参考 以下引用
複雑な人間関係を通して成人期の課題を終え老年期に入った魂は、存在の意義の探求へと乗り出す。それは精神性と呼ぶことも出来る。
老年期は他人に何かを教える年代。
この宇宙の中での、私の存在理由はなんだろう、と問う。
彼らは自分も他人も、何かより大きく全体的なものの一部なのだと考える。
すべての人々の間にある密接な繋がり、結び付きに氣付いている。
人と接する時にも、相手の中に自分と共通するものを見つける。
日々の他者との関わりは、自分自身との関わりなのである。
この世の全ての人、全てのものが、神の〝部分〟だからだ。
人と人が話し合うことは身体の一部が、別の部分と喋っているようなもの、つまり神の独り言なのである。
典型的な老年期の魂は個人主義でのんきであり、やりたくないことは滅多にしない。
美味しい食事やワイン、友達付き合いが大好きで、一般的に出世しようという氣がない。
とりたてて強い興味があるわけでもないのに社会の動向や人々の心の中を鋭く洞察することが出来るのも彼らの特徴である。
彼らは9時から17時までのサラリーマンの仕事を嫌い、社会的には変わった人になりがちである。
企業の世界でスーツを着て働くくらいなら、貧乏している方がマシだと考える。
老年期の人々は肉体労働を厭わない。そうした労働を霊的な意味で理解し、楽しむのだ。
彼らは個人的な欲求に合わせてスケジュールを決められる、自営業もしくは中小企業での仕事をしたがる。自由な雰囲氣が好きだからだ。
老年期の魂は園芸やワイン作り、教育、カウンセリングなどの職業に魅力を感じる。
また、哲学や芸術を愛し、自然に囲まれていると寛ぐ。
と、人間としての自分の価値の理解がある。
そして最後に彼らが学ぶべきことは、無条件の自己受容と、無条件の他者受容である。
そのためには自己評価の低さを解決することが不可欠。
自分を受け入れるには寛大になること、そして自分を愛することである。
老年期の魂は特定の人格を持つことはあまり重要ではない。
その人格も彼らが数限りない転生を繰り返して演じてきた多くの人格の一つに過ぎないからだ。
一方、若い魂の場合は、現在の転生で使っている人格が非常に目立つ。
今の人格以外に影響を及ぼすような転生をほとんどしていないからだ。
その理由で、老年期の魂は、実に柔和で多彩な態度をとることができる。