昨日は両家顔合わせの食事だった。
挙式を挙げないので、私にとっては結婚式に代わるくらい大切な会。
けじめとして式は挙げた方が良いんじゃないかとか、花嫁姿を見せるべきじゃないかとか、いろんな意見を聞いた。それでもあえて食事会という形を選んだ。

挙式のその価値と同等の、あるいはそれ以上のものにしたかった。私たちらしいやり方があると思ったし、本当にやりたいことは挙式では難しいこともわかってた。
それでも、万が一うまくいかなかったら…と思うと、少し勇気のいる決断ではあった。

結果的には大成功だったと思う。
家族紹介のために作った家系図もウケていたし、話題のタネになって両家が仲良くなってくれた。
一番の目的はそこだったから、その点で大成功。

自分たちのためにお金と時間をかけてくれた家族の愛情を噛み締めて、大切にしていきたいし、私の命は自分だけのものではないこと、忘れずにいたいと感じた。

あいにくの雨模様、と思ったら午後からは雨が上がった。
なんとも私たちらしい天気。曇り空だけど過ごしやすい。

これからどんなことが起こるかな?
今までの28年だって色んなことがあった。
これからもっと色んなことが起こるだろう。
楽しみだ、と思えるくらいには逞しくなれた。
大丈夫。自分たちの手で、頭で、きちんと生きている。
自信持って、楽しく生きていこう。

存在すら忘れていた自分のブログに、7年越しに出会った。今となんら変わらないこと考えてた。人はこんなにも変わらないものなのか。。


20歳と28歳じゃ、経験してる数が違う。どう考えたって人間的に成長しているはずなんだけど、本質って成長云々によるものじゃないんだよな。

当たり前か。気質は努力で変えられない。



核心に気づいてもどうにもできなかったり、知りたくなかったと感じることが、山ほどある。

本当に理不尽で、厳しくて、生きるのは大変だ。

でも、自分の力で生きてきて、大事なことには気づいたんだよ。

恥かいたこと、失ったもの、挫折したこと、死にたくなったこと、その中で残ったもの、嫌いになれなかったもの、嬉しかったこと、それは全部私が自力で出会った価値だった。


7年間を本気で生きてきたから、濾過されて残ったものを誰よりも大事に思えるし、幸せに思えるよ。



同じ感受性のまま、同じようなことを考えてきた7年間だったようだけど、苦しい現実を知ってもなお変わらない、ありのままの自分に少し愛おしさも覚える。

そんなに社会に揉まれたのに。何も信じられなくなるようなことがあったのに。

ポンコツで社会不適合な自分を憎んだ20年と、変わりたくて足掻き続けた7年間。

自分を好きになることまではまだ難しいけど、ようやく大事だと思えるようになったよ。


ここからの7年は、どんな7年になるのかなあ。

全部ひっくるめて自分の人生愛してあげられるように悔いなく生きたいな。


どれだけ自分て小さな人間なんだろう。

何でこんな実感ないんだろう。悲しいのか悲しくないのかもはっきりしない。

こんな状況だって自分の心配ばっかしてんだよ。

小さいよな。
あまりに無力で不甲斐なくてやるせない。


今はクリスマスがどうだとか、同窓会がどうとか、そうやって楽しいことを考えるようにしてる。

それ自体が裏切りのような気がして自分が嫌になる。
嫌になってること自体が許される口実作りみたいでそれがまた許せない。

私が「辛いね」なんて言ってはいけない気もするし。

できることと言ったら、母に迷惑かけないことだけなのかもな。