快晴じゃなくても許してほしい。

快晴じゃなくても許してほしい。

悩みの種がいつか開花することを信じて。
曇があっても、綺麗な水色と茜色に染め上げたい。

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自分の気持ちをまとめるために書き始めました。
こうして書こうと思えるようになるまでにもかなり時間がかかってしまいました。

6月頃から心身共に一気に落ちてしまって(コロナではなく)
正直またか…程度にしか思っていませんでした。どうせ3日ぐらいで落ち着くだろうと
思っていたら、1週間経っても落ち着くことはなく、寧ろ悪化していく日々でした。

何もできない。
別に発熱や風邪特有の倦怠感があるわけでもないんです。
ご飯は2日に1食ぐらいしか食べられなかったかな。食べることへの罪悪感が酷かった。
できることがなかったのもあるから、半日ぐらいは寝ていたと思います。

ここまでが身体的な変化。
精神的な変化というか起こったことは、


突然頑張れなくなった。
もちろん僕はめちゃくちゃサボり魔です。
やらなくてはいけないことが山程あるのにも関わらず、努力量は圧倒的に足りてませんでした。それなのにも関わらず今までしていた努力…努力というのも烏滸がましいな。
タスクすらもこなせなくなった。
急にスイッチが切れたかのように無気力感に襲われて、そこからだんだんと身体への
影響も出てきたという感じ。


その時期は、携わっていた企画のため、
広報やデザイン関係の実働と勉強をしていたのですが、それが完全に止まってしまって
何故か戻れなくなった。

納期や期限への支障が出始めて、せめて連絡をしないといけない状況になったのに、
自分が今何を考えているのか、どんな状況なのかを言葉にすることができなくなりました。
頭が完全に停止してしまって、「だめだ」ぐらいまでしか出てこない。
今思えば、それだけでも送っておけばよかったのかもしれないけど、いやこんな連絡できないと思い込んでしまって、明日までに回復しなければと自分に言い聞かせることを続ける毎日。

僕はこうなる前から連絡が苦手でした。
めんどくさがりだから、元から得意ではなかったけれど、1年前ぐらいから更に
できなくなって悪い癖として染みついてしまっていました。
ただ流石にここまで出来なくなったのは初めてで、今思い返せばとても怖かった。

通知を1日切ったり、未読無視してしまったことは何度もあった。
でもLINEのアイコンを見るだけで吐き気がしてアンインストールしたのは始めてだった。


こうやって思い出しながら書いているけど、本当に原因がわからない。
たまたま1日サボってしまったのがここまで悪化するきっかけになるのか?

だから余計に何があったのか?を説明できなくて、しなきゃいけないとわかっている連絡ができなくてのループ。



自己嫌悪がかつてないぐらい加速して考えるようになったこと。

僕は仕事ができないやつだ。
秀でている部分なんてないんだから人の何倍も努力しないといけないはずなのに、
努力すらすることができない。

こんな考え方はよくない。今まで頼ってくれた方に失礼だ。
言い聞かせたところで大した努力ができるわけでもないのに、ストイックぶって落ち込んでの最悪パターンだ。

過去の失敗や反省点が消えないのもわかってる。だから今から頑張らないといけないのも
もちろんわかるし、自己嫌悪してる時間が一番無駄で、リセットが大事なのも教えてもらったのに。教えてもらったことすらできないしやろうとしない。


仕事が怖い。自分より大人も若い子も怖い。
僕にはできる仕事がない。五体満足だから何でもできるはずなのに、できない。
できるようになるまでの出来ない自分を受け入れることができない。失敗が怖すぎる。

今の自分を受け入れるってなんだ?
どうやらそれが大事らしい。じゃないと前を向けないらしい。
確かにみんな言っている。出来ない自分に対して悔しいと感じながら、しっかりと受け止めて出来るようになるため努力している。

これは自分には出来ないと受け入れて、人に頼っている。


人に頼る

これもまた僕にとって呪いだ。
出来ないこと=解決しないといけない課題。
プロや詳しい人に任せたり教わった方がいいのなんてわかるよ。
でも出来ないんだ。惨めなプライドが邪魔をするんだ。


