斎藤知事の件で、こんなにも関心を持って情報を見ている自分
身近にこういったパワハラは起こっており、理不尽な扱いをされている人達が如何に多いか
あまりの道義的意識の低さに対して、怒りを露わにしたこともあります。
レベルを落としたという感じではありますが、立場を利用し、会長、副会長、会計の三人がそれぞれに、一人の人に対し追い詰めて町内会を脱退させた。
私なりの言い方をすれば、『役員のくせに善悪の判断もせず、何しでかしとるんだ!』
前会長も同じで、威張り散らし、文句たれる奴は排除し、恫喝してきた
それを町民は知ることもなく、知らされることもなく行われてきた
後でいろんな人からの情報で知ることになって、驚きと、だから20年も続いてこれたのだと理解した。
しかし、大きな違いはなにか、前会長に至っては自分が本当に悪かったことに気付いたときは謝罪をしたことだ。
現会長、前期の会計、副会長に関しては、自分達は全く悪くないと開き直っているところが問題
斎藤知事のように今のポジションを失いたくないあまりに、悲劇のヒロインを演じ、人の悪口陰口言い触れる。
例えば、全く関係ない人が、何かの用事で会長に電話をすると、『アンタの悪口言ってたよ』と私が言ったかのように話す。
このようなことは、前期の会長、会計は平気でする。
人を陥れる行為、自分の立場だけを守りたいのだろうけど、人として終わっている。
報道されている斎藤知事の件は、他人事では無いと思う自分と、どうでもいいと考える自分が居て、自分の感情がせめぎ合っている
どうしたらよかったのか、時間は遡れないけども考えてしまう
去年の12月の役員会の大騒ぎの時にあの時、会計の私的流用のことを話せばよかったと後悔してる
事前に相談した前年度の監査役のおっさんまでが拳を振りかざし『仲良くすれば良いじゃん』の一致団結してやがったことには腹立たしいよりも、こいつも同じなんだと、無責任な集団の一部になっていた、私の目を気にしながら拳を振りかざしている姿は情けない人に映り、軽蔑の眼差しで見ている自分
どいつもこいつも、ただ、中にはその団結に加わらなかった人が若干居てか細い安心感もあった
無責任な集団はどうでもいい
人としてどうあった方がよいのか、誠実な気持が欠けていたのでは無いかと少しははんせいしていただきたいところではあるが、こんな糞みたいな人種に期待する価値なし。
憂さ晴らしに、勝手に易をたて占う
皆さんもご存じだろうが、どんなに良いとされる結果が出たとしても、自惚れや、誠実さに欠けると、悪い結果に変化する
常識といえば常識
しかし、愚かな人間は、調子に乗り、自分は特別だと思い込む
終わりの始まりに繋がっていく
森羅万象は己の魂と、心の中に存在する
いつまでも綺麗な魂を持ち続けたいですね。