むかしむかしのものがたり鑑賞

むかしむかしのものがたり鑑賞

「むかしむかしのものがたり/radio Tomo を聴いて。
昔話には裏がある?なかなか大人の昔話鑑賞もおもしろいなと感じ、
番組感想をほそぼそと書くことにしました。
I translated the story telling part of the show for the non natives.

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以前「ウサギとカメ」の後日談をしてくださった時のことを思い出しました。ときに納得のいかない結末を迎える昔話、自分で幸せな結末を探したり、考えたりするのも楽しいということを思い出しました。

 

浦島太郎がカメを助けるくだりは、本当に彼の人柄の良さや正義感の強さのうかがえるところで、たった3日遊んだだけで、世界から取り残されるという残酷な「仕打ち」に、自分は納得がいかなかったのを覚えています。今回の太郎さんも一瞬でも玉手箱をくれた乙姫様を恨まなかったのか?そんな気持ちで聴いていました。

 

太郎は、カメをいじめていた当時の子供に事実を知らされ、ショックを受けてすがる気持ちで玉手箱に手をかけたと思います。その結果、自分が年寄りになってしまって、愕然としましたね。やっぱり「信じて裏切られた感」は強かったのだろうと感じました。でもそれは「仕打ち」ではなく「救済」であったと思えたのは、羽が生えて蓬莱山に飛んで行ったとき。「元の姿」にもどれて、

生きる力も取り戻した時でした。

たった3日、いいことをした褒美とはいえ家をあけたことで、親の死に目に会えなくて、唯一の肉親を大切にしてあげられなくなって、なんて世の中厳しいんだろうとおもっていたが、 ここからは妄想が。

 

太郎が本当に手に入れた「褒美」は「不老不死」だったのではないだろうかと。つまりほかの人とは違う理で生きるので、自分の親の死に目に「会えなかった」のではなく、「会わないでいいように」竜宮城で取り計らってくれていたのかもしれない。これは、「仕打ち」ではなく「はからい」であったのだなと何となく思いました。

 

太郎も穏やかな日々が来たといえども、さみしい思いをしていたのでしょう。海を眺めていた彼は、何を考えていたのでしょう。大好きだった母のこと、自分の平凡な人生が変わってしまったあのカメと遭遇したこと、短い間でも竜宮城で乙姫と過ごした楽しい時間のこと、楽しいことばかりだったらいいのですが、玉手箱のことで乙姫様には若干の疑念を持っていながらもこうして穏やかに毎日を過ごせていることにも感謝していて、すっきりしないが後悔したり、恨んでいるわけでもない、そんな感じだったのかな?

久しぶりにカメに遭遇した時も、優しく接してあげられたのは、きっとそんな穏やかな時間がすごせていたからだったのでしょう。

でも、さすがに再び玉手箱を開けることには、慎重で、腰の引けた彼の様子が目に浮かぶようでした。

 

最後の展開は、誰もが驚いたし、太郎も受け止めるのでやっとの感じでしたが、きっとゆっくり二人で過ごす長い時間の中で、答えは見えてくるのかな?いやもう今となっては、そんなことはどうでもいいのかもしれませんね。

リア充の二人を「微笑ましく」思いながらも、「勝手にやってくれ」と考えるのをやめてしまいました。

 

幸せな時間をようやく手に入れたふたり、なんてめでたいエンディング、そして最終回でさみしいと思っていたのに、とても幸せな気持ちに包まれていました。

いままで、素敵なお話、いっぱいありがとうございました。

お二人の語りを10年後も20年後もきいてみたいと、思っています。

皆様のますますの御活躍をお祈りして。