🌈「マイブーム」というものがあります^_^

世間で流行っているブームとは違い、自分の中で流行っているもの、最近、自分がハマっている事などを「マイブーム」と言うようです。


ここでは、「マイブーム」ならぬ「マイ陰謀論」を展開したいと思います。

爆笑

ネット等で話題になる「陰謀論」ではなく、自分が普段生活するなかで、

「これは陰謀ではないのか?❗️」

と思うことを、勝手に検証し、陰謀論的な「仮説」をつくること。これを仮に「マイ陰謀論」と名付けようと思います🫡



マイ陰謀論①  

⬇️

『演歌』は本当に「日本の音楽」なのか❓❗️



「演歌は日本のこころ」だと言われています。

しかし、よく考えてみたら、「日本のこころ」❓

ってなんだろう〜、、⁉️


日本に古くからある「歌舞伎」や「能」「狂言」「民謡」、または「茶道」などの伝統芸能と言われるもの。それらは便宜的にせよ、日本古来のものだから「日本のこころ」と呼んでも差し支えないでしょう^_^


しかし、、

「演歌」の歴史は浅く、決して「日本の伝統芸能」ではないのです。


参考資料⬇️



星

演歌の歴史は、明治時代の自由民権運動から生まれた「演説歌」を略して「演歌」と呼んだことから始まった、とされています。

しかし、これらは私達の知る「演歌」の楽曲とは遠いもので、現存する「演歌」の起源は、昭和40年代頃から(1970年頃から)と考えて良いでしょう。戦後の歌謡曲のひとつのジャンルとして、作られたものが「演歌」です。


レコード会社、作家、作曲家、歌手、、そしてマスメディアが、それまでの歌謡曲からジャンルとして成立させたもの。歌の中に物語的要素を強調し、寂しさ.孤立感.男女の悲哀.別れ.それ等を怨み節に歌う「怨歌」または「艶歌」と名付けたものが、「演歌」と表記されるようになった、ということのようです。


1966年、作家の五木寛之氏が、「艶歌」という小説を発表し、それが「演歌」のコンセプトになったのだ、とか😊



その小説「艶歌」から3年後の1969年、

藤圭子が『新宿の女』でデビューします。

翌70年には同名アルバム『新宿の女』を発表し、オリコンチャート1位を獲得します。


これこそ「怨歌」だ❗️

と彼女の歌を、五木寛之氏も絶賛し、イメージしていた「演歌」というジャンルが確立されていったようであります。「演歌歌手」はその後も、都はるみ.五木ひろし.石川さゆり.八代亜紀、、等など次々と輩出され、年末の紅白歌合戦の常連となっていったのでした。

テレビに映る演歌歌手たちは、着物を着ていて周囲のファッション性とは一線を描き、伝統的日本人を演出しています。

流れ星

藤圭子「新宿の女」のレコードが発売されたのは、1969年。

1969年は、ベトナム戦争の最中で、世界的に反戦運動が活発化していました。

ジョンレノンは、ベトナム戦争反対のメッセージを歌で表現し、伝説となったロックフェス「ウッドストック」でジミ・ヘンドリックスはアメリカ国歌を歪んだ表現で演奏しています。世界的に音楽はロックが支持され、アーティストは「LOVE & PEACE」愛と平和を掲げ、メッセージ性.生き方そのものを問う、新しい創造性が生まれていたものと思われます。音符


日本でも学生を中心に反戦運動や、70年安保闘争など学生運動が激化し、東大安田講堂事件が起きたのも同じ1969年。東大の逮捕者は600人に及ぶという、鎮圧する側の危機感さえ感じます。

三島由紀夫が東大で全共闘の学生と公開対談に臨んだのも同じ年。この模様は映画になってますが、映像を見る限り、三島由紀夫と学生達は有意義な話をしていて、「日本の真の独立」という一点において同じ目標だと認識できます。


安保闘争や、その後に自決する三島由紀夫など、多くの日本人が強く望んだのは、「アメリカからの真の独立」であり、属国から脱却する為に命がけだったのだ、という気がします。

東京では新宿を中心にデモが続き、新宿はデモに集まる学生などで溢れていた、のだとか…


そこへ現れたのが『新宿の女』。。

後に語られるのは、当時の全共闘の若者が、この歌に共感し、口づさんでいたのだとか🤔

はたして、本当でしょうか…?




