すごくあたっているなぁ~と思う。





 『離婚の危機を乗り越えて(1)~ホッとして、あふれ出す感情~』

                               根本裕幸


浮気や価値観の違い、経済的理由などで離婚の問題に発展し、でも、何とかお
互いもう一度やり直そう、頑張ろう、と思い立ったとします。
しかし、一度離れかけたためにできた溝、お互いの中にある不信感、また同じ
事が繰り返されるのではないかと言う不安感、そして、別れを切り出したほう
は罪悪感で、切り出されたほうは無価値感。
さまざまな感情が揺れ動き、全然自信が持てません。


●ホッとして、あふれ出す感情

「別れてくれ」夫にそう切り出されても、これからのことを考えたり、彼への
愛情を思えば、決して容易に受け入れられる話ではありません。
特に「うまく行っていると思っていた」とすれば、青天の霹靂。目の前が真っ
暗になり、呆然としてしまうものでしょう。

特に相手に女性がいるとしたら、なおさらショックは深まり、また、焦りも強
くなります。眠れなくなったり、食べ物も喉を通らなくなったりするかもしれ
ません。

また、いきなり離婚調停を申し込まれたら、パニックになって、どうしていい
のかが分からなくなるでしょう。

そして、何とかやり直せるように、今までの自分を反省したり、自分を変えよ
うと努力したりされると思います。
その一環で、カウンセリングに足を向けられる方もいらっしゃいます。


そのときは旦那さんの心を取り戻そうと必死になっています。
どんなことをしてでも離婚を回避したい、という気持ちが強く、自分が悪かっ
た、とめちゃくちゃ責めてしまいます。

ご主人に「私の悪いところは全部直すから」とすがってしまうことだってある
でしょう。

「ご主人に怒りは感じませんか?」とお聞きしても、「今はあまり怒りはない
んです。むしろ、私が悪かった、なんであんなことしてしまったんだろう、と
思ってしまうのです。」などと答えられます。

でも、その気持ちが真実かどうかは、ご主人が戻ってきたときに初めて分かる
ものかもしれません。

迷子になってる子ども。あんまりぎゃーぎゃー泣いたりしないんですよね。
でも、お母さんの姿が見えた途端、うんぎゃーーーー!と泣き叫ぶんです。

安心すると、それまで不安や恐れの力で抑えられていた感情が一気に噴き出し
てくるんです。


それと同じで、ご主人が戻ってきた途端、ほっとします。もう大丈夫だ、と安
堵します。すると、それまで押さえていた感情が一気にあふれ出すことが多い
のです。
それまで押さえてきたわけですから、自分の中にそんな感情があるとは思えな
いものも少なからずあるんです。先ほどの「怒り」のように。

「戻ってきた旦那に、ついつい私がどれだけ辛かったのか話してしまうんです。」
「怒りが凄く出てきて、夫を責めてしまうんです。」
「不信感がとても強くて、もう夫が信じられないんです」
「ネチネチと嫌味を言ってしまうんです。嫌われるって分かってるのに」
「涙が溢れて溢れて。ついつい夫の顔を見ると泣いてしまうんです」
「なんか、恨み辛みって言うんでしょうか。今度は私が浮気しなきゃ気がすま
 ないような感じがするんです。損してるみたいで」


『別れを切り出された』側というのは“依存”の立場です。離婚を回避するた
めに必死に頑張ってきたんですけれど、どこかで「夫に何とかして欲しい」と
か「傷つけたのは夫なんだから、彼が私を慰めるべき」という欲求(依存心)
が隠れています。そうすると、ご主人が戻ってきた途端、それが噴き出してし
まい、上のような発言に繋がるんです。


でも、分かりますよね?

