自らのせっかちな性格せいで親や友人を不愉快にさせることがしばしばある。その原因にも色々あって、そのまま自身のせっかちさであったり、表面的であれ何らかの目に見える形での成果を求めるあまりに露呈してしまうその質の粗さであったりする。
とりあえずここは便宜的にせっかち代表として、スーツ姿の理論武装論客がひしめくせっかち断固粉砕戦線に対して抗弁を取らせてもらうと、その性格のせいで度々悪い方向に向かってしまうことは分かってはいるのである。だけれどもどうしてもその自己実現のためにはしかるべき時まで待てない。これは理性では抑えられない衝動なのである。
しかしこう考えてみてはどうだろう。せっかちという性格は、当人にある程度のタスクが与えられる状況下で露わになってしまうものである。その根底にはやはりその状況に対する「早くこの義務感から解放されたい」という欲望が見て取れると思う。とするなら、それはある意味では責任感が強く、そこから敷衍すると自己犠牲の傾向が強いということにはなるまいか。
そういったせっかちの本質を鑑みたならばどうだろう‥ほら、あんなに嫌悪していたせっかちが愛おしく思えてくるでしょう。せっかちでも別にいいじゃないか。逆に何ですか!そういった自分の尺度を他人に持ち込んでとやかく指摘してキレる権利は僕にも無いしあなた達にも無いだろーが!(オタク特有の早口)
とりあえず僕が言いたいのは、どんな共同体内でも(例えどんなに親しい仲でも)「性格との共存」という態度はある程度までは当然のように求められるべきなんじゃないかと思う。これはせっかちだけじゃなく、特異な性格や嗜好全般に言えることだけれど。もちろんせっかち側も出来る限り譲歩するという前提でね。要は割り切ってある程度は妥協するキャパは持っておこうよって話です。