2015GW 松阪ぶらり散歩②「原田二郎旧宅」 | nakoの食いしん坊日記

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2015GW 松阪ぶらり散歩② 「原田二郎旧宅」

松阪城の石垣を見ながら「御城番屋敷」の歴史ある街並みを見学し、同心町にある「原田二郎旧宅」にやってきました。「原田二郎」さんって誰??。勉強不足ですいません。最後にご紹介します

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歴史地名「同心町」と書かれています。名前の通り、紀州藩松阪領の町奉行所などにつとめる武士の家が並んでいたところで、原田二郎の両親も江戸時代 の終わり頃からこの「同心町」に住んでいたそうです。この辺りにも、歴史を感じる素敵な建物がいっぱいあります。すごいなーと色々見ながら散歩するにはと てもいいですね

「原田二郎旧宅」に到着です。松阪市が管理をしていて、中にいる方が色々説明してくれます。こちらも素敵です。風が通り抜けるので気持ちがいいです

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縁側がある家って最近あまりないですよね。ここに座っていると時間を忘れてしまいますconfident

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「大隈重信から贈られた座布団」がありましたsign03

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2階からの景色です。

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2階には書斎があります。丸窓が素敵ですshine。この2階は原田二郎が34歳で一度松阪に戻ってきた時、増築されたそうです。とても静かで、心が落ち着きますconfident

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2階撮った階段です。いつも思いますが、昔の家は階段が急ですsweat01

club では、原田二郎さんがどんな方だったかと言うと(パンフレットより)

1849年10月10日松阪市殿町で和歌山藩同心の長男として生まれる。

23歳で維新後間もない東京に遊学して英語と医学を学び、その後大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。

一度松阪に戻るが、37歳で東京に居を写して療養生活を送ったのち、明治35年54歳の時、明治の元勲の一人である井上馨の依頼を受け、家運の傾きかけた大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当たる。

大正8年に鴻池の再建に成功してその職を去り、翌大正9年に、全財産をかけ、積年の計画であった公共福祉に寄与することを目的とした財団法人原田積善会を設立。その後10年間財閥の代表者として運営にあたり昭和5年に82歳で死去。    shoe 「原田二郎旧宅」の住所や営業時間等

31歳で頭取sign03すごい人ですね。最後は全財産をかけて「財団法人原田積善会」を設立して、亡くなった今でも、積善会は健在で、公共活動から市民活動まで幅広く支援しているそうです。

「長期福利補給人員積算書」を作成し、今後3500年の長期にわたって自己資金による支援が可能な方法を提案したそうです・・・すごいですホントに。

松阪市は牛だけではありません。古い歴史的建物が多く残る町並みは必見です。是非、のんびり1日かけて散歩してはいかがでしょうかsign03 おススメですhappy01