Facebookで読まれた方は・・・ありがとうございました。




珍しくしょっぱなから民法のドラマを見た。
出てくる病名に興味があったから。

『現実はドラマより奇なり』
まさにそう感じる内容ではあったけれど
考えてしまって、考えてしまって
最終的には泪が出ていた。

一体
余命が短いと分かっていて
自分の先の時間を把握していて
病状も苦しく家族の理解や協力も薄く
そうであっても大切な人と想い合って想い合って想い合って
最期の時を誰よりその人が哀しみ想い続けてくれるのと

大きな手術の結果は分からないが
うまくいったとして
その後も一生身体と向き合い続け病院にもかかり続け薬も飲み続け
そうしながら運良く生き存えたとしても
近くには人はおらず独りなままの寿命全う
想う事も想われる人もいないまま

どちらが幸福な人生なのだろう。
最期の時が分かっている人は
何より生きることに幸福を感じるのだろう。
どんなであれ、人生を歩めることに幸せを感じるのだろう。
実際後者である私自身は・・・
命の大切さ、健康の重要さ、生きることへの愛おしさは
誰より分かっているつもりだし
死は運命としてやってくるけれど
生きることへの熱意や意気込みはある、はず。

人が人から想われ、必要とされ共にいることを望まれること
だから人は家族を作る。

自分の存在価値を考える。
自分の人生を考える。
そんなきっかけになってしまったTVだった。

身体とは関係なく、自分の為は誰かの為に
誰かの為は自分の為に
そうやって生きていきたいけれど
それはまた、遠い幻。
久々の、T病院分院への通院日。
先月は体調優れず予約キャンセル
予約外で担当医とは別の先生に診ていただいたので検査も無し。

要は本日久しぶりの診察=腎臓の。

担当のDoctor.M は個々の診察時間が長くて有名で
予約時間はあるようで無い…と考えて正解のドクター。
本日も15時半予約なれど未だ呼ばれず…
いつも待ち時間にブログ書いている気がします。



シンプルに

『楽しむならsimpleに』
『世の中いいことばかりじゃない。実はよくないことの方が多い?でも、それによって人は成長し優しくなれる、人が視える』
『合う人合わない人、己にとっての敵味方…居て当たり前。それを自らの勉強とし、糧に』
『縁は努力あってのもの』
『人生は、考えは、正否は人それぞれ 千差万別十人十色』
『誰もが分かる常識的善さ悪さ。例えば犯罪であるとか…それを犯さなければ
人を傷つけなければ各々を生かすべき』



勝手に書いた人生論。
もう暗くなって電気まで消されはじめた病院の待合室で
書くこと=全てを心に叩き込み
病気も宝と
辛さも糧と
泪も力と

毎日を生きる。

今年、先ずは『縁は努力!』からしていきますか。
自分にとって大切な人は離さないようにしないと。
そうすれば自然と自分に味方が、いい人が集まって来る。
そう信じてる。





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夜中に血圧がいつものごとく降下しており



夜だし慣れっこ!Facebook・Twitterにも載せたりして楽しんでいる次第。
この程度では何ともなく、最高血圧56(それも外で!)経験があり
何ともないわけです。何よりうちにいるわけですから!
せっかく新年しょっぱな真面目なブログを…
と思っておりましたが血圧ネタから入ってしまいました。

ここからが本物のブログ。

去年は…元旦から横浜にぎわい座に寄席に行き
色々あれど半年後、はじめての浅草ほうずき市にてほうずき購入。


お参りもしてお守りも買って
ほおずき市は、四万六千回祈願したのと同じ効果があるとかで
神=自分に祈ってまいりました。
と、それはやはり願い事があったからなわけですが
それも良い方向に進んでいると
・・・自分自身には何の利益もありませんでしたが
違う意味で『嘆願成就』でございました。
よかった・・・人の幸せは何より嬉しい連鎖
今でもそう思っております。

去年を振り返る上で
何より楽しく、自分というものを知るきっかけともなった
  「人を応援し声援を送り、誰より悦ぶ」
お節介なのかもしれない、迷惑なのかもしれない
でも私はそれがどんなことより好きな性分のようで。
善いように言えば「縁の下の力持ち」
って力は全くございませんが(^^;
本当にそういうことが好きなんだなぁ・・・
色々な意味で思い知らされた一年。
涙腺の弱いワタシが、格別に泪を流した一年でした。
恨まれても妬まれても続けるべきか迷ったあげく
去年末のウツ状態
仕事も入院などでしていなかったため自分を見つめ直す良いきっかけに。

