ミッチーにくらくら

ミッチーにくらくら

いちクラリネット吹き、いちオーケストラ奏者(元)。
そんな私の音楽ブログです。書き込む内容は必ずしもクラシック音楽には限りません。
よろしくお願いします

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さっそく記事を書いてみよう、となったんですがいざ記事を書こうとするとなかなか難しいですね。

いろいろ書きたいことはあったはずなんですが、いざ一本目となると気が引けてしまう話題ばかりです。

そういえば今日は元号が変わって令和になりましたね。平成生まれの私としてはついにこの時が来たかと少しの感慨はありますが、やはりあまり自分の生活を大きく揺るがす、というわけでもありませんから「だからどうした」と感じているのも事実です。

高校生の頃世界史の先生が「年号というのは時間を支配することだ」と言っていたのを思い出しています。
年号、特に元号においては天皇が即位してから何年、というものを表しています。たしかにそう言われてみると、例えば
「今年何年?」
「令和元年だよ」
という簡単な会話でも天皇が即位してからの話になっていますね。時間という生きている上で必ず逃れることのできない存在を媒体に、その支配力を振るうというのはなかなか凄まじい力を持っています。
うーむ、年号おそろしや。ちなみに私のぴあそら歴という年号を作るとしたら今年はぴあそら歴22年です。

ところで、私は昔音楽の恩師に「音楽は時間の芸術だ」と言われたことがあります。
まあ確かに絵画や彫刻とは違って音楽はその音が存在しているその瞬間でしか音楽足り得ませんね。しかしながら楽譜やCDのおかげでその時間以外にも音楽を表すことも出来ています。
つまり音楽というのは時間の持つ刹那性と連続性を併せ持つ、それこそ時間の芸術と言えます。
前に東京スカイツリーが建設途中の時に、建設途中の様子を写真で撮っている人の話を聞いたことがあります。なぜ建設途中の様子などを撮っているのか、それは建設途中は今しかないからだということでした。確かにそれもその通りですね。私が上に書いた音楽は時間の芸術であるという言葉に通じるものがあるかもしれません。

そんなこんなで、年号という時間を用いて民衆を支配する存在、また音楽という時間の様々な意味において存在しうる存在。
それら二つは時間という共通点を持つ友人同士とさえ言えるかもしれません。年号は当然のことながらそれが使われている時間にのみ存在が許されているもので、音楽も同様にその音楽が流れている時間にのみ存在が許されています。しかし、時間の歴史という観点では過去にあった年号も音楽は過去にあったものとして取り扱われます。
そう考えると年号と音楽、もはやイコールとでも言っても良いような気すらしますね。そんな訳ないか。

そんなこんなで私のブログ記事一発目。
これからはテキトーに好きな音楽やらなんやらについて書いていきますよ〜!