お久しぶりです。
4年の若山美々李です。
先日のカンカレをもって、水泳部を引退いたしました。そして、自身の競技人生にも幕を下ろしました。
、、、ということで
ついにこの時がやってきました。
一度完全に3年生での引退を決めていた私にとって、1年越しの引退ブログです!!
ここで先に言わせてもらいます。
きっと皆さんが想像している引退ブログとは少し違うと思います。
また、これを読んで驚かせてしまったり、私の印象が(色々な意味で)変わってしまう人もいるかもしれません笑
このブログをどれほどの人が読んでいるのかは分かりませんが、
私なりの経験や感情を、このように他人に向けて文章にするのはあまり無い機会なので、個人的かつ少し重めの事情も含め語らせていただきます。
とっても長くなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです🌱
(冗談抜きで長いです)
すでに前置きが長いので、まずは単刀直入に。
カンカレ(公開競技)の3日前に、私の大好きな母が他界しました。56歳、胃がんでした。
少し遡ると
私の母は約6年半前、私が中3の冬から白血病を患っていました。
私の都立推薦の合格発表日に、
「体調が優れないからちょっと検査してくるね〜」と母は病院へ行き、白血病が発覚。
蓋を開けてみればものすごく危険な状態だったため、そのまま緊急入院でした。
私は無事に合格できたものの、周りはお祝いムードどころではなく、コロナも重なって母とは突然2ヶ月以上会えませんでした。笑
この時期もなかなか大変でしたね🙂
まぁ白血病は治療法が確立されているので、入院と通院を繰り返しながら、母の強さもあって約3年で寛解しました。
そして、
私はめでたく上智大学に入学、散々大学では辞めると言っておきながら悩んだ末に水泳部に入部、レポート地獄、初めてのカンカレ、夏休みには同期ディズニーや家族旅行〜
と、ただ忙しなく日々を過ごし、もうこれからはこんな日常が普通に続いていくと思っていました。
ですが9月頃、母の胃がんが見つかりました。
発見された時にはすでにステージ4。
しかも、胃がんの中でも悪性でタチの悪いタイプだったため手術は困難で、
このまま何もしなければ余命はあと3ヶ月〜半年と宣告されたそうです。
私がちゃんとそのことを知ったのは、忘れもしない10月30日。
体調不良か何かで1限ACと部活をサボっ、、じゃなくて休み、母と2人きりになった時に聞かされました。もう大号泣でした。
ドラマか何かの話かな?って思いました。
私の成人式の振袖姿や引退試合、卒業式の袴も見せられないかもしれないし、もっともっとその先の私の人生に母はいないかもしれないなんて想像できませんでした。
部活も続けていていいのか、そもそも"3年"の引退まで続けられるのか、色々と不安でたまりませんでした。
その次の日に、部室で同期の女子に泣きながら話しました。
みんなの優しさや心強さに触れ、この人たちが同期で良かったと、心の底から思ったのを覚えています。
また、母は「大学生活を思いっきり楽しんでいる姿が見たい」と言っていたのもあり、
この同期たちとなら、楽しく精一杯に部活や幹部をやり遂げたいと思えました。
一方、母も抗がん剤が合っていたのか、明るく強靭な精神力ゆえなのかは分かりませんが、
通院治療を続けながら日常生活は送ることができていました。そして3ヶ月、半年、1年とあっという間に過ぎました。
ここまで抗がん剤の効果を得られるのは珍しいらしく、まさに奇跡的だったそうです。
でも母がすごすぎて、余命宣告を受けた人には見えないし、もうそれが当たり前みたいに感じてしまっていました。
ここでようやく水泳の話をします。
(ちゃんとこのブログを終着点まで持っていけるか不安になってきました)
そもそも私は、高3で引退したときに、
「もう大学で水泳はやらない」と決意したはずでした。
都高校では100Brも200Brも決勝9位で関東大会にすら出れず、
JO最終予選では、チャレンジレースであと0.3秒ほど標準記録に届かず、
1番悔しさが残る形で終わりました。
悔しすぎて水泳で大学を選ぶことも頭をよぎりましたが、
母に「新しいことにチャレンジする姿も見てみたい」と言われ、上智を目指し、何か別のものを始めようと思っていました。