花火

「日本のこころ」と聞いて、思いうかべる歌は、「ふるさと」などの唱歌ではないでしょうか?


〜うさぎ追いし かの山…

〜菜の花畑に 入り日うすれ 見渡す山の葉…

とか、「おぼろ月夜」などの歌を、私は思い出しますキラキラ


学校で習ったこともあり、メロディ♪もすぐ出てきます。口づさんでいる、馴染みやすいものです。

日本のこころ、と言うなら「日本の民謡」をあげる人もいるでしょう、年代によっては「軍歌」をあげる人もいるかもしれません。

民謡の歌手の方もおられるはずですが、テレビではあまり見ませんね…。


演歌のメロディは、独特の雰囲気があり、やはり暗い感じになっています。意図して、そのような「怨歌」怨み節、情念、を歌いあげるものなので、暗さは否めません。

日本の民謡は、もうちょっと「お気楽」とでも言うか、のんびりした「お花畑」感があるように思われますチューリップおそらく、

日本の民謡は、演歌のルーツではないでしょう。


「演歌のルーツは、韓国にあるのではないか?」

電球

ネットで検索すると「韓国民謡」に似ている、韓国の「トロット」が日本の演歌より先で、トロットを日本に持ち込んだのが「演歌」だ、

という様な声があるようです。


演歌の作曲家の人でなければ、真相はわかりませんが😅こういった韓国の曲にヒントを得て、情念や男女の悲哀、こぶしを震わせて歌いあげるような曲調に仕上げて作ったものが、「演歌」ではないだろうか?と演歌の曲調やルーツについては、そんな気がします。


そもそも「演歌」とは、

戦後の歌謡界が作りあげた一つの「企画もの」なわけですから、ルーツは何でも良いはずで、「怨歌」のコンセプトに合う曲と詩があれば良いのです。それよりも、

この「怨歌」、いや、「演歌」を日本に流行らせた目的はなんだったのでしょうか❓

商業的には、ロックの方が世界的流行もあり、若者にもウケたであろうに、同時期に「演歌」というジャンルを確立させたのには、何か意味があると思われます。




飛び出すハート

時代のエネルギーが新しい創造性に向かおうとしている、若者が声を上げ、日本の真の独立、アメリカからの脱却という点にエネルギーが注がれるとき、内部から別のエネルギーで引っ張り込み、日本人を内省に向かわせる、内側の人間関係にエネルギーを注がせるもの……、、


ここからは、想像する勝手な仮説でしかないですが、、


「演歌」が登場したのは、日本人を内省に向かわせる為のひとつのツールであった、と結論づけたいと思います。

物申す


文中、韓国のことを出しましたが、あくまで推測だけの話ですので、ご了承ください。また歌手の誰かが韓国人だとか、演歌は韓国だと言うのでもありません。演歌の曲調は、トロットや韓国民謡と似ている、という意見があるというだけです。


ネットでは、日本人が一番偉いと言う意見の人が今だに根強いと感じます。

何かと言えば、隣国が悪いと言うのもおかしな話です。そういう情報を流す「ネット右翼」というのは、全て政府系工作員なのでしょう。

一般の日本人の意見ではない、と思うのが妥当ですキョロキョロ


話は飛躍するかもしれませんがお願い

在日問題や同和問題、差別に関してタブー視されるというのも、おかしな事です。日本.韓国.北朝鮮、中国など、差別や被差別、または逆差別についても、普通に語られる事がなければ、ただ対立を作るばかりで、支配者層の思うままに動かされていると思います。

フラットな庶民と庶民の対話が必要です。

キラキラ

教えられた戦後の歴史が、双方にとって矛盾だらけであり、誤解される点などが出るでしょうが、

戦後の時代背景や、現在と未来の日本を考える際にも避けて通れない問題かと思います。

GHQが日本統治の際に、わざわざ問題を残しコントロールに利用したのが「在日」「同和」問題だろうと思われます。


長くなりましたので、続きは次回にしたいと思います。ありがとうございました🙇🏻‍♂️