こういうことをしてしまうと、再び彼の心が離れていく、ということを。
だから、できるだけ早い段階で、こうした感情を手放してしまいたいのです。
彼が「戻ってきて良かった」「ここが俺の居場所なんだ」と感じられるように。

カウンセリングの初期に「種を撒きましょう」というお話をさせていただくことが少なくありません。
今あなたがご主人のために、家族のために、自分自身のためにしたことが、すぐにではないものの、必ず花を咲かせ、実を実らす時期が来るということです。


そして、ただ一時だけで放っておけばいいわけでなく、水や肥料をやるように継続することが大切なんです。
種を撒いてもなかなか始めは芽は出ません。


でも、そこで諦めてしまったら、種のまま、もしくは発芽しかけたままで枯れてしまうことだってあるのです。
必ず芽は出るし、花は咲く、そう信じて続けることがとっても大切なんですね。


そこでは子ども達などの家族、友人、信頼できるカウンセラーなどの存在はとても心強いものです。


藁をも掴む気持ちなればこそ、プライドをかなぐり捨てて問題解決のために踏み出すことも大事なこと。
ご主人の前では笑っていなければならないわけですから、泣ける場所、愚痴を言える人、弱い自分を晒せるところが必要ですよね。


元々自立側に居た方は、問題を軽視したり、面倒に感じたり、いい加減にしてよ、という気分になったり、相手からすればますます興ざめする態度を示しやすいんですね。


いわば、自立時代に取っていたあなたの態度が蘇り、クビを締めつけられる時期とも言えます。


「あたし、何をやってるのかしら。もうあの人、いい加減にしてよね」

とか

「もう、どうせ浮気なんて一時のことなんだから、元に戻ってよ」


などとか、そういう思いが心を過ぎり始めたら、もう一度ふんどしを締めなおすことが大切です。

でも、そう言う風に嫌な自分、最悪な気分など、本当にしんどいものばかりを見たとしても、すべての問題は必ずその大きさに比例した恩恵をもたらしてくれます。
人生最大の悲劇は、人生最大の喜劇となるのです。


●同じパターンを繰り返さないように注意。


そんな風に問題と向き合い始めても、なかなか思うように状況が進展しないとイライラしたり、自立時代の習慣が蘇ってくる事があります。

例えば、かつてご主人に「あれをこうして、それを何とかして」など色んな注文を付けていた奥さんがいるとします。


そんな中、浮気の問題が起こり、改めてご主人への愛情に気付いた奥さんは、何とか関係をやり直したいと頑張っています。
(この愛情が無く、子どものため、経済的な都合、などの他の要素で離婚したくない場合は、やはりしんどい結果になることが少なくありませんね)

でも、何かふと張り詰めていた気が緩んだときに、やはりご主人に


「浮気をやめて帰ってきて、元通りあたしを愛してよ」

などと、まるで過去と同じように、あれこれを注文をつけてしまうんです。

そうするとやはり


「お前は何も変わってない」

ということになりますが、こういう切り出し方は相手に最悪の印象を残してしまうことが多いんです。
だから、特に言葉の使い方には注意したいところです。

でも、そんな風に色んな方のお話を伺うと、問題が架橋に入ってきたときに、


「なぜ、二人がうまく行かなかったのか?」

「なぜ、ご主人が浮気に走ったのか?」

「なぜ、離婚を切り出してくるのか?」

といった根本的な問題がわかってくることが少なくないんです。


だから、もし、解決に向けて頑張っているときこそ、相手ではなく自分を見つめることが大切になってくるんです。
相手がどうする?相手が何をする?よりも、自分の日常の中での当たり前の態度がとても大切になってくるのです。

そして、きちんと自分を見つめることが大切なのです。


●“浮気返し”は禁物。

そして、もう一つ大切な事。
この問題でカウンセリングに来られた方ほぼ全員に僕がお伝えする事は、

「離婚するまでは男作っちゃダメですよ」と。

皆さん、「それは絶対無いです。何てこと言うんですか」という反応をされるのですが、実は高い確率で、そうなる、あるいは、そうなりかけることが多いんです。

浮気の問題と向き合っていくとき、必ず自分磨きをしていきます。
魅力的になって旦那をもう一度振り向かせよう!というプロジェクトをスタートさせていくんです。
理屈や法律ではなく、情で心を動かすのが目的ですからね。小手先ではない、心の内側から自分を輝かせていくアプローチをします。
そうすると、本人が認めようが、認めまいが、確実に魅力的になっていきます。

でも、まだまだ初期の段階では旦那はそれに気付いてくれませんし、内面的な変化は服を変えるようには目に見える効果を出してくれません。
だから、自分が魅力アップしてるってことに全然気付けないんですね。(受け入れられないんです)

でも、魅力的になってることは事実だから、そこに付け入る隙が生まれてしまうんです。
しかも、旦那にそっぽ向かれて寂しいし、プライドはずたずただし、そんな時に、別の男性にアプローチされたら、すごく心が揺れてしまうと思いませんか?

