http://tsuiki-shugaku.hr-party.jp/diplomacy/5868/
より転載

6/22 集団的自衛権-再論(1)
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盛り上がる集団的自衛権違憲論

 前回のブログ更新から半年以上が経ってしまいました。当ブログを愛読してくださっていた皆様、すみません! HS政経塾から書籍発刊を予定しており、その執筆・編集に追われていたというのがこの数ヶ月の実情です。

 今回は、集団的自衛権の行使を限定容認した政府・与党の安全保障関連法案に対して「違憲だ」という批判が最近高まっているため、このテーマについて考えてみたいと思います。

 6月4日に衆議院の憲法審査会で与党参考人の憲法学者・長谷部恭男早稲田大教授が、同法案を「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」と述べたことをきっかけに、集団的自衛権行使容認への批判が盛り上がっています。

 長谷部氏は15日には、従来改憲派で知られた小林節慶応大名誉教授と共に記者会見を行い、改めて安保法案を違憲とし、その撤回を求めました。

 かくして、与党が推薦した憲法学者ですら「違憲」と言っているのだから、安保法案はやはり憲法に違反するので廃案にすべきだ、という議論がマスコミを賑わしています。

 この問題に関しては、昨年5月に「集団的自衛権の行使容認は立憲主義に反する?」(http://bit.ly/1ktgM0W )という記事を書きましたが、私の見解はそこから基本的に変わっていません。集団的自衛権の行使容認は憲法違反ではなく、立憲主義に反するものでもないというのが結論です。

 ちなみに小林氏は、私が幸福実現党の党首を務めていた頃には、共にラジオ番組に出演していただいたり、党の政策勉強会で講師をしていただいたりして、大変お世話になった方なのですが、第二次安倍政権成立以降はお考えを改められたようで、今では以前とは反対の論陣を張られています。

 この小林氏の動きも、「改憲派だったはずの小林氏ですら反対しているのだから、安倍政権のやっていることは憲法上問題があるに違いない」という見方を醸成しており、安倍政権の外交・安全保障政策の方向性を良しとする私達の立場からは、一定の批判を加えざるをえず、大変残念です。

集団的自衛権の行使を認めなければ日米同盟が危うい

  さて、集団的自衛権――自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合に、自国がその他国を援助し、共同して防衛にあたる権利――については、憲法9条に対する従来の政府解釈では「我が国は主権国家してその権利を有しているものの、その行使は禁じられている」としてきました。

 憲法9条は戦争放棄や戦力不保持を定めていますが、国家の自衛権までをも否定するものではなく、我が国に急迫不正の侵害があった場合、これを排除するために他の適当な手段がなければ、自衛権の発動として必要最小限度の実力行使が認められる、と解釈されています。

 では、その「必要最小限度」に集団的自衛権は含まれるのかといえば、「含まれない」というのが従来の解釈だったのです。

 自国が攻撃を受けたら、それを阻止するために実力を行使すること(個別的自衛権)が認められるのは当然ですが、自国が攻撃されてもいないのに他国を防衛するために実力を行使できるとする集団的自衛権は必要最小限度を超えているというのが、その理由です。

 一見、分かりやすい論理ですが、実は重大な欠陥を抱えています。この解釈には、日本の安全保障を破綻させかねないリスクが存在するのです。以下で、そのことを説明します。

 まず、我が国の安全保障は自衛隊と日米同盟の二本立てによって成り立っているのは周知の事実です。

 特に核戦略の面では、日本は中国、ロシア、そして北朝鮮と、核兵器保有国に囲まれていますが、これらの国への核抑止力については全面的に米国に頼っている状態です。

 したがって、もし、日米同盟が切れてしまって、米国が我が国に核抑止力を提供しない(すなわち日本が核攻撃を受けても、米国が日本に代わって核で反撃しない)ことが確定したら、その瞬間から中国は核兵器で脅すことによって我が国をいつでも属国に貶めたり、中国の一部として併合することが可能となります。

 つまり、日米同盟が切れたら、日本の独立と平和は失われる蓋然性が極めて高いのです。

 では、日米同盟が切れるリスクはどの程度あるのでしょうか。

 1951年にサンフランシスコ平和条約と共に旧安保条約を結び、1960年にはこれを改定して新安保条約を締結。以来55年が経ち、その間、経済摩擦等はあったものの、日米両国は基本的な価値観を共有し、非常に良好な関係を築いてきました。

 このような歴史的経緯を踏まえれば、日米同盟が簡単に崩れてしまうのは考えにくいように見えます。

 しかし、日本が従来通り、集団的自衛権の行使を認めず、自国が攻撃を受けたら米国に加勢して戦ってもらうが、自国が攻撃を受けない限り、米国が攻撃を受けても戦わないという方針を貫いたら、今後、日米同盟はどうなるでしょうか。

 例えば、朝鮮半島などの有事で米海軍と海上自衛隊が共同対処している際に、米艦船だけが攻撃を受けた場合、海自艦船は何もせず傍観するか、戦闘に巻き込まれないよう、その場を立ち去るという対応になります。

 あるいは、北朝鮮などから米国を狙ったミサイルが発射されて、日本上空を飛翔するというケースでも、我が国はミサイルの迎撃はせず、これをやり過ごすことになります。

 このような自衛隊や我が国政府の動きを見て、米国の政治家や一般国民はどのように感じるでしょうか。

 同盟国であるはずの日本が肝心なところで米国を助けてくれない。日本自体の安全保障にも密接に関わっている状況であるにも拘らず、その状況に対応している米軍を見捨てる。これで果たして同盟国といえるのか。こんな日本と同盟を組む意味があるのか。

 きっと、このような不満が噴出し、日米同盟の維持は極めて難しくなることが想定されます。

 いくら我が国が集団的自衛権の行使は憲法上禁止されているといっても、それは日本の勝手でしかなく、上記のような状況で日本が何もしなければ、同盟を維持する前提となる米国との信頼関係が崩壊してしまうのです。

 日米同盟が維持できなければ、我が国の独立と平和がたちまち失われるのは上述した通りです。

 したがって、自衛権の発動としての必要最小限度の実力行使のうちに、集団的自衛権によるものも含まれていなければ、日米同盟が破綻に至る状況が生じかねず、我が国の独立と平和と安全を守り切ることも困難になります。

 朝鮮戦争の休戦以降、これまでは幸いにして、我が国やその周辺で武力衝突や有事というべき事態が生じたことはありませんでしたが、今後もそうである保証はなく、中国、北朝鮮の動向を見れば、むしろ武力衝突や有事の蓋然性が高まっています。

 有事はいつ何どき起きるか分からない性質のものであるため、ここで解釈を適正化して、限定的にでも集団的自衛権の行使を認めるようにしておかなければなりません。事が起こってからでは手遅れです。


集団的自衛権-再論(2)
へ続く