プライド


僕は昔から頑固でワガママでプライドの高いカッコつけ野郎だ。
でも実際は勉強も運動も出来ず顔も良くない。モテない、痛々しい。
他者を落として自分を守ってしまう。周りの人をどこか下に見ている節がある。
それが大人になってみてからはどうだ。


何故か評価されてしまった。
もちろん嬉しかった。そんなことはなかったからだ。
まるでカーストが下から中に上がったような気がした。
自分からコミュニティを作ってしまえば、既にあっても内側にさえ入ってしまえば、
カーストは中どころか上の世界にいける。
優しい人が多かったこの環境で僕は調子に乗った。


努力だけは追いついてないのに、口だけは達者。
自分の価値を亡くさないために、戦うよりも絶対数の少ないところへ逃げる。
親の脛を齧るどころか、足を捥ぎ取るレベル。
働きもしない。なのに浪費癖もありお金の管理が全くできない。
借金も全然返せない。


なのに欲しい物、やりたいことだけは大口を叩く。


そんな僕の腐った眼に現実をぶち込んでくれたのは、結婚というキーワードだった。


全然足りてなかったし甘かったけれど、僕にしては頑張っていたんだと思う。
でも僕にはお金を稼ぐことへの意識や責任が欠如していた。
結果、学生の延長かのように活動を続け(真剣に学んでいる学生に失礼な例えです)
承認欲求だけを満たし、認めてくれる人達に依存をした。
自分に優しく甘くしてくれて肯定してくれる人の近くに執着した。


自分は仕事を知らないし、意識も力も足りていない。
だから、ぎりぎり誤魔化せそうなことと、相手にとって都合がよくなるように、
時には周りの人を落とすことをしながら、活動を続けてあたかも仕事ができるかのような風を装った。そんなもの、少し意識をして誇張すればなんとなくのイメージで誤魔化せてしまう。あとは必死に背伸びをして誤魔化し続けるだけだ。

苦しくなってきたら、また違う路線へ逃げ込む。
一つのことで苦しみながらも戦うことをせず、いつも楽な世界へと逃げる。


ごめんなさいとありがとうが言えない。
自分の否を認めることができない。
いつも言い訳を確保しようとする。



9/7
日にもよるが、幾分かましになってきたように感じる。
日中の活動時間が増えたこと。スキンケアを続けていること。
少しずつ連絡を返していること。先を見たいと思うようになったこと。

もの凄く細かいことばかりだが、取りこぼさないのは実に難しい。
次に向けての大きな一歩には、誰かの手が必要だとわかっていながらも、まだ少し怖い。
「仕事や収入の目処」
ここをまず頑張りたい。でなければまた転んでしまうからだ。

そして、一つ明確な気づきがあった。
Twitterの本垢を眺めていても、舞台をやりたいと思わなくなった。
まあ流石に戻りにくいというのもあるのだけれど、以前までの僕はどこか縋っていたようにも思える。
すぐにでも戻れるぞ。今まで通りの僕ならば出来ることがあるぞ。
目の前の現実を見るのが辛すぎて、過去の栄光や、飾っていた自分に縋ってしまった。

しかし、過去の自分に戻ったところで、根本的な問題が解決するわけではない。
結局のところ、一時的な渇きを満たしてくれる存在がいなければ崩れていく。
だから僕は、自立をしなければならない。いや、したいんだと思う。

負い目を無くしたい。自信を傷つけてしまう要素を無くしたい。
自立というキーワードをここまで意識させてくれたのは、彼女の存在があまりにも大きかった。
「彼女のために」と言うつもりはない。それは違うことはわかっている。
「彼女といたい自分のために」僕は自立を望んだ。

NSEを通して、主宰としての成功も望んだけれど、それよりも仕事や収入。
自分を磨くためのモノとして捉えていた。今思えば僕は正直な話を伝えていなかったかもしれない。


僕にとって芸術とは最優先するものではなかった。
今まではしてきたと思う。でもその先に望む未来があるとは限らない。
回り道をしてでも構わないから、確実に辿り着きたいゴールだった。最速じゃなくてもいいんだ。後回しではあるが、しっくりときている。


