The Sutchy says

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過去にいろいろクローズなところで書いたブログを整理するために始めました。
新しいのも書くよ。

Amebaでブログを始めよう!

前回投稿した『進明中学校同窓の集い』https://ameblo.jp/sutchy/entry-12389711363.htmlで披露したオタクダンスの第2回全体練習が終わり、帰りの車に乗ろうとしたところで、トモカがぼくにボソッと言いました。

 

「本当は実行委員会の会長はオオタニくんやったんやよねぇ」

 

オオタニ!

懐かしい名前!

 

ぼくたちは、進明中学校を卒業すると同時に進明中学校同窓会に入会となります。

そしてその時点で、クラス委員が決定されていたのは憶えています。

 

そうか、その時に実行委員会会長も決められていたんだ。

そしてそれが、生徒会長だったオオタニだったのか。

うん、思い出した。

 

しかし実際には会長はイワガミが務めることになりました。

 

その理由は、オオタニがすでに故人となっていたからです。

 

 ◇

 

オオタニが亡くなっていたことは、ぼくが地元に帰る時には必ず会っていた唯一の友達ジュンの葬儀の時、彼の母親から聞きました。

ジュンは40才で。オオタニはその1年ほど前だったそうです。

 

ぼくたち3人は、1年の時同じクラスでした。

 

オオタニは、勉強はよくでき、ハンサムで運動も得意。
お母さんが英語教室を開いていて、中学からやっと「I have a pen. I have an apple.」なんてやってるぼくたちの何十歩も先を進んでいます。

 

こんな奴は悪ガキに目を付けられそうなもんですが、腕力があり喧嘩も強いという評判(当時の中学生男子は、けっこうそういうことを気にするんです)もあり、また、気さくな性格だったので、誰かとモメたという話を聞いたことがありません。

 

おまけにエレキギターを弾きこなすという、お前はドラえもんに出てくる出木杉くんか!みたいな存在でした。

 

 ◇

 

オオタニとは、2年生に進級するときのクラス替えで別々になってからは、あまり話すこともなくなりました。

 

卒業してからは一度も会ったことはありませんし、その後の彼の消息についても知りませんでした。

 

いったい、出木杉くんはどんな大人になっていたのでしょうか。

 

 ◇

 

これも前に書いたとおり、同窓会では『羽ばたき』という文集を配布することになっています。

 

本来は当日もらうはずの『羽ばたき』ですが、トモカはその日すでに完成していたそれをぼくにくれました。

ぱらぱらとめくると、担任の先生が書いていたのでまずはそれを読み、次は自分のを。そして隣のページの同じクラスのアンちゃんのを読みました。

 

各クラス2名の寄稿と聞いていたのですが、1枚めくるとまた同じクラスの人が書いた文があります。

なぜか6組だけ、3人が寄稿していたのです。

 

3人目のミズノが書いた文のタイトルは『大谷 実 くん』でした。

 

 ◇

 

中学の時、ミズノは幼なじみ同士でバンドを組みました。

しかし素人集団、何から始めたらいいのやらとなっているところに、オオタニを紹介されたそうです。

初めてスタジオに入り、音の作り方を丁寧に教えてくれるオオタニはとても頼もしく、カッコよく見えたと書いてありました。

 

そしてミズノは、その後のオオタニについても少し書いていました。

 

なんと彼は、あの松井秀喜に深い影響を与えたそうです。

 

驚きました。

どのような状況だったのでしょう。

ぼくは、帰宅後すぐ、『大谷実 松井秀喜』で検索を掛けました。

 

 ◇

 

オオタニは、NHKでディレクターとして働いていたそうです。

 

そして巨人からヤンキースへと、メジャーへの挑戦を果たした松井のドキュメンタリー番組を制作して、それが高い評価を受けた。

NHK内でスポーツドキュメンタリー番組のエース的存在になっていったそうです。

そして、これも後に大きな話題となる『ONの時代』に携わるも、その完成を待つことなく彼は亡くなりました。

このことが、雑誌の記事となって世に出て、それをミズノは読んだようです。

 

 ◇

 

ぼくはどうしてもその記事が読みたくなりました。

 

雑誌名と、何年の何月何日号かは分かりました。

しかし8年も前の雑誌です。

通販や古本屋のサイトを見ても見つかりませんでした。

 

しかし、記事のタイトルで検索したところ、国立国会図書館には蔵書されていました。

新聞がすべて残されているのは知っていましたが、雑誌までとは驚きです。

そして今は、直接出向かなくてもコピーして送ってくれるサービスまでありました。

 

さっそく申し込むと、1週間ほどでA3用紙2枚、4ページ分の記事が郵送されてきました。

読み始めると、ぼくはまばたきも忘れて、食い入るように何度もその2枚に目を繰りました。

 

そこに書かれていた男は、ぼくの知らないオオタニでした。

 

ガンが見つかった時には、すでにステージ4。

仕事か延命か。オオタニは迷わず仕事を選んだそうです。

 

治療は通院で。

スタッフに知られないよう、髪の抜ける強い薬は使わない。

大事な取材の前には、頭がぼーっとするのを避けるため、痛み止めを飲まずに想像を絶する痛みに耐えた。

 

最期の日、母親の言葉に一筋の涙を流すオオタニのくだりでは、ぼくの目も、まばたきなしでも目が乾くことはなくなっていました。

 

 ◇

 

『進明中学校同窓の集い』で、オオタニのいた2組の担任だった加藤先生の手には、ギターを持ったオオタニの写真がありました。

【ちなみに前回のブログ冒頭で、「〇〇先生がいつまでもお元気でいらっしゃいますように」と短冊に書かれていたのはこの先生です】

 

ぼくは、オオタニが予定どおり実行委員会会長を務めることになっていたら、どんなディレクターっぷりを発揮したのだろうか。

そう考えずにはいられません。

【同窓会会報誌『羽ばたき』中表紙】