膵臓移植の登録も済み、執行の連絡を待つだけ。
それが数ヵ月後なのか数年後なのか医師にも分からないけれど
日々の大切さ、廻りにいてくれ関わっていただける方々への感謝は変わらない。
そう、どう転ぶか分からない人生
誰でもそう!肝に常に命じております。

楽しいことだけやっていきましょう。
いつも笑っていましょう。
いつも感動していましょう。
好きな人に身近に大勢いていただきましょう。
いつも廻りに対する「ありがとう」を心に置いていましょう。
そして悦んでいただきましょう。
泪は溜めずに流しましょう。
素直に、且つ自然な気遣いができるようになりましょう。
それらを同じように、廻りの方にもしていただけるように行動しましょう。

本当にいつも笑っていたい 笑っていたい 笑っていたい…。

感動の泪は存分に。
哀しみや苦しみ、悔しさの泪は極々少量で。

去年、というか最近の成長が一つ
『淋しい』
と素直に言えるようになったこと。
歳の功?
淋しいと意識できても独りで済ませられてしまう強さがまたそこに。

きっと誰かの前で「淋しいんだ」と
思いっっっっっきり言い、泣くことが出来た人と
ずっと一緒にいるんでしょうね
居ないでしょうけど(^^;)

明日からはまた世の中が動き始める年始め?
皆さんにとっての仕事始め?
私は手術までは派遣のお仕事で食いつなぎます。

皆様の今年一年が素晴らしいものとなりますことを
心より、切に願っております。

いつもいつも長い文章
ご拝読に感謝ですm(_ _)m

大晦日となりまして…
今年ももう24時間ございません。

年末年始はスマホ携帯の回線がとんでもなく混み合うらしいので
早々今のうちに皆様に
年の終わりのご挨拶を。

年賀状は早く用意するも
案の定年末病院搬送事件があり
やはり来年も少々遅れる気配。
いえ、遅れます。

中にはSNSでしか連絡のとれない方々もいらっしゃいますので
今年の格別のありがとうと
ご迷惑をお掛けしたことも多々あったこと
お詫びも兼ね、2013年、最後の言葉とさせていただきます。

もしかしたら先の長さはさほどない?
と仮定しての言葉ですので読み流しても構いません。

今年皆さんが幸せであったこと、楽しんでおられたこと
悦び笑顔になることが沢山であったことと信じ
来年もまた、今年以上にそんな出来事が増えることを心より願い
最近やっと「淋しいんだ」と正直に言えるようになった
アホなババアの言葉とさせていただきます。
淋しいことにもこんな歳になれば慣れてしまうんですがね(^^;

どうあれ頑張って生きております。
来年は今年よりも幸福に、楽しんで悦んで笑って…
人を敬い過ごしたいものです。

皆様本当に…よいお年を。


最後に、ふなっしーがサンタになっても飛び回るさまを載せ
〆とさせていただきます。






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ご無沙汰になってしまいまして…。
日常外には出ておらず、ふなっしーのYouTubeばかり見ております。

今年、人生の上での最悪年
ここまで人にけなされた年はあったかと
あったにしてもそれをあからさまに、かと言って私自身には隠れて
…ということは人から聞いたことであるのだけれど
それだけではない
自分自身の感受性、人を視る目…あながち間違ってはいないわけで。

「また」じゃない!
一つのことがずっと!なんですよ?
それを数度、自分なりに切り替えて考えて
人前では笑えるように、人の前に立ってきた。
変な性分。

でも師走に入り限界に近づく。
師走になって出掛けたはいいけれど、まぁ疲れたこと!
ある場所では居にくかったこと!居場所なかったこと!
そんなこんなで最低な『今年』に疲れ果て、今に至ります。

今年はこのまま引きこもらせていただきますので
って今日は病院の予約にも行かなかった!
薬はまだあるから大丈夫にしろ、明日は予約外で薬だけは貰いに行かないと
死んじゃうからね。

膵移植までは死ねないし
腎移植した時に起こったヤル気!また巻き起こることを期待し
また命を懸ける
助けてくれる人はなし。
精神的にもね。

やっぱり自分!頑張れよ!