創作はやらないとわからない。描いてみないと、創ってみないとわからない。
でもそのために必要なモノを、今の僕では揃えることが出来なかった。

≪予算・キャスト・スタッフ・集客・スキル≫

悔しいけれど受け入れなければいけない。ここに対して期限をきることもなく。
不透明なままできない期間だけを過ごしていた。
何度も構想を考えていたけど、芯の部分が見えてこない。
なのに、僕の眼に映る世界はどこか曇っていて疑問に溢れている。
もっとざっくり言うと、イヤな感じ。
今の社会と僕の世界の中で塊となったものを問題提示する。
ポケモン映画から学んだ?ルートが僕にとっての創作のきっかけだ。

やりたいコンセプトはあるし、既に開示している。
でもそれはあくまでもコンセプト。外側であって、何故その世界になるべくしてなったか?
という基盤が必要となる。そのためには、僕にとって大切な答え。
作品を通して伝えたい想いが必要となる。

コンセプトから考えてしまうとそこが崩れるんだ。薄くなったり軽くなったりする。
僕が何故そこに憧れ、自分でも描きたいと感じたのか。
元となった作品とはまた違う、僕にとってのゴールとはどこなのか。

よく考えてみればそんな簡単に思いつくわけがない。
一つの物語のゴール、鍵となる答え。僕だけではきっと辿り着けない。
その答えに少しでも近づくために、僕は人と繋がることで感じる力や思想を深めていく
必要がある。


慣れあうという意味ではなく、作品は孤独では完成しない。
残念ながら人が紡ぐモノには人の力が必要になる。
そのためにも、人と繋がれる自分でいたい。
これは、良いか悪いかわからないけれど、今までの人脈に満足しなくなった。
もっと広い世界を見たい。いつまでも輪の中に紛れてはいけない。


今まで面白いと感じていたものがそうでもなくなった。
一括りにするのは失礼だけれど、僕がよく行っていた小劇場の作品が面白くなくなった。
付き合いだけでしか行かなかったから、そのキャストのレベルに比例してくる。
面白いキャストだったとしても、一人では作品を変えられない。


どうしても純粋に作品を観ることができない。
粗を探すというよりかは、自分は何を描きたいのか。といった目線になってしまうから。
僕は演出家としての成功にはあまり興味がない。
自分が描きたいと思ったことを形にしたい。
その上で、言葉を重ね合わせる脚本家よりも、感性をつなぎ合わせる演出家の方が、
向いているし好きだと判断したからだ。


年中演劇で埋まっていたいかと言われたら、案外そうでもなくなった。
何かしらの仕事で忙しくしたいとは思う。結局はバランスのとれた生活に憧れる。
学び始めた動画編集がその架け橋になってくれたら嬉しいし、資産形成の大切さは沢山教えてもらったからこそ、NSEも真剣に取り組みたい。
せめてそのことだけでも伝えておきたい。NSE自体が嫌になったわけでは全くないんだ。
何事に対しても頑張れない自分自身が受け入れられなかった。
それはここまでの自分の積み重ね。今更そこに苦しんだのではなく、
自分の弱い部分と久しぶりに対面してしまっただけのこと。

どんなルートを歩んだり開拓したりしても、この自分とは出会ってしまう。
だからどこかで乗り越えなくてはならない。
ようやくシンプルになってきたのかもしれない。
また堕ちるのがどうしても怖い。そんな恐怖心を受け入れ…。認識しながら一個ずつ進めていきたいと今は思う。

僕にとっての大まかな幸せの形は、既に出会っている。
暗闇の中に差し込む一筋の光。と言った例えはよく使われるが、僕にとっての光は
やはり彼女だった。そんな存在に出会えたこと。受け入れてもらったこと。
感謝をして、というのはしっくりとこない。
いつまでも隣で眺めていたいと、僕は想う。

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前にもどこかで書いたような気がするが…
エンタメに対する興味がすっかり薄れてしまった。
もちろんやっていて楽しい。
役の設定によっての差はあるけれど、そもそも舞台上に立つ者として最低限の美意識はあるべきだと僕は思うのだ。そこまで神聖化するつもりはないけれど、虚像の空間なのだから、
リアルそのものであってはいけないであろう。


ファンタジーは抽象度が上がるからこそ、ビジュアルの凝り具合が上がる。
そこに対応できるかどうか、或いはそこに対応していいかどうか?
ここにおいては非常に素晴らしい。ビジュアルだけでなく、演じる幅も広がるのだから、
より選択肢が広がるのだ。だからこそ難しいんだけれど。

