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このブログではわけあってがんのことをぽんと表現しています。
河合隼雄の目からみると
日本人は母性社会に生きる「永遠の少年」だという。
以下『母性社会 日本の病理』より抜粋
心の中で母性原理と父性原理が対立している
母性の原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子どもの個性や能力とは関係ないことである。
しかしながら、母親は子どもが勝手に母の膝下を離れることを許さない。それは子どもの危険を守るためでもあるし、母ー子一体という根本原理の破壊を許さぬためといってもよい。このようなとき、時に動物の母親が実際にすることがあるが、母は子どもを呑みこんでしまうのである。
かくて、母性原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑みこみ、しがみつきして、死に至らしめる面を持っている。
・・・・・。
彼(カール・グスタフ・ユング)は、母性の本質として、慈しみ育てること、狂宴的な情動性、暗黒の深さ、をあげている。
これに対して、父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子どもを平等に扱うのに対して、子どもをその能力や個性に応じて類別する。
極端な表現をすれば、母性が「わが子はすべて良い子」という標語によって、すべての子を育てようとするのに対して、父性は「良い子だけがわが子」という規範によって、子どもを鍛えようとするのである。父性原理は、このようにして強いものをつくりあげていく建設的な面と、また逆に切断の力が強すぎて破壊に至る面と、両面をそなえている。
・・・・・・。
父性と母性のふたつの原理が人間の生き方の中に働いているが、わが国の文化は明らかに母性の文化に属している。
このような文化の中で育ってきた現在の介護保険の利用者さん
そもそも論になるが
これまでの人生の中では西洋文化にある
父性原理による個別の能力を見出し強く鍛えられる・・・。
ようなことが感覚としてつかめないのではないかと思う。
母性原理の文化の中で
個というよりも
場というか、仲間というか
そういうものの中で自分の個性は埋没しがちだったであろうし
自分らしくといっても
それがわからない・・・。
ある場の中で、自分は特に何も考えずとも
なんとなく物事が決まったりして・・・。
自分が特別なことをしなくても
たとえば長になっているような人にある意味で甘えて
別な言い方をすれば
場の空気を読んで逆らわなければ
周囲が何でもやってくれる。
そんな空気感の中で身についてしまったであろう
だれかがやってくれる感は
肌身に染み付いたものであるから
なかなか自分から落とすことはできないと思う。
だからこそ
リハビリも含め介護保険に携わる人は
介護保険制度がどのようなものかを正しく啓蒙していかなければならないのだ。
そしてそれは
人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むもの
であるからであり
それを助けるための手段の一つがリハビリテーションであり
自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築
するという大切な役割を介護保険、リハビリテーションに関わるものすべてが担っているのである。
もちろん利用者ご本人も
自らの尊厳保持のため自助の努力を尽くさねばならない
まさに報告書にある内容なのである。
リハビリテーションは
障害のために人間らしく生きることが困難な人の「人間らしく生きる権利の回復」であって、単にこれまでできていたことをできるようにするという過去の生活への復帰ではなく、より積極的に将来に向かって新しい人生を創造していくことである。
リハビリテーションは、生命・生活・人生のすべての側面に働きかけ、その人の持つ潜在能力を引き出し、生活上の活動能力を高めていくことであり、それにより豊かな人生を送ることも可能となる。 |
先日あるケアマネさんとこんな会話になった。
ケアマネさん:そうなんですよね・・・。Aさんはサービスを2か所利用しているんですが1か所にはちゃんと自分で電話して行けない時にはお断りしてるみたいなんですが、別なところのお断りのときはわたしのところに連絡が来るんですよね・・。だから仕方なく私がずーっと電話することになってしまっているんですけど・・・・。
私:(⌒-⌒; )(⌒-⌒; )(⌒-⌒; )
そんなことを半年も続けているという・・・。
訳がわからない・・・。現在できていることなら、だれかが変わる必要はない。別のところにはなぜ電話ができないのかのアセスメントもせず、なんだかわからないまま、Aさんができることを奪ってしまっていることは、明らかにマイナスなのだと私は感じている。
またあるPTの先生は
PT:Oさんは麻痺側の拘縮が進んでいますから、来年の春頃・・、半年先くらいには装具を作り変えないとならないようになると思います。と本人の目の前で話す。
私:リハビリは何をされているんですか?
PT:ROM訓練ですね。あと、マッサージと・・。
私:Oさんは何をされていますか?
PT:いまのところ、歩行訓練3mくらいとあとは、テーブルで健側でできることを、塗り絵とかそんなことをしています。上肢はもう廃用肢ですからね・・・。と本人の前で話す。
私:(⌒-⌒; )(⌒-⌒; )(⌒-⌒; )
私はPTもOTもライセンスを持っていないので
門外漢だが
柔道整復師としては32年のキャリアがあるので
筋骨格系については理解していると思っている。
いろいろ思うところはありますが
毎日理想と現実のギャップの大海を
何とかおぼれないようにと泳いでいる・・・。
リハビリテーションってなんだ?
介護保険に関わった2000年からケアマネも12年やってみて・・・。
なんだか曖昧模糊とした空気を
ずーっと感じています。
でも
社会の空気と理想と変わらないものと変えなければいけないもの
そしてそのなかでわたしができること・・・。
そんなことの実現を
プラグマティストのわたしとしては
一個でも二個でも実現させたいと願っているわけです。
なんだか
またまたまとまらない文章になりあいすみません。f^_^;
ここまで読んでくださってありがとうございました。![]()
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