来年からは仕事もはじめる~
来年はちゃんと生きてたい。
やりたいことをやって触れたい人と触れ
人の心を汲み取りたい。

つくづく味方、少ないなぁ
敵はやたらと多し!
それが人生かな?
二時間後編集しまして…
はじめは同じ文章ですので
最後にプラスαを…


12月ですか…
年末、師走、世の中バタバタすると錯覚を起こす時期ですね。
だって時間の流れも早さも、普段と何ら変わらないのですから。

その世間のバタバタ感を他所に
師走いっぴの日曜日
昼前に薬を飲み午後イチに宅急便を受け取って
狭い部屋を掃除するはずがグダグダグダグダ…
夕方になっていました。

普段からのことだけれど
気が付くと『食す飲す』という行為を忘れていることがあり。
まさに今日もそうでした。

毎日一日一食人間ではあるけれど
夕方まで何も飲まず食わずでいると
体調が悪くなり、自然と身体が飲食を求めはじめる。
Ⅰ型であるがゆえ、薬を飲んでいるがゆえの
ある意味救いの手?
…と善いように考えておきましょう。

っというより「だらだらしないで何かしてなさい!食べてなさい!飲んでなさい!」
ですな…。

申し訳ない←自分自身に謝ります。


人間誰しも弱いことは把握しているけれど
たまに出てくる 自分の“落ち期”
まさに今現在(もう数ヵ月に及びますが)

ん? 暗い!暗いよ文面が!
真の姿が出た感じ。


しかしこの状態になると芯から感じる
自分自身が一番、誰より弱くダメで
頭もいざとなったらキレないお馬鹿さんであるということ。

私のお馬鹿さん加減は一人でいればいるほど加速して
己は独りでありながらも人がいなければバカになるダメ人間。

改めて言うことではないのかもしれないけれど
私の表現する “馬鹿” には色々あって。

勉強の出来ないのも一般的にバカと表現するんでしょうが
それだけでは人間の馬鹿さ加減は表せない。
私にとってのお馬鹿さんは
廻りが視えず考えられず
人の状況や気持ち、感情よりも
自分がどう感じるか、思うかが第一に来てそれを表してしまう輩。
それを人によって、誰かの言葉によって造り上げられるというとんでもないおバカさんも沢山いたり。

私は自分の経験を、自らを一番に信じることにはこういうことにも値する。
人、他に流されて馬鹿になるのは御免なので。

これは意見を聞いたり自分とは違う経験をしている人の話を聞かない、見ないという意味ではなく
自分よりも優れた人しかいない世の中に
そしてその人たち自身に感謝をしながら
聞いたこと、見たことを存分に実にして造り上げた自分を信じるため
全てを糧にするために、全ての人は何もかもを教えてくれる先生のような…。

今の自分は関わっていただけた全ての方が造り上げてくれた身の上ということだ
中身も外見も。

独りではあっても人によって成長した、していく自分がここに。

だからこそそんな廻りの芯が、中身が視えず
上から目線で、時には嘘も交えながら人と(私が一番分かるのは私と?)
平気で接することが出来る哀しいお馬鹿さん…。

そう、私は自分自身が誰よりバカだと思う傍ら
切ろうとしているお馬鹿さんたちからも勉強させてもらっている。
『こうなってはいけない、こうならないように』
と認識させてくれる。

今のように心が病んだ時には
廻りが視えない輩たちは、接してしまうと気持ちが折れてしまいそうで。

だから、弱い自分が生きるための術
自分にとってのお馬鹿さん=人を分からず傷付ける人とは
今は繋がってはダメになってしまう。

病みから立ち直ったらね、またお馬鹿さん対応も上手くでき
自分のよりバカなところやダメさ加減が視えて
全ての人を否定せず肯定出来る。

そんな状態の自分になれるまで…
まだ少し時間が欲しい。




自分の文章読んでみて…
まるで自分は完璧~出来てます~
みたいになってて後悔…。

いいえ、私はかなり悪いヤツだから
意識的に、人を試すために
その人にとって嫌な言葉を発したりする。
それに対応する人間性を視るために。

何て悪どいヤツか!