遊ぶのが楽しい。と称する方が多いが、その言葉にしっくりときたことは一度もない。
結局やっていることは同じなのだけれど、その力の抜け具合によって生じる余白が魅力となる。と言いたいんだと思う。
舞台上では何をやってもいいんだよ。と言われた方がしんどいんだよこっちは。
それが絶対みたいな空気間をつくらないでくれ。まるでこちら側が不正解かのように感じるじゃないか。

僕の八年間の主張がこうだった。やっと言葉に出来たけれど。
≪自由≠選択肢が無数≫
こんな感じ。真っ白の紙と同じだけの白点みたいな。
僕は絞って選ぶのが好きなんだ。そして今回は何故それを選んだか?という理由に出会うのが好きなんだ。
そして集約した選択の上でキャラクターが成り立つ。その質をあげていく。
より物語上での役割を遂行できるのはどちらなのか?
しかし自分だけでは成り立つことができない。それを相手の役者やその日の空気間と嚙合わせることでその日の答えに向かう。


ゲームで例えてみよう。
対戦ゲームで負けた時、僕はもの凄くイライラする。悔しいからだ。
しかしそんな僕に対してこう言う人がいる。
「ゲームなんだから楽しくやればいいのに」
この言葉を飛ばしてくる人とは一緒に居たくない。
勝ち負けがあるのだから勝ったら嬉しいし、負けたら悔しいに決まっているだろう。
もちろん対戦相手があってこその楽しみだから、感謝や尊重は必要だ。
それに負けたから楽しんでないかといったらそれは違う。
楽しい負け試合というのも当然あるし、負けた悔しさをバネにして勝った時が嬉しいんだ。

もちろんコンセプトや目的が違う時があるのはわかるし、大前提楽しくやるためのものだ。
それでも、娯楽や趣味に対して本気になれない生き方なんて僕は嫌だ。


作品の中で天才と称されるキャラクターが、何でも楽しみながら驚異的なスピードで上達していくのはもちろん知ってる。
でもそれが全員できるわけでもないし、僕にだってそんな分野があるかもしれない。
既にやっているものに対しては自分が天才じゃないことぐらいわかっている。
ならば秀才を目指すしかないだろう。少しでも差を詰めたいと思うだろう。
男心とまとめるのも良くないとは思うが、僕はこの気持ちは捨てたくない。
プライドを捨てないといけない時はあると思うけれど、好きだし大切だからこそなかなか意地をはってしまうものだと思うんだ。
そこを捨てられるやつは強いし、尊敬するよ。だから自分も今の弱い自分と、強くなりたい自分の気持ちが繋がるようにしたいと思う。

ああ、ゲームに例えると全て解決するな。


ただし、真剣に楽しんでる人に対して気楽に、楽しんで等と無責任に言うやつは僕は嫌いだ。こちら側の楽しいを否定するな。

よくある討論の意味がわからない。
僕は神経質だから細かい点に気が付くし、ずぼらでもあるから別にめんどいからよくね?
とのスーパーハイブリッドだ。AB型だよね、ホント。
例えばトイレの電気がつけっぱなしだった。気づいたら消せばよくね?
気を付けるように改善してもらわないと。→そんな細かい電気代気になんない収入を稼げばよくね?

極論だけど一理はあると思うんだ。

あと、もっと言い方あるやん?
そんな言い方されたら当然嫌な気持ちするよ。なんで伝える(気づいた側)が工夫というか
気遣いをしてあげないのかが意味がわからない。
だって圧倒的に優位なんだよ?その上で言い放ってしまったらそりゃオーバーキルに決まってるじゃないか。


まあこういった考え方だから、より自分に課すものも多く、気づいたのに出来ないという思考に陥りやすいんだけどさ。うーん、相手に言い放つよりよっぽどいいなあ。
この思考を良しとしない世界なのはよぉーくわかったけどね。
温厚な人と一緒にいたいよ。それでいてお互いに自分の人生に対して探求心があり、
刺激と脱力のバランスが上手い人。というよりかは、その人とならそのどちらも相乗効果がある人。だと思うな。あーいやだいやだ。