=目眩=

 

 

目眩がする、とこの部屋へやってくる生徒は多い。

<休ませてください、次の授業、マジで面白くもないんで>といった現実逃避だ。

 

前任者の方も、そのように引き継ぎをしてくださったな。

なにやら、懐かしささえ感じる。

自分も、そうした年齢になったのだろうか?と、感じつつ、現実を考えてみた。

 

今の私には<めまいの種>としか評せない、一人の学生がいるのだ。

 

彼女はいつも、倒れた後で発見される。

通りがかった生徒、教師などから「至急、対応お願いします!」と伝言を託された、顔色を悪くした生徒たちが、毎日のように駆け込んでやってくるのだ。

 

もはや、ボ~と考え事をする時間さえもったいないではないか!!

 

大学の卒業前には、母やその友人たちから「就職についてどうするの?」などと訊かれるのが面倒くさく、叔母の紹介で<養護教諭>としての採用試験を、数件受けた。

 

看護師になってほしい!と、当時の恋人に言われ、同じ大学を受験した結果、わたしだけが合格し、お互いに大学の入学式を終えて、すぐに彼女は去っていった。

同じ大学に通う<新しい彼氏>の元へと。

 

だからこそ、看護師になる気はまったく無かった。

「食べる時間も惜しい」という現実を、実習の時に見せつけられたからこそ、養護教諭か保健所勤務か、と悩んでいたのだ。

 

さすがは「教育委員会に勤めている事が、我が生涯で最も自慢なことだ」と、親族相手にも言い張る叔母だと思う。

 

とりあえず(親族だから)お伺いです。

当初は、その程度にしか考えていなかった私に対し、紹介してくれた『学校法人など受験できる施設』の数は、大学の専門教員からの情報より、ダントツに多かった。

 

その叔母ですら『件の彼女』への対処法は、どうにもわからないと言うのだ。

 

一体、彼女の病とは、何なのだろうか?

 

私は医師ではない。

看護師の免状こそ持っているだけで、医学の知識として、深く学んだとは言えない、かなり悪い学生だった(と自負している)

 

その頃の私を、全力でパンチしてやりたいくらいだ。

今日も、今日とて、今日もまた。

彼女が倒れた!と「君が心配だよ」と言う顔色の学生が、保健室にやってきたのだ。

 

もはや慣れたこと。

まずは小さな冷蔵庫から、冷やしたお茶を出し、生徒用のカップ(自費で購入)にお茶を入れてやりつつ「座りなさい」と言う。

 

この<お茶だし>を始めてから「保健室の先生、チョ~優しい!」などと、言われるようになった。

 

ふむ、それは重畳。

いや、こんな事が日常となるくらい、倒れる彼女に問題があるのだ。

 

 

そうして、運び込まれてきた彼女を、空いているベッドに降ろしてもらう。

そこから出来ることは、体温などのバイタルチェック、そしてご家族への連絡を担任へ依頼する、などの事務作業くらいだ。

 

 

一度、家庭訪問でもした方が早いだろうか?

 

彼女のご家族とは、ほとんど連絡がとれないと聞いた。

前もって約束しておけば必ず会えるらしいが、突然の訪問だと、まず誰もいないと報告を受けている。

 

あれほど倒れる娘がいて、家に誰もいない?

 

もしも家の中に、誰もいない状況で、彼女が倒れてしまったら。

いったいどうするのか?

いま現在、どうしているのだろう?

急速に、心配になってきた。

 

もう、我慢も放置もできない!!

 

 

生来、疑問や興味を持つと、行動力だけは早いと言われて育ったわたしだ。

 

まずは、教頭からPTAへ許可を取ってほしいと依頼した。

そして叔母を通して教育委員会へも頼んだり、根回しはしっかりしてから、自宅訪問の約束を女生徒の実母に取り付けた。

 

叔母は「虐待の可能性もありますわ!」と、声だかに叫んだ事が功を奏したと言う。

「だからこそ<虐待についての調査>を、しっかり頼むわね!」

とのメールが、今朝になっても、しっかりと届いていた程だ。

 

随分と年代を感じる建物に、訪問先はあった。

呼び鈴を押すと、少し疲れた感のある女性と件の女生徒が、笑顔で出迎えてくれた。

 

「このたびは、わざわざ家まで、ありがとうございます。」

 

話し出したのは、女生徒の方だった。

何でも母親はかなり耳が悪く、電話ならばかろうじて、と言う聴力らしい。

逆の方が多いが、病院にはとても行けない故に、調べたことはないらしい。

入学時に担任や教頭、校長にも伝えていると聞き「なぜ、教えてくれないんだ!」と、心の中の叔母が叫んでいるイメージを思い浮かべ、思わず苦笑した。

 

「筆談でも良いか?」と訊いてきた声が、重度の疲れを感じさせる声で、心配だった為「持参した医療機器を使用し、バイタルだけでも計っても良いか?」と申し出た。

 

予想通り、バイタルの数値はかなり悪かった。

しかし、なぜ?

なぜ、二人揃って体調を崩す?

一体、何が原因なのだ?

 

出身大学の恩師へ電話相談し「付属の病院へすぐに搬送するよう」指示を受ける。

すると少女は、そっと腕をひき、私を室内へ案内した。

 

「先生、シックハウス症候群ではないのですか?」

 

ご近所の耳を気にしてか、こっそりと話しかけられる。

自分の症状や母親の症状から、自分なりに調べたのだな。

感心するとともに、他に相談できる相手もなく、どれほど不安や恐怖であっただろうと、こちらの方が泣きたい気分になった。

 

彼女が書き連ねた、二人分の症状のまとめは、市町村に提出できるのではないか?というほど、精密に描かれていた。

内容から、激しい怒りや憎しみさえも超越した<2人の生きた証>のように見えた。

 

 

かなり前だが、ホルムアルデヒドの問題が世間を騒がせた。

だが、ある程度まで収まった後から「生活困窮者への思いやりだ」と、大家夫妻は語っているが<入居審査は形だけです>と不動産関係者に周知させる事で、問題のある住宅であることを表には隠し隠蔽した。

故に、入居者が次々変わろうとも、不動産会社ですら<便利物件>として扱っているのだと判明した。

実は、そうした問題を抱えた住居は多いと、紙面を騒がせるような事態にもなった。

 

しかし、また世間の注目度がなくなると、大家こそ変われど、多くの<住宅困窮者>が、入れ替わり立ち代わり、暮らしていると言う。

 

 

あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。

いま、母親の車いすに献花をのせ、墓地へ向かう君は、何を考え、あの建物を見つめているのだろうか。

 

自分たちを置き去りにした、父にだろうか。

ホルムアルデヒド問題を忘れかけた、世間にだろうか。

 

 

わたしには想像することしかできない。

だがそれは「憎悪」とも違う、何か「憐れむような気配」さえをも感じさせている。

 

 

「行こう。夕方から、また雨が降るらしいよ」

 

年齢を重ね、少しづつは丈夫になったと思う彼女だが、今もなお、後遺症の数々に悩まされている。

目眩などは、常なのだから、心配でならない。

 

「大丈夫ですよ、もう」

 

いつも微笑みを絶やさない彼女だが、この建物の前でだけは、表情を消す。

自分にできる事は、ただ隣で立っていることくらいだ。

 

そしてわたしは、彼女の母親が、病の果てに書き遺したメッセージを、強く想う。

 

 

 

<こんなにも哀しい病など、この世界中から、1日も早くなくなりますように>