さて、本日からはイングランド王ウィリアム1世の4世孫(曾孫)、ヘンリー2世の世代、いきまーす☆

 

ヘンリー2世の結婚相手はアキテーヌ公領の相続人、また時のフランス王・ルイ7世の元妃であるアリエノール・ダキテーヌですが、生い立ちからルイ7世との離婚に至るまでがまたスゴすぎる、、、☆

 

アリエノールの生年は1122年~1124年とされていますが、こちらの家系図では約1124年としています。

3人姉弟の長女として生まれましたが、弟が夭折して、アキテーヌ公家(カペー家より歴史があり、領土も広大)の相続人として育てられたため、かなり傲慢でわがままな性格になってしまったとか、、、

妹・ペトロニーユも16歳にして、かなりトンデモな事件を起こしてしまったり(詳しくはこちらをご覧くださいw)

 

1137年、約13歳で

4月8日 父・アキテーヌ公ギヨーム10世死亡→アキテーヌ公家を継承

6月 フランス王太子ルイ(後のルイ7世)と婚約

7月25日(英語版Wikiより) ルイ王太子と結婚→フランス王太子妃に

8月1日 ルイ6世崩御、ルイ7世即位→フランス王妃

 

しかし、ルイ7世は真面目で信仰に篤い性格だったため、アリエノールと反りが合わず、2女をもうけたものの、男子に恵まれなかったこと(離婚原因①)

1147年の第2回十字軍にルイ7世夫妻が出征した際、アリエノールが父方の叔父であるアンティオキア公レーモンと「親密すぎる関係」になっていたこと(離婚原因②)

1152年に、臣従誓約でフランス宮廷を訪れたアンジュー伯アンリ(後のイングランド王ヘンリー2世、当時19歳)にアリエノールが気を移したため(離婚原因③)

 

こうして、(自らの信仰心と娘2人のことを考えて、なかなか離婚の決心がつかなかった)ルイ7世との夫婦関係は修復不可能となり、1152年3月21日、近親婚を理由にルイ7世とアリエノールは婚姻関係を解消します。(妹にも同じよ―なコトやってたよなー、、、)

しかしアリエノールは離婚からわずか2ヶ月後の5月19日、アンジュー伯アンリとスピード再婚し、2年後の1154年にアンリはイングランド王に即位し、ヘンリー2世となり、アリエノールはイングランド王妃となります。

2人の間には5男3女(長男ウィリアムは夭逝しましたが)が生まれました。

 

またヘンリー2世も、数多くの庶子をもうけます(祖父のヘンリー1世には及びませんがw)

ヘンリー2世の愛人は「麗しのロザモンド」とうたわれたロザモンド・クリフォードが有名ですが(日本語でもググると結構でてきますw)、フランス王女アデルにも手をつけたといわれています。

アデルはルイ7世と2度目の王妃・コンスタンス・ド・カスティーユとの間の娘であり、次男若ヘンリーの妻・マルグリットの同母妹で、三男でアキテーヌ公を継承したリシャール(後のリチャード1世)の許嫁でしたが、リチャード1世の即位直後に破談になり、1195年、35歳になったアデルは約20年ぶりに(!!!)フランスに帰されました。

 

ちなみに、ヘンリー2世の曽孫であるエドワード1世の妃のエリナー・オブ・カスティルは、父方の曽祖母が、ヘンリー2世の次女・エリナーであり、母方の曽祖母はアデルです。

 

ヘンリー2世のイングランド王としての功績、その他いろいろのエピソードはWikiをご覧くださいw

(あくまでこちらの主役は家系図ですのでw)

 

それにしても、お父様(アンジュー伯ジョフロワ5世)と共通項の多い結婚ですねぇ☆

 

①妻の方がかなり年上(父→11歳、息子→約9歳)

②妻が再婚、かつ前の嫁ぎ先がかなり格上の家系(父→元神聖ローマ皇后、息子→元フランス王妃)

③妻が相続人(父→イングランド王家(ノルマンディー公家)、息子→アキテーヌ公家)

④どちらの妻も、気が強くプライドの高い性格

 

お父様も草葉の陰で(結婚1年前の1151年に死亡)心配だったでしょうね、、、

 

ところで、近親婚を理由に離婚したルイ7世とアリエノールは、ロベール2世経由の3いとこ半でしたが、ヘンリー2世とアリエノールの関係はエルメンガルド・ダンジュー(ヘンリー2世の高祖母)経由の半血3いとこです。

たしかにWikiにもありましたが、ヘンリー2世の方が血縁的に近いというのはホントだったんですね、、、

 

pixiv → https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=75737930