今年はお花見できなかったけど、いつの間にか新緑の綺麗な季節になっていて、
先日、実家の家族が熊本市内から天草に引っ越すので、その手伝いで運転してたのだけど。
天草までへの道中、信号待ちでふと横を見ると
つつじ満開やないか~い!
とっても綺麗でした。
おや、あれは藤の花ではないか
天草の海岸も
自然は何ひとつ変わらず。
たまに、本当に地震あったのかな?と疑問になるくらいです。
以下はわたしの体験です。
まだ地震に、なにか感情を持ってるかたは読まないでください。
*****************
9月14日21時26分
今まで経験したことのない、とてつもなく強く長い揺れ
このときは旦那もいたし私もまだ起きていて、平気でした!
食器棚のうえのかき氷器が落ちてきただけ。
次の日は小学校は休みだったので、片付けたり家事するヤル気は出ず、のんびり。
みやびさんが、落ちてるかき氷器に興味をしめして、季節先取りすぎるかき氷を、ゆーしさんが作ってやる。
シロップなしの氷を、みやびさん満面の笑みで食す(笑)
昨日あった地震など何事もなかったかのような、平和な1日。
えーーと、、、すること何だっけ?
のんきな私は、Facebookで知人が「お風呂に水を溜めておくこと」と教えてくれて実行。
ほかは、寝るのが遅かったので、次の日は学校も休みになり、昼寝してグーたらのんびり(笑)
家に何もなかったので買い物に行ったら、ゆーしさんが小学校の新しくお友達になったという親子に偶然出くわし、挨拶できてウキウキ♪
夜は、旦那は夜勤でいなかったのですが、
子どもと寝落ちしてるとき社宅の奥さんたちが
「怖いひともいるみたいなので集会所を開けました~。集会所で寝ても大丈夫ですよ~」と、言いにまわってくださって、とっても嬉しかった!
心配してメールくれたお友達たちもいて、なんだかいつもと違った、感情が芽生えてきました。
1週間以内に、また大きい余震が来るかもしれないけん、気をつけてね!って友達の言葉に、私は「えー!やだなー!」と返す余裕がこのときはあったね。
いちお、布団のそばに、靴を置いて寝ました。
明日も「おとといの地震こわかったねー!」って、会うひとと笑って話すんだろうなぁ~と、のんきに思いながら……
…………
4月16日1時25分
突然の物凄い揺れ
昨日よりも断然、強く長い
バリーーーーン!!!ていう食器の割れる音
リビングの電気をつけたまま寝ちゃったんだけど、食器の音と停電と凄い揺れに
身の危険を感じた!
さすがに子どもたちも起きた!
食器棚が倒れていた!
と、とりあえず、玄関のドアをあけると
上の階の奥さんが走って階段をのぼってて目が合って「大丈夫ですか?!」と。
「 、、、 大丈夫です!」と答えてから、必要そうな荷物をまとめて、毛布を持って、建物から出て、とりあえず子どもたちを車の中に。
社宅の奥さんたちと、小学校へ避難するか集会所にするか相談している間にも大きい余震が何回も。
町内放送や警報はなりやまず、ヘリコプターの音もけたたましい。
どーーーなるんだーーーー
こんな状況にまさか自分がなるとは信じられなくて……
……
どこかワクワクした気持ちが……!!!?
????
はい、
わたし、意外と神経が太くできてるみたいです( ̄∇ ̄*)ゞ
でも、実家の母たちと連絡がとれない間はとてつもなく恐怖でした。
古い家だったので、震度3くらいでも怖かった。
ヤバイ
神様助けて!どうか無事で!
数分後に、メールが来て、母父祖母3人ともみんな無事とのこと。
父と、痴呆の入ってる祖母は、事の重大さがわからず、身の回りを整理してるだけ。
母が、避難しようよって言っても却下。
何度も強い余震がつづき、ケータイの警報が鳴るたび、びくびく!