ですが、やっぱり心の奥底では消化不良で、あろうことか水泳部の体験に行ってしまいました笑
その日の帰り、四谷駅でまさとと1時間くらい話し、勧誘され、悩んだ末にGW明けに入部を決意しました。
その時に私が立てた目標は、
「短水・長水全てのBrの部新を更新する」
でした。
正直なところ、もちろんインカレに出たい気持ちはありました。
そして、高校時代のベストタイムなら、十分に目指すことができたのも分かっていました。本気で頑張れば。
ですが結局、私は3年半のうちに、個人でインカレに出たいと口に出せたことは一度もありませんでした。
また目標を達成できずに終わってしまうのが怖かったし、自分がまたそこまで本気になれるのか、水泳を好きでいられるのか、自信がありませんでした。
強い人なら過去の悔しさをバネにするのでしょうが、私にはそんな強さはありませんでした。
そのくせ、高校時代のタイムや泳ぎに囚われ、当時のライバルがベストを更新したり、インカレや日本選手権になどに出ている姿を見て、自分もブランクなく続けていたらあの舞台に立てていたのかな、なんてしょーもないことばかり考えていました。
そんななかで母の病気が発覚し、ますます自身の中で勝手に、
「他にもやることがあるから」「家族の時間も大事だから」「高校時代とは環境が違うから」
などと理由をつけて、逃げ道を作っていました。
ずっと自分が醜くて情けなかったです。
だから最後まで部活をやり切りたいとは思ったものの、
毎回試合が来るのが怖くて、マネさんにエントリータイムや目標を送るのも不安でたまらなくて、新しい水着を買う価値が自分にあるのかと躊躇って、、
練習も自分の基準ではなく、他人から見て頑張っていると見えるように頑張ろうとしていた気がします。
そして、何度も何度も退部が頭をよぎり、母や親友に「部活を辞めたい」と真剣に相談したこともありました。
今まで水泳を続けてきて辞めたいと思ったことはありましたが、実際に口に出して相談したことは初めてだったので、
母も、相談してくるほどなら辞めた方がいいと思うよ、と言ってくれました。
それでもいざとなると辞める勇気はないし、かっこいい先輩方や慕ってくれる後輩がいて、
何よりも同期たちとの時間や空間が楽しすぎて、結果的に辞めることができませんでした。
辞めずにいることができました。
そんなこんなで、合宿や2回目のカンカレを乗り換え、幹部期間が始まりました。
色々と同期の中で対立があったり、MMも私でいいのかという思いは消えませんでしたが、悩んで挫けて後悔していくなかで沢山のことを学んで成長することができました。
私の人生の中でも濃くて貴重な時間になったと思います。
ただ、絶対にこの3年のカンカレで引退しようとは決めていました。
母の病気は絶対に治ることや良くなることはなく、余命もそう長くないのは確実だったからです。
周りの方々から、
「あと1年やらないの?」
「引退するの寂しいので残ってください」
「リレーのブレがいなくなるので続けてください」
などと沢山言ってもらいましたが、あまり心が動くことはありませんでした。
自分の意思での決断ではなく、周りの言葉に流されてあと1年続けて、もしその間に母が亡くなってしまったら
結果的に自分が決めたことと言えど、周りの人や言葉を恨んで憎んでしまいそうだったからです。
それは絶対に嫌でした。
それでも最終的に続ける決断をしたのは、
「もっと一緒に泳ぎたい」
「リレーでインカレを目指して頑張りたい」
という言葉を聞き、素直に自分の心からもそう思うことができたからでした。
最後の1年間は、一旦結果は置いといて、
やっと水泳と、そして自分としっかり向き合うことができたかなと思います。
徐々にガンに蝕まれていく母を見て、自分でも気づかないというか、自覚したくないような心の辛さや苦しさも確かにありました。
それでも辞めたいと思うことはなく、もうやるしかない、最後までやり切りたい、という強い思いが芽生えていました。
1年生と一緒に泳げたのも、過去一緊張したラスト上南戦も、インカレ突破のレースを間近で応援できたのも、毎週土曜の練習後にウェイトのメンバーでヘトヘトになったのも、
3年生で引退していたら経験できないことでした。
こんな最後の1年間を過ごせたのも、部員のみんなや尾関さん、島先生、OBOGの方々のお陰です。