「そんな出会いなんてあり得ませんもん!」
そうおっしゃる方もたくさんいましたが・・・、でも、出会う時には出会っちゃうんですよね。

数ヵ月後に「ほら、言ったでしょ?」と僕に意地悪を言われることになってたりするんです。
だから、先ほどの言動、態度に気をつける、という意味でも「浮気はしないこと」と肝に銘じておいて欲しいのです。

(そのお陰で助かりました・・・という方もたくさんいらっしゃるのは嬉しいことです。好きな人ができそうになったときに、この注意点を思い出して相談してくださり、難を逃れた(?)方も少なくありません)



●再選択~最後はあなたがもう一度選択します~

さて、辛い道のりが続くので、しんどいばかりかというとそうではありません。
魅力的になったり、自分を見つめなおしたり、多くの変化が訪れます。
そこで学ぶことといえば、本当はたった一つ。


「いかにご主人を愛するか?」

浮気している(していた)夫というのは、妻から見れば裏切り者だし、自分を傷つけた罪多き犯罪者という見方もできます。
どうしたって許せない気持ちになることだってあるでしょう。


でも、「夫ともう一度やり直したい」という気持ちは、言い換えれば「夫をもう一度愛したい」ということになるのではないでしょうか。

だから、今の最低、最悪のご主人をいかに愛するのか?が実は最大のテーマなのです。
彼のことを本当に愛することができたら、彼の前でグチグチ言わず笑顔で接しようとするでしょう。
彼が居心地が良くなるように、家の空気を保とうとするでしょう。
彼を自由にしてあげることだってできるでしょう。

でも、そんなこと言われてもそんな聖人君主にはなれないよ・・・と思われるかもしれません。
いえいえ、この問題が発生したときに、すぐに諦めたり離婚届を取りに走らなかったあなたはきっと、そんな人になりたいのではないでしょうか。
彼の笑顔のために、自分や子供達の幸せのために。

だから、そこに向かって「今の彼を愛する」ことを選択してみてはいかがでしょう。
もちろん、上手になんてできません。
でも、不器用でいいんですよ。泥臭くていいんですよ。
葛藤しながら今の彼を愛そうとすること。
それがきっと光明に繋がります。

そんな茨のようなプロセスを進まれると、最後にもう一度あなたが選択するチャンスが巡ってきます。
離婚するかどうか?の選択になる場合もありますが、実は「もう一度やり直すか?」という選択権があなたにはまだあるんです。

「え?旦那が離婚したいって言うんだし、あたしはやり直したいんだから、そんなのっておかしくないですか?」

と思われるかもしれません。

でも、多くの方のプロセスを拝見していると、最後の最後は「戻って来たい」と旦那が言い出したときに一番の苦渋を見るようです。

「本当にそれでいいのか?受け入れてもいいのか?本当にこの人でいいのか?」

変な話ですが、改めてこの人のプロポーズを承諾するのかどうか?という機会がやってくるんですよ。
始めの頃は、そんなときが来たら、すぐにYesを出しちゃうのに!と思うんですけど、いざ、その場面になってくると迷うんですね。

それは本当に幸せが手に入ってしまうという怖れでもあるし、今までの疲れや怒り、恨み辛みなどが表面に出てくるタイミングでもあります。
(迷子になった子どももすぐには泣き出さずに、お母さんの顔を見てホッとした瞬間にぎゃーっと泣き出すでしょう?それと同じで、旦那とやり直せる、と思ってホッとした瞬間に自分には信じられない感情が噴出すこともあるんです)

