亜紀との出会いは、単純なものだった。ただの、ヒトメボレ。もちろん、俺のだ。


具体的に言うと、海の海岸で、すれちがいざまに目が合って、落とされた。
真夏の海岸。まるで昼の都心の交差点のように人が込み合った中で、彼女はひときわ目立っていた。


別段、目立つ水着をきていたわけではない。それどころか水着の上に薄いワンピースをまとっていた。

けれど、そのまっすぐに一点だけを見つめる強い瞳は人をひきつけて離さなかった。
俺もその目に引き付けられたひとりだったって言う、そんなありがちな話だ。


そんな亜紀と俺とがどうやって知り合ったかっていうと。


「清、今日の晩御飯何が良い?」


亜紀の澄んだ声は、思い出に浸っていた俺を急速に現実に引き戻す。

気づけばもう日は暮れかけていた。窓の外には夕焼け空が広がっている。

亜紀はもう窓際にはいなかった。台所に立って、冷蔵庫の中を丹念に調べている。

「んー、キムチラーメンとか」

真っ赤な夕暮れ空をみながら、そうつぶやく。

亜紀は困ったように微笑して、
「こんな暑いのに、わざわざそんな熱いもの食べるの?」と問いかけてきた。


「それでも食べたい」

まるで駄々をこねる子供のような台詞で返事をすると、「しょうがないなあ」という声が聞こえてきた。
その返答を聞いてまんぞくし、食事ができるまで一眠りしようか、とその場にねそべる。


「ねえ、清」

目を閉じたところで、亜紀の声におこされた。

一瞬、亜紀は驚いたような顔をした。けれどすぐにその口元をやわらげる。
その表情は魔性ともいえるほど魅力的だった。

俺は茫然と、その顔を横目で見つめる。この笑み。俺は、コレにやられたんだ。

「捨てるわけないでしょ」

心の中で期待していた言葉が、そのままの形ですらりと安芸の口から出てくる。

俺は喜ぶどころか、ありふれた返答が、妙にうそ臭いものに聞こえて、思わず笑ってしまった。けれど、扇風機が五月蝿い音を立てながら回り続けているせいで、その自嘲的な微笑が亜紀に届くことは無かった。

そんな訳は無いんだ。きっと、いつか、俺は捨てられる。
君が飽きれば、いつでもお好きにどうぞ、だ。
だけど、それまででもいいから。

「そばにおいててよ」


消え入るような声をだした。

俺の言葉が彼女の耳に届いたかどうかは定かではないが、とりあえず返答はなかった。すでに亜紀の興味は、もうこちらにはないようで、窓の外を眺め、物思いにふけっている。


その姿に呆れかえりながらも、一方で、どこか惹きつけられている自分がいた。

どんな言葉にも、態度にも、全く心を揺らさない人。
亜紀はそんな女性だ。俺はそんなところが好きで、惹かれている。


なのに、時々無性に虚しくなるのは何故だろう。掴めない人を思うのは、苦しい。
どんな笑顔も言葉も、信用できはしない。だからといって束縛できる立場でもない。

俺たちはいわゆる、そういう関係だ。



このまま僕のそばにいて、ずっと。

硬く目をつぶり心の中で静かに唱えた。


蒸し暑い部屋の中、仰向けに寝そべる。あまりの暑さに、流れる汗がとまらない。



最近の夏は、絶対オカシイ、地球温暖化だ。まじめにそう発言すると、笑われた。

笑い声を無視して、枕元におかれている扇風機のスイッチを強にした。

ぶうん、と音がして回りだす。

それと同時に、生ぬるい風が額に当たった。その感触は決して心地よいものではないけど、ないよりはましだろう。



「あついね」


窓際にいすわる女は、肩より長い髪の毛を風に揺らしながらそういった。

外は、憎らしいほどの快晴のようだ。

その証拠に、安芸(アキ)が涼んでいる窓のカーテンの隙間から、ギラギラとした光が部屋に差し込んでいる。

こんな日は海にでかけるのが、一般的なカップルなんだろうか。



それとは裏腹に、部屋の中にこもっている俺たちが、ひどく不健全に思えた。



だけど、この薄暗い部屋で過ごすこの二人きりの時間が、なにより大切なものだってことを、俺たちはお互いに重々理解している。


「ねえ、亜紀」


整った顔をした女は返事をせずに、ただこちらに首を向けた。

まっすぐに通った鼻筋と、涼しげな目元が、なんとも古風な美人を思わせる。

その眼に見つめられたらどんな男でもイチコロだろうと、出会った瞬間に思った。

古い染みが点々とついている天井を見上げながら、くしゃくしゃに乱れた髪の毛をいじり、つぶやく。


「俺を捨てないでね」