本当にありがとうございました。
そして、7月4,5日のチャレンジ公認記録会が、母が見た私のラストレースとなりました。
その週に緊急入院となっていたため、病院でYouTubeを見てくれていました。
レースは散々な結果でしたが、その後にLINEで
「感動したよ〜!良く頑張りました!」
と送られてきたのを見て、
なんだかんだ辞めずに続けている私を、母は1番側でずっと応援してくれていたんだと、
そしてその頑張りが母の励みや喜びになっていたんだと感じました。
だから、結果的に母は私の引退直前に亡くなってしまいましたが、続けると選択したことに後悔はありませんでした。
やり切ったこと自体に意味を感じることができ、やっと少しだけ、自分を認めることができました。
でも、最後にわがままを言わせてもらうと、
カンカレでの引退レースも見届けて、応援して欲しかったです。
お疲れ様、今までよく頑張ったね!と抱きしめてほしかったです。
私も、ここまで何不自由なく生活させてくれて、水泳を続けさせてくれて、ずっと側で見守って応援してくれてありがとう、大好きだよ!と抱きしめたかったです。
22歳にもなってお恥ずかしいですが笑
ただ自分語りの稚拙な文章を長々と書き連ねてしまいましたが、伝えたいことをまとめるなら、
今の当たり前と思っている生活や環境も当たり前ではありません。
自分の力だけでは成り立ちません。
だから何より、家族や部員、周りの人への感謝とリスペクトを忘れないで欲しいです。
どんなことでもどんなレベルでも、一生懸命に頑張っている子を、親は誇らしく1番に応援してくれていると思います。
また反対に、思っているよりも自分の行動や態度、日々の頑張りは周りに影響します。
良い意味でも悪い意味でも、絶対に誰かが見てくれています!
あとは、、、
私みたいにならないように、目標はぜひ口に出してください。少なくとも、上智の水泳部には人の目標を馬鹿にする人なんていないはずなので!
そしてそして、
結局のところ部活での日々を一番楽しく濃く過ごす方法は、水泳に熱くなって真剣に取り組むことしかない、と私は思います。
部活でのかけがえのない時間や素敵な出会いを無駄にしないようにして欲しいです🍀
私は、ここで出会えた同期が本当に一生の宝物だと思えるくらい、みんな尊敬できるし大好きです!!!!
66代じゃなかったら、こうして引退ブログを書くこともなかったと思います。
ほんとにありがとう。
最後になりましたが、改めて。
長年、水泳部顧問として、お忙しい中いつも水泳部の活動を見守り支えてくださり、気さくに話しかけてくださった島先生。
もうすぐ顧問から離れてしまうのは寂しいですが、島先生が居てくださる間に入部して引退できたこと、嬉しく思います。
ありがとうございました。
誰よりも、水泳と上智大学水泳部について考え、時に厳しくご指導してくださった尾関さん。
MMとしても、スイマーとしてもすごく親身になってアドバイスをしてくださり、本当にお世話になりました。
ずっとタイムが伸び悩んで試合で結果が出なくても、見捨てずに、可能性を見出してくださりありがとうございました。
最後は結果で恩返しがしたかったのに、不甲斐ない結果で終わってしまい申し訳ないです。
それでも尾関さんがいてくださってこその、私の部活の3年間でした。
その他、常日頃からご支援くださるOBOGの皆さま・刺激を与え合い、高め合える他大学の方々など、
これまでの水泳部の活動、及び私個人の水泳人生に関わってくださった方々に感謝申し上げます。
また、今後とも上智大学水泳部への変わらぬご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
ここまでご精読ありがとうございました🕊️
なかなか最後までブログを書き切ることができず、インカレ直前に、このような暗くてながーいブログをあげてしまうことになり、非常に申し訳ないです💧
今日からのインカレ、
「上智史上最速」の男子リレー🏊🏻♂️🏊🏻♂️🏊🏻♂️🏊🏻♂️
めちゃくちゃ楽しみです!頑張れ!!🦅
これからも部活のみんなの飛躍を、陰ながら応援しています!!
何かあれば、いつでも声かけてください。
総合グローバル学科4年・スイマー
若山美々李