実は病気に対する応対にもそれが出るから面白い。

ある程度の年齢になり、今更ながら気づいたことも沢山あり
人は、イラッとすると理性や立場が飛んでしまう生き物。
だからふざけて返せばいいことも真面目にイライラ返したり
逆ギレしたりする。
勿論自分もそうだし…人間って本当に愚かな生き物。


数年前に年頭に掲げた自分への目標
『怒らず人を許すこと』

暫く経った今、それが出来てるのか?
いえいえとてもまだ…。

「人の振り見て我が振り直せ」
とはよく言ったもので
それを肌で感じるなら
誰より優しく柔軟に、何もかもを受け入れる力と強さ
笑顔と
そして気高さと。

最低な自分だからこそ、常に意識する。

人の合う合わないは否定しない。
好き嫌いもあるのは当たり前。
それでも保ちたい柔軟さ。

信じる自分に誇りを
そして優しさと笑顔を常に。


最後に最近どハマりのふなっしーを!
パペットです~





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生活も時間も、そして何より精神状態が…。
イライラするからカルシウムが足りないのかと思ってみたり
かといって生活状況や
色々なことが知らない間に
要は見えないところで起こっていることも
分かる自分に嫌気がさしたり
仕事をしていないこと、人に会っていないことが一番良くない。
人は何故か、自然と元気をくれる特効薬。

パソコンを開く労力もなく
またスマホ頼り。

人とは会いたいし、会おうと約束した人
懐かしい面々も沢山いるけれど
連絡がまだ出来ない。
退院もしたし、仕事もそろそろ決まりそうではあるけれど
連絡できず
そしてまた独り身、誰からも連絡来ずで。

仕事を三ヶ月もしていないわけですから
ぶっちゃけお金がないのですよ!
ほんとに。
精神が不安定で出るに出れない状況もあり
つくづく
「家族も仲間も友達も、相手もいないのね?独り慣れし過ぎかな…」
何て思い。

最近出ていないから、久々にTVを良く見ている毎日。
「あ~よく名前聞く人この方ですか~」
「ネットで入院中見た子、この子ですか~」
など、少々勉強になったり。

そんな中、仕事はじめて落ち着いたらやりたいこと
いえいえ、再始動したいことも多く
◎ヨガ
◎ピラティス
◎日舞
◎中国語
◎バレエ
◎スイミング←スポーツクラブは嫌なので、実家近くの元町プールに夜間に通う…ってことは夏場だけかな?

これは全部、以前一度はやっていたこと。
でも各々諸事情により出来なくなっていた。

膵移植までの間、やりたいことやらないと
生きたいように生きないと…
何時でもそうですが、心残りは嫌いなので。

その他始めたいことや手を出してみたいこと
行ってみたい場所もたぁくさん!
それには海外も含まれ
一人で海外に行ったことが何度となくある私に…
怖さはない。

あ、気づいたらこれら全部は数年では出来ないことでした。

ですから自分にとって出来ることから
会える人から
自分が人に対して出来ることから

楽しみながら命を繋ぎたい。

バカと付き合うの、止めないといかん!

今まで(学生時代)の環境の良さをつくづく感じざるを得ない昨今。

そしたらイライラから解放されるのかな…。

自分の道は自分で開く。
何をすべきか、何をしてはならないか
…分かってるでしょ?自分!



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今後も生きたい!生きていこう!
そう誰より今思っている最中に書く『遺書』とはどうなる?
初めて書く
(本当は腎移植時たった一人の友人には送っていた
「何かあったらこれを皆んなに知らせて」と)
改めて二度目、状況も変わっている今
何を書こうか、何から書きはじめようか…
まだぼんやり。

腎移植の時も一度は意を決した経験があり
その時ほど『生きたい』と思ったことはなかった。
あれから丸5年
まさか命を懸けてやる手術をこんなに短期間の中で二度も行うとは思ってもおらず。
腎臓を単独で移植する直前にあったヤル気と自信は
この5年間の生活、病状で感じた自分の甘さと浅はかさが
全て消し去ってしまった。
結果がこの1、2年の間で行われる膵臓移植。
なかなか世の中広いとも、他人の臓器が二つも入った身体で生き存えている人間も少ないかと。
だからこそ貴重
だからこそ今後も生きていかなければ!と、腎移植の時とは違った生きる意欲。

