三日坊主で終わりそうだったブログ…

そんなことどうでもよくて、アンドロメダの瞬がなぜ女として映像になったか考える。急だよね。今更だよね。

聖闘士星矢のお話だよ。



結論から言う。

エスメラルダの存在があるから、女性のほうが都合が良かったのかもしれない。

聖闘士星矢を見た時に、青銅聖闘士の中でダントツで格好いいのは一輝だ。出番が少なくとも、一輝だけは出た時に1番格好良い状態であってほしいものだ。

と、考えた時に1番力を入れる設定はデスクイーン島の出来事だ。一番大変そうだしね。


一輝が憎悪で強くなるまでに必要な工程。エスメラルダは命を落とす。しかし、ただ落とすのではない。地獄のような土地で出会った、言わばそれは一輪の華。

出会って積み重ねられた彼女との日々。凛として美しいその華が、たった数秒で散る。その様が一輝を昂らせる。

弟の瞬に似ているだけでは済まされない、特別な事情が必要なのだ。

そう。恋だよ。



瞬は男ではなく女だ。そんなことは知っている。しかし唯一の肉親。惰弱なまま世間に出すわけにはいかない。

彼女の思いを尊重しながらも戦いを教え、時には窮地を救っていく。そこには一輝の思い描く家族があった。家族は共に生きるのがいい。親など知らずとも、今こうやって一緒に生きている。どんなに大変であっても、共に生きて行くのが家族だ。


瞬は変わらずその笑顔を一輝に向ける。そんな瞬とも、のちに離れ離れになる。



そしてデスクイーン島。

地獄のような日々。純粋に相手を憎むことのできない一輝。その優しさが間違いでないことを諭すように、柔らかく関わってくれるエスメラルダ。


一輝はエスメラルダを見るたびに、生き別れた妹を思い出していた。同時に、また違った感情も生まれていたのだ。

優しくて、守ってやりたくなるような、そんな感覚に。

瞬とエスメラルダの圧倒的な違いがあった。

瞬は実の妹。生涯を通して、一緒にいるものだと思っていた。

エスメラルダは違う。生涯を通して、一緒にいたいと思った。

これは一輝が他人を想うことを初めて覚えた瞬間でもあった。いつしかエスメラルダを見る時に、瞬の面影が重ならなくなった。

どちらも守りたいことに変わりはないが、一輝にとって、エスメラルダの存在は特に大切なものだった。


瞬とエスメラルダ。外見も似ていて、優しいところもそっくりだ。性別も同じなのに、唯一違うところ。それは家族か、そうでないことか。



こうなると、エスメラルダの何が瞬と違うのか色々意識しちゃって、一輝かわいい無双状態。

実力はあるはずなのに何故6年もあの島にいたのか。

そして先生が何故エスメラルダを葬ったのか。

一輝は隠せなかったんだね。愛情を。


本題に戻るが、瞬が弟だったら根本的に違う。ってなってエスメラルダに対して、少し冷静だと思うんだ。

その上で、確かに好きにはなるんだけど、なんだろう。

そうなるときっかけだけで、複雑な心境になりづらいきがするんだよな。

だから、瞬が女でもオッケー。一輝だけのこと考えるとね。

この先、特にアフロディーテとかの戦いの時に、どうなるかでまた意見変わるかもしれないけど。


とにかく一輝は格好いいし、今更フルCGを見ても、相変わらず格好いい聖闘士達。流星源の効果音だけは好きじゃないけど。