親戚の訃報を受け取る。今年は訃報が多い。
母のいとこの奥様にあたる人で、長らくわたしの実家と同じ地区にお住まいだった方だ。
訃報が届くたびにこうして文章を書くのは弔いの気持ちに加えて備忘録の意味もある。
この方とどんな関係にあったかと言うと、わたしの祖母の実家に、祖母の甥(母のいとこ)のお嫁さんとして入られた方。親戚の中でも他の追随を許さぬほど面倒見が良い、というか、キャラ立ちしながらあらゆる世話を焼いてくださる方。
わたしは小学校に上がる前から祖母に連れられ何度もこちらのお宅にお邪魔していた。通っていた保育園の近くだった。当時祖母がわたしの保育園のお迎えを担当してくれていた。
今にして思えば、豪農の本家という家柄であり、大変に立派な邸宅で、お城の如き外観から「旅館ですか」と言いたくなる玄関から広すぎるホールから、何から何までスケールが違っていた。
それはそうと、この方には息子さんが一人いらして、それはもう親戚中に可愛がられた。可愛がられるに相応しい穏やかな笑みの似合うお人柄で、みんなにちゃん付けで呼ばれていた。ぼっちゃんなのだ。
坊ちゃんの年齢は定かではなかったが、わたしの十五歳くらい上だったと思う。優しいお兄さんだ。
母のいとこと奥様には、家族もわたしも大変良くしていただいていて、親戚で何かあれば当たり前のように駆けつけてくださるし、親戚の帰省や何かの時にはホストとして皆を迎えてくださったし、農家の裏話や村のあれこれやたくさんのエピソードを祖母に届けに来てくださった。とれたての農産物を手土産にだ。
よく働くその方は、旦那様とともに畑に出れば、信じられないくらい広大な土地を相手にテキパキと作業していらした。
わたしなどにも気を配ってくださり、畑に遊びに行かせていただいたりした。高校の卒業をお祝いしてくださったこともある。
晩年は旦那様が他界された後でさまざまなご事情を抱えて大変だったそうだが、まさかあの大邸宅を離れてしまうとは思いもしなかった。それでも畑のお仕事は精力的に続けてらして、親戚とも疎遠になることもなく過ごされていたと聞く。
すごいことだと思う。
お顔立ちが有吉さんに似ていると思った事があり、姉とその話をしていたら「有吉さんよりも、もっと般若の面ような雰囲気」とかなり失礼な意見がきて、しかし「有吉 般若」でググった時には「有吉さんが般若の面と似ている」というご意見の方にヒットした。つまりその方と有吉さんと般若の面に似通った何かがあるのだろう。
子どもたちの楽しそうな様子を見ると幸せそうな表情を浮かべて、感情表現の豊かさに驚いてしまった。平和な笑いの中にあってこそ素敵な瞬間がたくさんある。いつもそばにいたわけではないが、心を配るというのを体現されていたように感じた。あたたかな感情が溢れるような笑顔を忘れない。
大変お世話になりました。祖母や母も頼りにしていたのが幼心に何となくわかっていたし、頼もしい存在であったことはもう周知の事実で、長男の嫁の苦悩とか、そうでなくても農家ってめちゃくちゃ大変なのに物ともせず当たり前のように頑張るお姿、パワフルでした。本当にお疲れ様でございました。
ご冥福をお祈りします。