M25 vol.275 ユン・サンヒョンインタビュー 翻訳 | S feeling

M25 vol.275 ユン・サンヒョンインタビュー 翻訳



こんばんは!

週末いかがおすごしですか?・・・と、サンヒョンのブログみたいな書き出しではございますが・・・(´△`)

新しい消息が出る前に、書きたかったテーマをちょっとずつ、書いてみようと思います。


まずはじめは、
映画の公開時に韓国で無料配布された”M25"という、その名のとおり、
25歳のフレッシュな社会人向けの小冊子に載ったインタビューです。

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<윤상현> 난 이제서야 배우로 시동 거는 중이다
<ユン・サンヒョン> 私は今やっと俳優として始動するところだ


【出処:M25


“あぅ~, 男性記者の方たちとばかりインタビューしている途中女性記者様がインタビューしてくださって良いですね!
男たちばかりと話をすれば気がグイグイとせかされる感じだったんですよ, ハハハ!”
相変らず木村拓哉のように素敵でダンディーなユン・サンヒョンがこんなに気楽にあいさつをしてくれるとは思いもよらなかった.
確かに <内助の女王> ‘テボン’を通じてもう確認したように, ハンサムでゴージャスな外貌の合間にちょっぴり滲み出る, 少しおちゃめな親しみやすさが彼の魅力だったから.

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[サインの言葉: M25 読者のみなさんへ いつも楽しくて、幸せな人生になることを・・・]


映画デビュー作, 第一ボタンを良くかけるのが目標だ

映画ではデビュー作なので感懐から尋ねてみなければならないようだ.

このごろ一日一日が修学能力試験を受ける受験生の気持ちだ.
放送は撮影してから視聴率がすぐ出るから 4回ほど撮ったところでどんな結論が出るのか直感できるのだが, 映画は封切り直前まで一体これがよくできるかだめだろうか感じ取る事ができない(笑).

これまで映画側からキャスティングオファーが多かったでしょうに
<音痴クリニック>を初作品に選択した理由を知りたい.


これまでちょっと明るいキャラクターをたくさん演技したから映画では別のイメージを見せたかった. ところでそれは私の欲心だった.
果して観客たちは大きいスクリーンで私が誰かを刀で切りつけるようなこと, つまり暗いユン・サンヒョンの姿を望むだろうか、ということだった。
.それよりは第一ボタンをよくかけることに意義を置く事にした.
だから私が一番よくすることができる分野の演技で観客たちと初遭遇をするのが合うと思った.
それでコメディージャンルの <音痴クリニック>を選択するようになったのだ. 映画の中で女性のためのセレナーデも歌う(笑).

視聴率が良かった作品を見れば, ‘カドナム(愛想のないオレ様男)’ イメージにコミックキャラクターが軽く加わって, 劇中で歌を歌った作品(<内助の女王> <シークレットガーデン>)が結果が良かった

.うーん, 今度もざらざらしてつやがない男で劇中で歌も歌うのは当たるのだけどビジュアルがちょっと ‘ハズレ’だ(笑).
ちょっと汚ない男だ. 服もかなりの安物で甚だしくは小さく着て出る. 劇の全体的な内容とキャラクターのためにビジュアルをあきらめたが, それがどんな結果につながるか知りたい.
どうか、次回作を撮るのに無理がないように、第一ボタンだけよくかけられれば良いだろう(笑).



歌手より演技者である私がもっと好きだ

本来夢は歌手だった. どうやって俳優になったのか

実はソロ歌手が夢だった. ところが会社では 20代の子供達 3人をさらにくっ付けて 4人組みグループをしろと。
その人たちの歌を聞いて見たら、みんな個性もとても強くてこれは違うようだった。
でも会社では私が年上でファン確保に無理があるから、そのようにしなければならないというんだ.
そんな時期に会社でプロフィール写真を撮ってインターネットに記事を出したがその写真を見たドラマ監督様たちから以後電話をすごくたくさん受けた.
問題は直接会ってシナリオを読み上げればみんな私にがっかりしたということだ。
皆 “お前みたいに完璧な作りの子がシナリオはどうしてそんな風に読むの?”と言った位だった.
ところで実はそれも仕方がないことだった。. 元々私の夢は歌手だったから。


そんなに演技がむちゃくちゃだったと言ったが結局演技者でデビューした.

ドラマ <百万長者と結婚する方法> PD様のおかげだった.
当時プロフィール写真を見て連絡をして来たドラマ PDと主人公オーディションを 4‾5回受けたがすべて落ちた.
それなのに私を捜してくれた方だ.
PD様カが言うには私がしきりに夢に出ると,
約 2ヶ月間私を毎日 SBSへ呼んで演技勉強をさせた.
ところでなぜか, 演技はさっぱり上達しなかった.シナリオ覚えて読むレベルだった.
その状態でほとんど強制的に演技を始めるようになった.
実は私にとって演技がもう強要ではなく、したいことに変化するようになったきっかけはドラマ <冬鳥>を撮ってからだった.