そのうち「気象庁からの拡散。マグニチュード7.4以上の地震が来ないと収束しない。12時間以内に、家の中にいないでください」という情報があちらこちらで出回る。
嘘か本当かわからない混乱した中だったけど
そのことを母に伝えたら、みんなで家を出たので、ひとまず安心!
これけらは家族からのメール等には、後回ししたり無視せずに、ちゃんと返そうと、家族を大事にしようと誓うのでした。
集会所では、子どもたちは遊んで冴えて寝つけず、ケータイの警報や余震が来るので、ナーバスに。
一睡もできなかった。
夜明けがこんなにも嬉しいのは初めてのことだった。
*******
それから、余震の間隔があいてきたかなぁ~!と思うほど、昼間は余震は少ないのですが、なぜか夜を狙ってる?!
夜によく揺れます。
まるで地震が「忘れてないかい?」と脅してるような。
**************
嬉しかったこともあります。
本震から夜が明けた日の午後
なんと!集会所に、救援物資を持って来てくれた仙台のかたたちが!
(1回目の地震から来てくれたのかな?)
自分らの安全を省みず、いち早く駆けつけて来てくれたことに涙~~~~
そして、水がなくなる?!モノがなくなる??
オイルショック時のイメージしかなかった私は、これからどうなるのか不安だったけど
日本は資源はたくさん。
とても豊富なんだ。
何も不安に思うことはないんだ。
ひとも心がとっても優しい。
もしかして地震って、最適な受けとる練習?
地震、生かすも殺すも自分次第なんじゃ?
私は、そう感じました。
学べるものがたくさん。
*********
台湾のほうが日本よりも近いという(笑)石垣島に転勤した兄も、実家にやって来てくれました!
車中泊を3日くらいさした母たちは、すぐ天草へ引っ越しました!
(尊敬してる方から、賢明な判断!と私まで褒められて嬉しい(笑))
義実家に子どもたちを預けて、私も手伝いに行き、帰りは兄と温泉に入って帰ったのですが……
ひとりで天草から帰りよるとき、落ち着いた~と思った地震が!ケータイの警報も!町内放送も!
ちょうど駐車してるときだったので、良かったのですが、初めて車の中で地震を経験しましたー!
阿蘇の大橋が崩落した件があるので、橋を渡るときは怖かった……
この橋です。

窓を全開にして、落ちてもすぐ車から出れるように( ;∀;)無事に渡れたときはホッとしました~~~~
****************
10日ほど経つ今は、確実に落ち着いてきました!やっとこさ!
幼稚園も今週の月曜日から始まり、水もガスも戻りました!
登校したのまだ2回しかない、ゆーしが一緒なの以外、日常に戻っています。

幼稚園から、帰ろうとせず、ずっと遊んでいます。。。
子育てに疲れる~~を楽しんでいる私です。
震災で亡くなられた方のご冥福を、ただただ祈るばかりです。
私にできることは何だろう?
とても近くにいるのに、まだできることは見つかっていません。
GWに阿蘇にパラグライダーしに行くことを楽しみに4月をがんばろうと思っていた矢先……
阿蘇があんなことに……( ;∀;)
阿蘇神社や熊本城、水前寺公園……
崩れた様子だけを見ると悲しくなるけど、癒しを与えてくれた阿蘇たちに、今度はうちらが何かしてあげる番かな。
実家の家も、
兄から写メが来たとき、私は「うわー!無惨ね!私、泊まってなくて良かったー!」と思ったのですが
「ボロいボロい言われながら3人を守ってくれたけんね。」と兄。

まだ良いほうなのかもしれないけど。
最初はなんの写真かわからなかった(笑)
兄の言葉を思うと
無理矢理ではない
自然と、ありがとうの気持ちが沸いてくる
些細な日常がこんなにもありがたいなんて思わせてくれる今回の出来事
自分の意外な1面を知ることができたのもあるが(笑)
ひとの優しさにもたくさんたくさん触れることができました。
ありがとうございます!
何が言いたいのかよくわからない記事ですが
私自身、まだよく思考がまとまってないのですが
書かせていただきました。
私も子どもたちも元気です!
