上杉謙信の姉 上杉景虎母の仙洞院の墓参りです。
仙洞院
越後国の戦国大名の長尾為景の娘として誕生した。生母は上条上杉氏の娘(為景の正室)で、異母弟に上杉謙信がいる。
天文20年(1551年)、上田長尾氏の長尾政景へ嫁ぎ、2男2女を生む。長男の義景は10歳で早世したが、次男の景勝は実子のなかった謙信の養子となってその跡を継いだ。また、江戸時代の軍記物の影響により、長女が畠山義春に、次女が上杉景虎にそれぞれ嫁いだとされていたが、現在では長女が上杉景虎室、次女が畠山義春室というのが定説である。また、義春ではなくその養父である上条政繁に嫁いだ可能性も指摘されている。
永禄7年(1564年)、夫の政景が坂戸城近くの野尻池で溺死すると、謙信に春日山城へ招かれ、移り住んだ。天正6年(1578年)、謙信死後の上杉家のお家騒動である御館の乱では、上杉景虎の春日山城退去に従い、景虎の正室である娘ともに御館に籠もるが、戦後には春日山城に戻った。その後は景勝の庇護を受け、慶長3年(1598年)の会津や慶長6年(1601年)の米沢と上杉家の移封にも随行する。
慶長14年(1609年)2月15日、米沢城二の丸にて死去。82歳。墓所は米沢市の林泉寺。越後から会津、米沢への転封に伴い、林泉寺の財政は緊迫していたが、仙桃院が米沢に林泉寺を建立することに尽力したことから林泉寺中興開基と称されている。