人生甘いものではない
臓器を二つ移植…嫌なことや辛いこと、悪いことの方が多いでしょう。
身体のことだけではなく、それに繋がる辛さや
繋がらなくても普通に起こる哀しみも、年齢的にも増えていくでしょう。
それでも元気に生きていることが、今後同じ病気で苦しみ
手術を受けようとする人たちの助けになれば
そして親、兄、その他親族
友人知人含めた、私などと関わっていただけた全ての方たちに
どういう形が各々にとって適切であり、悦ばれるかも分からないけれど
何かしらの方法で感謝の気持ちを表したい。
それが『生きたい!』と思った私にとっての今後の道標。

遺書の前に「今後の生きる序章」を書いてしまったけれど…
これがあってこそ、最期に残すべき言葉たちが浮かんで来る。


短かったのかもしれない、長く生きられたのかもしれない
それは個々が歩んだ道のりの濃さで決められる、いや、決めるのかもしれない。
私が今死んでも、手術によってや身体のことによって最期を迎えたとしても
「きちんと自分なりに、長く生きた」
と言いたい。

『人は独りでは生きられない』
小さい頃や若かりし頃に思い描いていた“誰かと紡ぐ人生”
には残念ながらならなそうである生前
それ故生きていくこと自体を自分自身で紡ぎ上げた人生だったかもしれない。
でもそれは、家庭、家族、状況、環境、運命(主に病気たち)
を自らで、勘違いもあったにせよ歩んだ証拠だと思いたい。
そして誇りと思いたい。
だからこそ、私の人生の中での運命には、全てに感謝している。
『運命』は人生全てに値すると思われ
世間一般で言う善きことも悪きことも
何より人との出逢いは全てが運命で。
私自身は全くのダメ人間ではあるけれど
それを助け、救い、悦ばせ楽しませ
生きる意味を教えてくれたのは、私に関わっていただけた全ての人たち。
考えることも悩むことも、奮起することも教えてくれたのは紛れもなく『人』
最期の文章として一番書き記したかった、書き記すべきこと

「ありがとう」

私の廻りの全ての方に。
何も出来ずに終わってしまったちっぽけな人生だったかもしれない
でも私は、あなたに逢えて良かった。
これを関わっていただけた全ての方々に伝えられれば…
ちゃんと静かに眠っています。
終わってからくらいはどなたにも迷惑が掛からないように。

そして何より、今後も生きていかれる方々に健康を、愛を、幸福を
心から願い、最期の文章を締めさせていただきます。
そして私がいなくなってからも“たまには”
「あんな変なヤツもいたよなぁ」
なんて思い出していただけたら、この上ない幸せにございます。

それでは皆さんお元気で。
そして誰より幸せで
(~ちなみに今現在病院検査入院中~)

秋深し・・・
何て思っていた時期、免疫力を薬物で抑制しているワタクシ
まんまと風邪の猛威に。
↑猛威と言うほどでもなかったですが(^^ゞ
でも、毎回毎年風邪は鼻から来るようで
逆に季節柄よく鼻をかみ出すと風邪の予兆。
放っておけば頭痛から熱へ移行
それを避けるために医師からは軽い総合感冒薬と鎮痛解熱剤をいただいており
今回は、毎回鼻からくる…そして皮膚が傷からケロイドになり易い→
こんな観点からアレルギー体質になってきたのではないか
と二十年近くお世話になっている医師からの警告。
今回鼻炎薬はアレルギー性のものを出していただき
約一年前に富山空港の階段で、浴衣姿でひっどく転んだ傷が今更ケロイド状になり始め
ステロイドのテープで対処
名古屋遠征前、治してからの出発にこぎつけることに成功。

風邪で寄席やライブにも名古屋に発つ前あまり行けず、心残り。

しかしひと月半前診察で訪れた
名古屋、というか住所的には愛知、FHE大学病院に膵移植前検査入院へ。
11月ですよ、私は愛知の地で腎臓移植丸5周年を迎えることに。
腎移植から11月13日で丸5年ですか・・・
元からのDMや、腎移植とは関係ないものにも数々打撃を受け
若く元気で健康であったいただいた腎臓サマだけは調子がよく
この最大のラッキー運をいただいているからか
その他はこの5年間は・・・
いいこと、楽しいこと、嬉しいことや感動することも多々あったけれど
マイナスなことが
今まで経験しなかったようなことが沢山自分自身に起こっていた。
これが歳を増すということ?
嬉しいかな哀しいかな、その運命には逆らえず
嫌な思いも悔しい思いも哀しい思いもとんでもなく頭に来た思いも・・・
全て過去の己の運命と、自分の糧にすべく前を向いている昨今。

