先月100歳になったばあちゃんが、もう長くないだろうって。
母に用事があってメールすると、京都のおばちゃんも会いに来てたって。天草からオジチャンも来るって。
jiajiaも、ばあちゃん喜ぶから会いに来なよーって。
ほとんど寝てるけどって。
調子があんまり良くないって聞いてたけど、ほとんど寝てるってことはそんなに悪い状況になってたとはーー😱😱😱😱
家が近いので、スグ行けるんだけど、今日は勇気が出らんかった。
本人を前にして、ぼろぼろ泣きそうだったから。
でも、もし今逝ってしまったら、、、って思うと心配で眠れなくて………
明日は会いに行こうかな。
2017年の冬に入院してた時期があって、初めてばあちゃんの存在のありがたさを感じたよね。
今まで見たこともないほど弱りきった姿がショックで
まだ生きてるのに、ボロ泣きしちゃって……………
生きようとしてるのに失礼だったよね、って反省。
でも、涙が出てきちゃうんだもん。
そのときは、父も心配しすぎて精神的に弱ってて。
「今ばあちゃんが死んだら、俺はどーなるかわからん…」ってボソッと旦那に呟いたやらしい。
若いときは
よくケンカばっかしてて、家族以外に心を開かず悪口たたいたり、可愛い子は鳥籠の中に囲って見張っておくような、寂しがりやで偏屈で被害妄想の強いばあちゃんだったのだけど
うちらには、まだまだ必要な存在だったんだ
って、そのとき強く強く実感したんです。
もしかして、それを察知してくれたのかな?
見事に復活。
無事に退院できて、今に至る。
年をとると、触れ合う、ということが皆無になる。
もう後悔したくない、と思って、子どもたちが生まれて鍛えられたハグ(笑)を、勇気を出してばあちゃんに初めてしてみた日のことを覚えてる。
何回かしたら不思議と恥ずかしくなくなった。
生まれてから今まで当たり前にいた存在がいなくなるということ
こんなにもツラいものなのか。
あのお釈迦様ですら、苦悩したというよね。
近しいひとが亡くなるのは初めてなことで、かなり動揺してます。
魂は死なないし、死んだあとのほうが実は会いたいときに会える、とかスピリチュアル好きだから知識として知ってるけど
やっぱり悲しいよねーーー
みんなはどう乗り越えてるんだろ。
生まれてくる命があるから、【ないもの】より【あるもの】に目を向ける究極の練習なのか?!
ばあちゃんの前で泣きたくないんだけどな。
泣かない自信はないよ。
どうしよう…
むかーーーーし、昔、「わたしが死ぬときは【ありがとう】て耳元で言ってね♥️」って言ってたのを覚えてるよ。
それは私が叶えてあげるからね。