だから、それを見越して、「選択」や「感情の解放」を始めの頃から進めていくんですね。
そして、改めてご主人を選択できる自分へと成長してくんですね。


●それでもあなたは幸せになれます。

こういう問題は消耗戦ですし、頑張れば頑張るほど、相手を許せなくなったり、何でこんな目に合わなきゃいけないのか、と弱さが露呈してしまったり、様々な内面の問題を見せ付けられます。
それだけでも辟易するのに、相手の暴言や悪態などが重なってくると、本当に絶望してしまうことも少なくないと思うんです。

そんなときに明るい未来を描こう!とか言われても、逆に「できるわけないじゃんっ!!」と逆切れしてしまうと思います。
だから、そこで幸せなヴィジョンを描く事こそ、そこは我々の仕事だと思っているんですね。

本当に「これはもうだめなんじゃないか?」と思われる状態に陥った方が、今は夫婦仲を取り戻して子どもが生まれちゃったりしています。
笑顔で離婚して、今はまた新しい人と、素敵なパートナーシップを築いていらっしゃる方もいます。

どんな結果になるかは分かりませんが、あなたがまた心から笑えるようになることは可能なのです。
幸せだなあ~と実感できるようになることもできるのです。

そのときにはきっと、この問題が起きた事に自然と感謝すらしています。

「相手の浮気のお陰で、私は自分を見つめなおせたし、成長できたし、パートナーを本当に愛することを学んだ」と。

今は信じられないかもしれませんが・・・。

義父が電話してきた。のっけから


「最近他の教会に行っているようだが、どういうことなんだ!」




義父も義母も癌で大きな手術を経験している。


体の辛さは本人にしか分からないだろう。


同時に、浮気をされている、

浮気され続けている、

金と女でこっぴどく裏切られ続けている 妻の気持ちも


体験したものにしか分からない。



今から半年前。


夫が不貞をしている。= バレたら牧師を解任だ

夫婦の離婚の危機 = 牧師生命の危機だ。


という事態に


一時は、たいへん心配して親身になってくれた義父だが


ひと段落して、


どうやら離婚はなさそうだ、、、となった途端、


言ことが変わってきた



「あんたも養ってもらっているんだから、すこしぐらい我慢しなさい」


「安い皿を買ってきたらいいんだよ。 ●●ばあさんもね、亭主の女遊びによく腹を立ててね、皿を割っていたよ。なにか気を紛らわすことを自分でも考えなさい。」





犬も食わない夫婦喧嘩というが、


他人から見たら、そんなものなんだろう。


実際、それが一番平和な解決策だろう。


ほとぼりをさめるのを待つ。。。というのか




だが、それを面と向かって言われると さすがに失望した。


それも牧師に。




信者が悩みを抱えたとき、真っ先に相談するのは、牧師だが


うちの場合はそれが、問題の張本人=夫の父親 というのが厄介だ。


忍耐、寛容、秩序、平和、口から出てくる言葉は聖書に書かれているとおりのことだが


どうしても素直に耳を傾けることが出来ない。



「秩序を乱しているのは誰なのか?あんたの息子じゃないか。


私にばかり、忍耐、を求めるが、


本当に忍耐しなければいけないのはいったい誰なのか?


まったく自分の息子には甘く、


私にばっかり厳しいことを求めるな!