どんなきっかけがあったのか.

会社問題が起こった. ドラマは昼夜長天撮ったが会社の状態が苦しくて私の出演料が出くなり始めたよ。
弱り目に崇り目 その時お父さんが脳梗塞で麻痺まで来る病気を負うようになった。
分かってみれば若い時代飲まず食わずして溜めた老後資金で不動産投資が失敗してストレスで病気まで患ったのだった.
病院費もなかったし、その借金利子を返済することができなければ家の差し押えが入って来る状態だった.
一言でどうやって暮すか ‘八方塞’だった.
実はその頃演技にも疑問が生じてすべて放り出して粉食屋して服の商売して集めておいたお金で飲食店を出すつもりだったが結局計画がダメになった。


当面の生活のため演技をするしかなかったのか

そうだった. あの時私にとって演技しかすることがない状況だった.
作家でも監督でもだれが見ても熱心にしてお上手だと言えるだけ熱心にするのが目標だった.
そんな心である時また会った作品が <冬鳥>であった.
熱心にしなければならないという一念でキャラクターに掘り下げて見ると暗いキャラクターにコミックなすねる部分を入れるアイディアも生まれたし, その反応が良かった.
今振り返ればお父さんがありがたい。
実は当時にはお父さんが倒れてから生じた一連の事件を片付けるのに苦労したが, もしその時そんな事件がなかったら私は演技をやめた側で多分今は食堂を運営しているだろう.


演技する時これだけは必ず守らなければならないと固執することがあるか.

私は俳優が劇中キャラクターになるために準備する過程を <冬鳥>を一緒にしたパク・ウォンスク先生を通じて学んだ.
俳優たち同士はそれを ‘始動させる(시동 건다)’と表現するが当時先生が始動させるのを見てとても驚いた.
先生は演技は無条件心よりしなければならないと言った.
その本気に行く過程こそが私には必要だった。


関心ある分野の中の一つがヘアーデザインだと.


私がそういうことが上手いのだ。
軍隊にある時先任たちの頭を私がすべて理髪した.
除隊後にはお父さん頭を整えて上げたし.
ところで私が見るにもかなりやる(笑).
機会や余力があれば日本へ行ってヘアーデザインを学んで見たい.
留学後にはその技術を広げるヘアショップも出してみたくて.
ああ、, あれこれ好奇心だけ旺盛で、やってみたいことが散らばるね。
このごろには 10年前にやめたギターもまた学んでいるし, 作品のためピアノ講習もまた受けている.
最近ではイタリア料理にハマってそれも学んで見たくてしかたない。
また日本公演を目標に以前音楽した友達と一緒に演奏も合わせて見ているし歌もずっと練習中だ.


そんなに忙しければ結婚はいつするんですか

ああ、 そのとおりだ. この年にもなって~どうする!
日常大部分が仕事で, 残る時間は学ぶことに割く.
このようだから女性に会う時間がない.
時間的余裕があると人も目に入って結婚もするだろうという話だ。
私が欲心が多い.
仕事も逃すことができないし音楽も逃すことができないし. 今は本当にあやふやな時期だ.
しかし女性を除いて残り結婚準備はすべてできたと言うこと‾! それは必ず言ってさしあげたい。


振り返ればどうなのか. あなたは成功した人か.

他人達は成功したと話す. 私の友達は私を見て、小川から竜が出たと言って. 知人のひとりは、パジュの田舍でユン・ドヒョン以後ユン姓の中で一番成功したのが私だと言っていたよ(笑).
ところで私はまだよく分からない. 厳密に言って私は私の演技経歴の手始めを <冬鳥>(2007)からだと思っている。
そうやって計算すればやっと手始めであるわけだ.
まだ演技者として私は見せてくれることもあまりにも多くて, しなければならないこともあまりにも多い.


$S feeling



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いままでも何回も語られてきた話ですが、

韓国のインタビューはサンヒョンの普段の姿が見えるみたいな気がしてホッとします。

とにかくいつでも誰に対しても正直で率直な人。


M25をなぜピックアップしたかったかと言うと、実はこれだけではないんです。

次回書きますね。


寒さが堪えますね(T-T)
風邪など引かないでください!

良い週末を~~!!


P.S::: 余裕がある今、女性と出会うチャンスなのでしょうか・・・
なにとぞ、次回作を早急に・・・(以下省略ㅠ)