そんな思いを抱えながら名古屋へ発った。

今回は二週間強と少々長期入院
ノートPCを前もって病院に送っておいた。
しかし家庭の?会社の?金銭面の?問題から大部屋の今回
大部屋=狭い=物の置き場少なくこんな感じに
$believe in oneself,そして人を信じるために
今回痛感したこと
スマホ様々!
Wi-Fi機能、デザリング機能が付いているので
ノートPCはワイヤレスでネット接続OK。
私はパケ代定額なので
PCは入院中、検査の時以外付けっぱなしに。
普段では有り得ないこと
だからこそいろいろな発見も。
皆さん日中かなりな頻度でSNSを更新していらっしゃる。
更新後すぐに見られるちょっとした幸せ感。
これから約二週間強、そうしてまいりますm(_ _)m

土曜日は検査が入る恐れがあるとのことで外出は断念。
しかし日曜日
今回の入院期間では二度ある日曜日
朝から夕飯まで外出許可を取り、念願の城巡りへ。
前回行けなかった名古屋城と犬山城を思う存分回る計画の城マニア。
下調べもしっかりと。
中部東海地方には城が沢山有り、一度は「独り城巡りの旅」
なんてものもやってみたい。
それは・・・膵移植前には!

今回は以前からくどく書いているように、四半世紀にもなるⅠ型DM
=インスリン離脱のため
血糖を永久的に安定の為の膵臓移植の為の検査入院。
前回の中国での腎移植とは違う
日本、自国での臓器移植。
検査項目数限りなく…逆に妙なものまで見つかりそうで
中年化した身体に恐怖も。
早期発見=安心へとつなげたい。
未だ入院二日目だけれど、いくつ検査をやったか…。
一般的血液検査や心電図、レントゲンは勿論のこと
レントゲンの枚数も合計7枚位撮ったのか。
心電図も一般的なものから24時間フォルター心電図も。
↑24時間小型の機械を携帯し、心電図を取り続けるもの
あ、今それ付けてます(^^ゞ
神経伝導速度(分かる方は分かるはず!)他神経系検査も久しぶりにやり
腱反射がゼロのワタクシ、それでも神経反応は弱いながらもあるようで
少々安心。

この先どんな検査をやるかは…
胃カメラとグルカゴン負荷テスト(これも分かる方には!)
は確実ですが、他は何が来るのか
逆に楽しみで!
中国ではほとんど詳しい検査はしなかったので
(日本での検査結果も持って行っていたので)
今は久しぶりにやる検査や「これもか!」という検査に楽しんで
そしてどんな結果かを歳相応に覚悟しております。

とにかく毎日検査を元気にこなす
二度目の臓器移植を待つ障害者でございますm(_ _)m

地元帰ったら漫才大会 at 浅草公会堂です!
宮田陽昇さんたち真打昇進!
とても楽しみです(^-^)/
未だ無職の身。
時間がある割にここを書こうとしない堕落した内面と性格と環境、状況。
こうも状況が平行線ではなく下降線を辿る期間はさほど人生でもないでしょう。
そのくらいに酷い有様。

8月末で前職を退職し、9月中旬までは就活就活!
だったのだが、膵臓移植を執行していただく名古屋の病院に出向き
そこで本格的な検査決定。
膵移植のための検査入院が決まり(11月初旬から二週間強と結構長い)
検査結果が問題なければ膵移植登録が決定。
執行数が少ない膵移植にて、順番の回りも早い。
プラス私は日本人で一番多い血液型。
1~2年後とは言われているけれど、半年やそこらで…
なんていうことも考えております。

