けとなり、三畳半一室に幽因される事になったと書かれています。
しかし、この時に父や兄、近親に講義をし、やがて入門者が増えて、松下村塾へと移っていくのですね。松下村塾が始まる安政四年までの間、続けられたそうです。
安政五年に、老中の要撃を企てたために、野山獄に再び入ることになりますが、その前の約一ヶ月間実家で幽因されることになります。2回実家で幽因されたんですね。
ここに松陰さんは幽因されていたんですね。三畳半の狭い空間ですが、見ていると嫌な感じがしませんね
幽因室には掛け軸がかかっています。
「三余読書 七生滅賊」木原松桂書
松陰が安芸国の木原松桂に頼んで書いてもらったと書かれています。
家の中は広いですね。
松陰旧宅の玄関の横に大きな木があります。この木の根の部分が「タコ」のようで、すごく気になったので、写真とってきました
なんか気持ち悪いと言うか・・・。タコに見えませんか
なんか不思議な木です
松陰神社は、吉田松陰が詰まっていますね。面白いです
これから、参拝です。かなり時間が経ってしまいましたー。
次は、松陰神社をご紹介しますね
2016年5月4日