先日、実家の家族が熊本市内から天草に引っ越すので、その手伝いで運転してたのだけど。
天草までへの道中、信号待ちでふと横を見ると
つつじ満開やないか~い!
とっても綺麗でした。
おや、あれは藤の花ではないか
天草の海岸も
自然は何ひとつ変わらず。
たまに、本当に地震あったのかな?と疑問になるくらいです。
以下はわたしの体験です。
まだ地震に、なにか感情を持ってるかたは読まないでください。
*****************
9月14日21時26分
今まで経験したことのない、とてつもなく強く長い揺れ
このときは旦那もいたし私もまだ起きていて、平気でした!
食器棚のうえのかき氷器が落ちてきただけ。
次の日は小学校は休みだったので、片付けたり家事するヤル気は出ず、のんびり。
みやびさんが、落ちてるかき氷器に興味をしめして、季節先取りすぎるかき氷を、ゆーしさんが作ってやる。
シロップなしの氷を、みやびさん満面の笑みで食す(笑)
昨日あった地震など何事もなかったかのような、平和な1日。
えーーと、、、すること何だっけ?
のんきな私は、Facebookで知人が「お風呂に水を溜めておくこと」と教えてくれて実行。
ほかは、寝るのが遅かったので、次の日は学校も休みになり、昼寝してグーたらのんびり(笑)
家に何もなかったので買い物に行ったら、ゆーしさんが小学校の新しくお友達になったという親子に偶然出くわし、挨拶できてウキウキ♪
夜は、旦那は夜勤でいなかったのですが、
子どもと寝落ちしてるとき社宅の奥さんたちが
「怖いひともいるみたいなので集会所を開けました~。集会所で寝ても大丈夫ですよ~」と、言いにまわってくださって、とっても嬉しかった!
心配してメールくれたお友達たちもいて、なんだかいつもと違った、感情が芽生えてきました。
1週間以内に、また大きい余震が来るかもしれないけん、気をつけてね!って友達の言葉に、私は「えー!やだなー!」と返す余裕がこのときはあったね。
いちお、布団のそばに、靴を置いて寝ました。
明日も「おとといの地震こわかったねー!」って、会うひとと笑って話すんだろうなぁ~と、のんきに思いながら……
…………
4月16日1時25分
突然の物凄い揺れ
昨日よりも断然、強く長い
バリーーーーン!!!ていう食器の割れる音
リビングの電気をつけたまま寝ちゃったんだけど、食器の音と停電と凄い揺れに
身の危険を感じた!
さすがに子どもたちも起きた!
食器棚が倒れていた!
と、とりあえず、玄関のドアをあけると
上の階の奥さんが走って階段をのぼってて目が合って「大丈夫ですか?!」と。
「 、、、 大丈夫です!」と答えてから、必要そうな荷物をまとめて、毛布を持って、建物から出て、とりあえず子どもたちを車の中に。
社宅の奥さんたちと、小学校へ避難するか集会所にするか相談している間にも大きい余震が何回も。
町内放送や警報はなりやまず、ヘリコプターの音もけたたましい。
どーーーなるんだーーーー
こんな状況にまさか自分がなるとは信じられなくて……
……
どこかワクワクした気持ちが……!!!?
????
はい、
わたし、意外と神経が太くできてるみたいです( ̄∇ ̄*)ゞ
でも、実家の母たちと連絡がとれない間はとてつもなく恐怖でした。
古い家だったので、震度3くらいでも怖かった。
ヤバイ
神様助けて!どうか無事で!
数分後に、メールが来て、母父祖母3人ともみんな無事とのこと。
父と、痴呆の入ってる祖母は、事の重大さがわからず、身の回りを整理してるだけ。
母が、避難しようよって言っても却下。
何度も強い余震がつづき、ケータイの警報が鳴るたび、びくびく!