その後大阪の眼科の先生の久しぶりの診察を受けたら…
眼に関しても、勿論毎日見ている残った大事な右目
見え方の変化は日々感じていること。
でも、免許更新ができるほどの視力はあるものの
(規定は両眼で、って私の場合は右目だけで0.8以上が必要)
眼科の先生曰く「あなたの目は普通の人が0.8見えてるのとは訳が違う。
分かっているとは思うけど、見えづらいこと多いでしょ?普段も」
ハイその通り。
白い膜がかかったり、黒い点が視野の中に見え隠れしたり
やたらと見えづらい日があったり…。
もう左目失明して長いので、何てことなく普通に日々生活しているけれど
今回は免許更新ではやらない視野検査を実施。
運転免許では左右の視野のみ検査。
今回大阪の病院では360°の視野検査。勿論人生初。
見えている右目側に問題は無し。
しかし見えない左目側…真横は見えても左上、全く見えず。
ドクター論「左上から物が落ちてきたり何かがあった場合は気をつける必要有り」
だそうで。
確かに検査をしてみてはじめてそれに気づかされた。
左はおでこの前くらいに手を置いても全く見えない。
上部に関しては目の前に来てやっと見える左側。
お~こわっ!気をつけなければ。
それが分かっただけでも今回の大阪遠征収穫(?)有り。

とにかく移植のための検査が11月に決まった以上
今就職しても入社後速攻長期休暇?
印象悪すぎ。
そんなことは気にしていられないのかもしれないけれど
とにかく今は検査が終わって帰って来るまで仕事は決められない。

8月の給料も僅かなものだったので
生活の苦しさは危機感を感じるほど。
それでも病院には通わねばならず、食さなければ移植腎に影響する。

ここ数年は1㌔以内をキープするよう体重は保っているので
食に関してはさほど問題はない、もう日常化しているので。
↑何故か?
歳いきますと少しの脂肪が妙なところにつき
老けて見られる!要は『中年太り』的な。
それを回避しいつまでも、どこででも脱げるように←何処で???
薄着だろうが水着だろうがビキニだろうがいつでも来なさい!
と思えるように…
熟女は頑張っております。

生活自体、独りでいる以上全て自らが稼ぎ、住むための家賃を払い
食し、生活し行動しなければならない。
今の時点で当てはまる言葉は「どうにかまかなっていかなければ」
キツいと思うことも人生勉強、人生経験。
全てが将来の糧であるし。

ちょっと今回久々のブログにて、いつも以上に長くなりそうな…
お覚悟を!

名古屋での入院が決まり、家族がいない私は
入院同意書なるものに二名分、世帯の違う人のサインが必須。
父、兄以外私にはいないので、書いてもらいに先日会社へ。

家を出てからなかなかあの、父の「オヤジ論」を聞くことがなかったせいか
今回は結構堪えました。
知識がないのに知識があると、分かっていないのに分かっていると錯覚する性格。
そんな御託をズラズラ並べられ
要するに、病気をしたことがない父上(それはそれで幸せなことですが)
医学、医者、手術が大ッキライ!
だからそれに反論する文献など見つけた日には愛読。
暫くそのことに全てを結びつけて話す有様。
今回も膵臓移植に関してはいくらこちらが正論を並べ、事実を述べても
「他の方法は?」だの「未だに腎臓移植は良かったのか疑問だ」
などと言っている。
どうも最近ハマっている「手術はするな!」
という本にめちゃめちゃ影響されているらしく
その本はガンについての本なのに
ぜ~んぶそのガンの話、ガンの手術の話に結びつける。
「今してるのはガンの話じゃない。膵移植しないと残った眼がいつ見えなくなるか
移植した腎臓がいつダメになるかの瀬戸際って話だよ?」
それでも聞かない、聞かん坊のような父上様。
真逆から考えればカワイイものなのでしょうか?

医学に関し、私の病気に関しな~んの知識もないのにあれでは。
しかし!たった一人の父親ですから。
“70近いんだから変わってなくて当然か…”
こちらの方が冷静だったり。

最終的には検査だけならとサインは貰え
兄は外出中ということで書いて貰っておくことに。

とにかく11月、検査入院行ってまいります。



追伸:
私も結構な年数生きてまいりましたが、確率が断然高いのが
『「自分と同じ!似てる!」という人ほど相手を分かっていない
人が見えていない』ということ。

世の中おバカさんばっかりですから(自分も含め)
イライラせずうまく生きていくのも大切な人生観かと。