こんばんは
今日もご訪問いただき
ありがとうございます
私はね
朝がとっても苦手なの
早起きしなくちゃ…って
思っていても
どうしても
息子が起きるまで
起きることができなくて
息子が少し寝ぼけながら
おっぱいをチュッチュって
30分くらいしてる間に
だいたい私も起きるんだけど
それでも
なかなか体を持ち上げられなくて
息子のオシッコが
パジャマにまで漏れ出しているのを
発見して
やばっ
となって
突然目が醒めることが
しょっちゅう
それでも前は
7時くらいには起きれてたんだけど
最近どんどん遅くなって
この前はそうやって
起きたら9時過ぎてたの
でね、
「あぁ、また起きれなかった…」
「私が起きないせいで
息子も起きないんだ」
「夫の見送りも全然してない、
下げ妻だなぁ…」
とか
自分を責めていたの
そうやって一日がスタートすると
気分も重くて
息子がご機嫌にしていても
私は自分を
責める思考が
止められなくて…って
なってた
だけど
ふと思ったんだよね
これ、
ぜんっぜん意味ないことしてる
って(笑)
そう、
私は
“自分を責める”という
全く意味のないことをして
さらに自分の気が重くなるような
現実を創造していたんです
そもそも
“自分を責める”ことで
現実が改善されるのなら
とっくに
私は早起きの
家事のできる女に
なっているはず
でも
現実は
いくら責めても
ちっとも良くならない
これ
私が名付けた
“THE★宇宙的負のパターン”に
はまってる
そう気づいたんです
よく考えてみたら
“責める”って
エネルギーをめちゃ
滞らせる行為ですよね
子どものちょっと気になる行為
(例えば足癖が悪いとか…
嘘をつくとか…)も
責めなければ
自然と落ち着くのに
親が必要以上に
責めてしまって
余計にひどくなるってこと
いっぱいあると思う。
要は
責めれば責めるほど
それを強化してしまう
ガーン
少し話は違うけれど
ホメオパシーの第一人者である
由井寅子先生の本に
キリスト教の戒律について
書かれていて
“殺人をしてはいけない、という
戒律を作ったことによって
『人を殺してはいけない』という
想念が渦になって
逆に人を殺す人間を生み出す”
みたいなことが
確か書かれていまいた。
神道に戒律はない、
人はそもそも神そのものだから…
という話の流れでした✨
私も、
そもそも人の心に
“人を殺したい”っていう想念って
自然にはないものだと思うんです。
そもそもないものを
“禁止”されることによって
そこに興味が出てしまい
さらにそれを
“抑圧”されたことによって
そこにエネルギーの凝縮が起こって
そのことが現実化するんだな、
と私は思ったんです。
あと、
『なまけ者のさとりかた』にも
自分のネガティブな感情に
“抵抗する”ことで
エネルギーが滞ってしまい
さらにネガティブな感情に
とらわれてしまう、
だから
自分のどんな思いも
抵抗しないで受け入れ、
愛することが大切、
というような内容が
書かれていて
私は数年前から
実践するようにしてきました
確かに、
落ち込んでるときに無理やり
元気になろう、とか
人を憎んでるときに無理やり
愛の状態になろう、とか
やっても
余計苦しくなるだけなんですよね
一時的に良くなっても
また時間を経て症状が
戻ってくるというか。
私はこれを
物心ついたころから
ずっとやっていたから
大人になる頃になって
もう耐えられなくなって
鬱になってしまったんだなぁ…
とまぁ
話がそれましたけど
話を戻すと
私はね
“朝寝坊する自分”を
責めない、
うん、大丈夫って
思うことにしようって
気づいたんだよね
そもそも
私が早起きしなくても
誰も困ってないし(笑)
家族のために
早起きしたいって
思ってるだけで
自分、
エライじゃんって
思うことにしたの(笑)
これで私の
“朝が苦手”が改善されるかは
定かではないけれど
同じ朝寝坊するにしても
どうせなら気分よくした方が
その後の現実も
気分いいものになっていくよね
それが
宇宙の掟だから
あ、この前
たまたま読んだ
AKIさんという
ヒーラーさんのブログに
“人生に良いものを
取り入れる以上に、
大切なのは…
あなたが
自分を責めるのを、
やめることです。”
と書かれていて
めちゃめちゃ腑に落ちました
リブログさせていただきます
今日も読んでいただき
ありがとう
明日の祝日、
みなさんが楽しい一日を
過ごせますように