はじめまして、まずここに目を通していただきありがとうございます!
早速ですが、ぼく個人の話を少しいいですか。夢があります。夢、海外に行きたい、起業したい、家庭を持ちたい、おおよそ人生で経験するであろうことすべて体験したい。
とまぁこんな感じである意味一般的ですよね、今はこんな風に夢を簡単に書けるし口にもできる。ようになった。人生一度きり、だったらやりたいことをやろう。
そう簡単な話。ただ、それすら気づけない堕落した自分が過去には居ました。一日が長いと感じる日もあれば短い時もある。一日に目を向けなかった時もある。何となくが日々だった。当たり前だった。ふと子供時代を振り返ったんです、純粋でまっすぐにこの社会の縮図であろう学校の規則に沿って過ごし定時に帰宅する。そして遊ぶ。宿題も終わらせ明くる日にまた小さい社会を体験する。なんて合理的だろう、課外受業もあって、、、と今思えばとても良い環境だったと思います。そしてここにいじられキャラという一つのワードが出てきます。小学生で貫き通したキャラで中学へと想像を膨らませていました。これが早い話、受けなかった。というより不器用だった。カースト制度という言葉をあえて使うと、クラスのいわゆる一軍と呼べる人達は大半がツッコミに属しています。いじられキャラの受け身では到底理解出来ない彼らがあったんだと今振り返ります。この二分された性格がこの先の人生にまで及ぶとは当時に考えられるはずがありませんよね。もう一度言うとぼくは不器用なんです。必ずしもいじられキャラの運命が義務付けられてるとは言いません、もう少しやり方があった。と今なら思います。
いじられキャラとツッコミ、極端な話、守りと攻め。これが社会に出ても構図が変わらないことがわかりました。守りより攻め、攻めたほうがいい、これが世の中。だったら攻めよう。話を戻すと当時なら殴り合いの喧嘩でも守るよりはよかった。
今に出来る攻め、それは挑戦すること、何でもいい、気になること将来に向けての一歩を踏み出そう!よく弱い犬ほどよく吠えるなんて人は言うけれど、僕は思う、吠えれるだけ凄いんじゃないかって。道端で見かけるカマキリの赤ちゃんもそう、何かあれば臨戦態勢に入る、そういう姿勢、攻めの姿勢が過去にはなかった。
そしてもう一つ、挑戦の果ての成功体験、これが生きることなんじゃないかって思う。
成功体験の塵積も。どんな小さいことでもその経験が人生なんじゃないかって。でも挑戦なくてはこれらは得られない、だから挑戦する。成功と失敗は表裏一体、の前に挑戦しないことには失敗もない。ぼくは挑む。世に宣戦布告する。
とこんな感じに長々と僕の書き言葉に耳を向けてくれて有難うございます。これからは挑戦ブログとして今自分が挑戦してること、やろうとしてること、興味のあること、発見したことを軸に投稿し続けます!先ずはブログを書くこと、これが今の小さな挑戦です。改めてご清聴ありがとうございました。ではまた次に!
追記:早めにアイコン変えるかもです。今製作中です。