そのうち「気象庁からの拡散。マグニチュード7.4以上の地震が来ないと収束しない。12時間以内に、家の中にいないでください」という情報があちらこちらで出回る。
嘘か本当かわからない混乱した中だったけど
そのことを母に伝えたら、みんなで家を出たので、ひとまず安心!
これけらは家族からのメール等には、後回ししたり無視せずに、ちゃんと返そうと、家族を大事にしようと誓うのでした。
集会所では、子どもたちは遊んで冴えて寝つけず、ケータイの警報や余震が来るので、ナーバスに。
一睡もできなかった。
夜明けがこんなにも嬉しいのは初めてのことだった。
*******
それから、余震の間隔があいてきたかなぁ~!と思うほど、昼間は余震は少ないのですが、なぜか夜を狙ってる?!
夜によく揺れます。
まるで地震が「忘れてないかい?」と脅してるような。
**************
嬉しかったこともあります。
本震から夜が明けた日の午後
なんと!集会所に、救援物資を持って来てくれた仙台のかたたちが!
(1回目の地震から来てくれたのかな?)
自分らの安全を省みず、いち早く駆けつけて来てくれたことに涙~~~~
そして、水がなくなる?!モノがなくなる??
オイルショック時のイメージしかなかった私は、これからどうなるのか不安だったけど
日本は資源はたくさん。
とても豊富なんだ。
何も不安に思うことはないんだ。
ひとも心がとっても優しい。
もしかして地震って、最適な受けとる練習?
地震、生かすも殺すも自分次第なんじゃ?
私は、そう感じました。
学べるものがたくさん。
*********
台湾のほうが日本よりも近いという(笑)石垣島に転勤した兄も、実家にやって来てくれました!
車中泊を3日くらいさした母たちは、すぐ天草へ引っ越しました!
(尊敬してる方から、賢明な判断!と私まで褒められて嬉しい(笑))
義実家に子どもたちを預けて、私も手伝いに行き、帰りは兄と温泉に入って帰ったのですが……
ひとりで天草から帰りよるとき、落ち着いた~と思った地震が!ケータイの警報も!町内放送も!
ちょうど駐車してるときだったので、良かったのですが、初めて車の中で地震を経験しましたー!
阿蘇の大橋が崩落した件があるので、橋を渡るときは怖かった……
この橋です。

窓を全開にして、落ちてもすぐ車から出れるように( ;∀;)無事に渡れたときはホッとしました~~~~
****************
10日ほど経つ今は、確実に落ち着いてきました!やっとこさ!
幼稚園も今週の月曜日から始まり、水もガスも戻りました!
登校したのまだ2回しかない、ゆーしが一緒なの以外、日常に戻っています。

幼稚園から、帰ろうとせず、ずっと遊んでいます。。。
子育てに疲れる~~を楽しんでいる私です。
震災で亡くなられた方のご冥福を、ただただ祈るばかりです。
私にできることは何だろう?
とても近くにいるのに、まだできることは見つかっていません。
GWに阿蘇にパラグライダーしに行くことを楽しみに4月をがんばろうと思っていた矢先……
阿蘇があんなことに……( ;∀;)
阿蘇神社や熊本城、水前寺公園……
崩れた様子だけを見ると悲しくなるけど、癒しを与えてくれた阿蘇たちに、今度はうちらが何かしてあげる番かな。
実家の家も、
兄から写メが来たとき、私は「うわー!無惨ね!私、泊まってなくて良かったー!」と思ったのですが
「ボロいボロい言われながら3人を守ってくれたけんね。」と兄。

まだ良いほうなのかもしれないけど。
最初はなんの写真かわからなかった(笑)
兄の言葉を思うと
無理矢理ではない
自然と、ありがとうの気持ちが沸いてくる
些細な日常がこんなにもありがたいなんて思わせてくれる今回の出来事
自分の意外な1面を知ることができたのもあるが(笑)
ひとの優しさにもたくさんたくさん触れることができました。
ありがとうございます!
何が言いたいのかよくわからない記事ですが
私自身、まだよく思考がまとまってないのですが
書かせていただきました。
私も子どもたちも元気です!