え~……。
名場面…となるとやっぱり2000年以降の方が内容としては輝くものが多いのですが、やっぱり他の方々と同じように、J元年からのサポとすると「名場面=悔しくて涙した」という図式が多いんですよね(笑)。(根っからのM体質にされちゃったといいますか…(笑)。)
そして私はあまり知られてないんですがレッズサポでもありその他には『岡野雅行ファン』としてここ10年やってきましたので彼にまつわる試合が多く印象に残っています。
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1996年11月2日(土) 第28節―対鹿島アントラーズ(国立)
雨でした…。
小雨そぼ降る中、カッパではなくポンチョで凍えながら並んでいました。
ここで負けるということは、イコール優勝争いから完全脱落という大一番の試合でした。
96年は、去年得点王を獲った福田正博が今度はチームの優勝をかけ、初めての試みである1シーズン制に挑んだシーズンでもありました。
シーズン入りの際には福田は脚の具合が悪く、5月4日までリハビリをし、その4日の清水戦で復活Vゴールを決めてその存在をまたサポーターに強烈に思い出させる最高の復活劇を見せてくれました。
それから4ヵ月後の8月5日、練習中に福田は足首があらぬ方向に向くくらいの大きな骨折。悪夢の瞬間に自ら叫んだ言葉は「救急車!!」だったそうです。
その叫びを聞いて冷や汗とともに自分のこれからの運命を悟った選手が2人。
1人は福田と2トップを組めるまでに成長した24歳の岡野雅行。
もう1人は、この日までろくにスタメンも取れず、出ては悪いプレーの連続で試合の度にサポーターから罵声をあびせられる23歳今年ルーキーの大柴健二。
この日からこの2人、岡野は福田の仕事を、大柴は岡野の仕事をするような形でまだまだ23,4歳のテクニックと経験値にとぼしい若者達が浦和レッズの得点のほとんどを獲ることを任されたのです。
それでも大柴はなかなか結果が出せずに苦しむものの、だんだんと性格的にも気の合う岡野とのプレーの息も合ってきて、20節の柏戦ではこの2人の大活躍から、チーム初の7点差での爆勝、22節にはマリノスをやぶりこれもチーム初の首位を座を手に入れます。
さらにここでルーキー内館が出場停止のバジール・ボリに代わりスタメンを獲り、左サイドで素晴らしいデビュー戦を飾りました。この頃はDFラインにはベテランがそろい、中盤から前はまだ20~23歳くらいの岡野・大柴・福永・土橋・山田・岩瀬・中島・内館などの若い選手が攻撃をつかさどり、それを堀・池田・新加入の助っ人外国人ニールセンなどが支えました。
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福田と彼の相棒の怪我がちのバイン2人の穴を若手が必死に埋めてきましたが、ラスト4試合の臨海での市原戦で大柴健二は前半19分、相手のファウルで片足の甲を骨折してしまい、今期はもちろん絶望に…。
ここまでこの『野人2トップ』は毎試合スタメンで出て、若いながらも苦しい戦いを強いられ、それでも自慢の快速を限界まで使って走り回って勝ちを拾ってきました。
その疲労は相当なものだったようで、特にまだプロで1年やっていない大柴は明らかにコンディションが落ちていたので相当に疲れていたと思います。
その3日後の試合が今回語りたい鹿島戦です。(長かった(笑))
この日は風邪でベンチのバインのポジションに岩瀬が入りスタメン、FWは初めての岡野の1トップ。
しかし、久しぶりのスタメンだった岩瀬は緊張と鹿島の中盤の分厚さに一切仕事が出来ず、福永からのボールも岡野には届かず、岡野はただ放り込まれるロングボールを何度も何度も全力疾走で追いかけるだけの前半でした。
後半ベンチだったバインが強行出場。
雨の中、何度も岡野に神業のスルーパスを供給し続け、やっと浦和が息を吹き返し、サポーターも元気を取り戻しました。
それでもなかなか点にはならず、鹿島の攻撃をしのぐのがやっとでした。
1トップではどうしてもあの頃の鹿島の鉄壁の守備陣を砕くには無理があったんですよね。
あの岡野が試合途中で脚が釣ってしまったのも初めて見た気がします。それほどまでに、雨で加速するボールを何度も何度も追いかけて走ったのです。
90分+30分の延長戦でも決着が付かないままPK戦になりました。
浦和はギド・ブッフバルトが外し、最後にウーベ・バインが外して全てが終わりました。(※この部分、ウーベとギドが反対でした。ご指摘ありがとうございます~!)
試合後のインタビューであれだけたった1人で前線で孤独に走り回った岡野が泣きそうな顔で
「僕がもっと走ればよかった。シュートをちゃんと決めればよかった。今回優勝を逃したのは僕の責任なんです。」
…と語っていてもう、私はまた帰って来てそのインタビュー見て泣きました。
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95年に、優勝の可能性っていうものを初めてちらっとだけ見て、さらに96年にはもっとそれに近づけたわけですから、初めてこの年に福田に頼らない、福田の次の世代がチームを支える記念すべきスタートの年になったのだと思います。
福田がいないならもうお終いだ、という時代が終わりかけたなんとも輝かしい瞬間でした。
福田、広瀬、田口、土田らの下にはしっかりと岡野・大柴・福永・土橋・山田・内館らがいて、次の年には永井、その次には小野が入り、迷走を続けた選手補強と新人補強に少しずつ改善が見られ、しっかりとのその若い選手が何年にも渡ってチームを支え、作れる屋台骨になって行くためのターニングポイントの時代だったのだと今は思います。
岡野も大柴もこの96年の活躍でA代表にも選ばれ、岡野に至っては97年の活躍はW杯のVTRが流れるたびに映りますので言うまでもなく。
今まで代表と言えば福田しかいないようなチームに、少しずつですが代表選手が増え、浦和というチームはもう決して弱くはなく、今では代表選手が最大で8人もいたような、若手でもしっかりと支える事のできる未来が楽しみなチームになりました。
96年に岡野始め、若手の彼らが「第2次」とでも言うような革命を起こさなかったら02年に福田が去った後には何も残らないチームのままだったんじゃないかなと思います。
輝かしい革命と言いつつも、やっぱり鹿島戦は思い出しても涙が出ますよ(笑)。
悔しかったし、優勝したかったし、若手がボロボロになって走る姿が切なかったし、でもそれでも心から「戦っているんだ!」という気持ちでいっぱいのシーズンの幕切れでした。
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長くなりそうなんでこんな感じで。
鹿島戦、というよりも96シーズンという感じですが、象徴としてとりあえず鹿島戦って事にしておきます。