3日間眠れない夜が続いて、今日も眠れなかったとイライラする。私が眠れていないことなんて誰にとっても取るに足らないことだし、誰も知らない。元来、寝始めれば寝坊するギリギリまで起きない自分が、こんなにも眠れないことは確実に異常事態であって、もうそろそろ解決しなければ精神だけでなく身体も蝕んでしまう。
誰かに心配してほしいと考えてしまうのは幼少期からの自分の悪い癖で、今でもなぜそうなっているのかはわからない。レーナ・マリアという生まれつき両腕欠損、右足が左足の半分の長さしかないのにも関わらず、ゴスペルシンガーであり、パラリンピック女子水泳の選手でもあった人の伝記を読んだとき、とてつもない羨望を抱いた。障碍者を羨ましいと思うのは不謹慎だと言われることは当時も理解していたが、障碍をもっていることが彼女の人生を輝かしいものにしていると感じた。その頃の私が周囲の人間から大事にされていなかったというわけではない。しかし、障碍をもっていること、特に四肢の欠陥や義肢に興味があったことは事実だ。
アポテムノフィリア(Apotemnophilia)という言葉がある。肉体の欠損に性的興奮を感じる性的嗜好のことで、自分はそれに近いものではないかと最近になって知った。性的興奮まではいかないものの、羨ましいと感じてしまう。自分が精神的に病んでしまってからは特に「見てわかる障碍」であったら自分は楽になれるのではないかと考えるようになった。
誰かに心配されたいと思うことは傲慢だろうか。なぜ私はこんなにも心配を欲しているのだろう。親に厳しく育てられ、文武両道が正義であると刷り込まれる中で、「自分はいい子だから大丈夫だ」と親にアピールし続けるのが耐えられなかったのだろうか。
助けての一言が、自分が発するには重すぎるのか。