親がそんなのだから、むすこがあんなに甘ったれになるんだ!」




言ってやりたいことは山ほどある。


実際にはなかなか言えないけれど。





「息子と一度、じっくり話をする。男同士でしっかり話し合う。」


半年ほど前、息子の不貞に怒り心頭していた義父に


強力な助っ人を得た気になった私は


「それなら、その日は私が子どもを引き受けて、どこかに出かけてきます。その間にゆっくり男同士で話をしてください!!よろしくお願いします」


と私も子ども二人を引き連れて、はるばる成田まで時間つぶしに出かけたが、


結局、その日は、夫は「用事がある」とあっさり、義父を断り


その空き時間に洗車して、女に会いに出かけていっていた。



、、、頼りない義父








右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい



有名すぎるキリスト教の教えだが、


義父の口から聞く御言葉に


もう私は素直に耳を傾けられなくなっていた。



別の教会に通いたい。



そんな思いがふつふつとしていた矢先に、

すんごいいいお料理教室があるのよ~」と知人が興奮して教えてくれた。


それは、団地で開かれる素朴な家庭料理

高級ではないが、肉や魚など、良い材料をふんだんに使い、毎回6種類もの料理を大量に作って、手土産まで持たせてくれる、という。


値段は2500円。生徒はマックス4名。2名でも開催してくれる。


採算度外視。ボランティアですか?といいたくなるような値段だが、聞くと先生がクリスチャンなのだという。


宣教目的か?と思ったけれど、教室で何かを特に勧められることは一切ない。食事の前にお祈りをする程度だと。




実際に伺ってみて、


やはりとても素敵なお教室だった。


お料理はもちろんだが、先生がなにより素敵だった。


つややかな肌、目の輝き、


心が満たされると目と肌が輝くというが、


先生の心が主への深い感謝と祝福に満たされていることが、


一目で分かった。


同じクリスチャンとして、自分が恥ずかしくなるほど・・・。


まさに


世の塩地の光だ。



先生の教会に行ってみたいな。



そんな風に思っていたが、なかなか行動に起こせず、


実際に行ってみたのはお教室に通い始めて数ヶ月が経っていたと思う。




住宅地の一角、壮大な敷地にたつ大きな教会

化学物質を吸着するというクリーム色のタイルに無垢の床材、

すばらしい音響設備、生バンド、賛美歌を手に持たずに賛美できるようにと考えられたプロジェクター。

手入れされた庭、教会学校

牧師の想いが隅々まで詰まったとても素敵な建物だった。



メインの教会員は20代~40代というのも新鮮だった

そして、なにより牧師の説教がすばらしかった。


やさしく、丁寧で、しかし、深いな御言葉の心理。

牧師が神学だけではなく、様々な分野のことにも深く精通し、勉強していることがよくわかるお説教だった。


結局、この日の御言葉は一回では咀嚼しきれず、


分かったようでわからな~い」と


街でばったり会ったけれど、あの人誰だっけ?思い出せな~い。といったような


もやもやした、こそばゆいような、すっきりしない感情を大いに抱えて帰ることになってしまったけれど、


ここに通っていたらきっといつか、「あぁ、やった!分かった!これなんだ!」と、


膝をたたく日が来るんだろうな。という


予感というか確信めいたようなものを大いに感じる教会だった。






そして、今まで行ったどの教会よりも、楽しくて、分かりやすくて、


心が平安だった。


そう、


いつの間にか心のもやもやしていたものが消えていた。


この数ヶ月、ずっと胸に抱えてきていた、重圧、苦悩、忍耐。


そういったものが


不思議と消えて、喜びに変わっていた。


心の底からの笑うことが出来たのは、数ヶ月ぶりだった。





神様、感謝します。。。


素直に、そんな言葉が口から出てきた。




ありがとう。ありがとう。






ただ、悲しいかな。


未熟者ゆえ


その気持ちはそんなに長くは続かない。


相変わらず、夫は行動が怪しく、甘ったれた言動は腹立たしいし、で。


気がついたら日常のあれこれにまた気を揉んでしまう毎日


でも、真っ暗闇な日常に、その教会に一縷の光を見たのは幸いだった。





今は 次の日曜日が、待ち遠しくて仕方がない。


嗚呼、神様。感謝します。





そんな矢先、


夫の実家から連絡があった。


「最近、他の教会に行っているようだけれどねぇ・・・・」



私達はファミリーなんだからね。


月に1回だけでもこちらに顔を出すことは出来ないのか?



1回、飛ぶと、2週間は、間が開く、ということになる。


正直、今の私に、それは酷な提案だった。


渋る私に 義父はだんだん高圧的になり、


「聖餐式そんなことをしていると、今受けてる恵みをすべて失うよ。


聖書には、神様との契約を破って、死に追いやられた人物だっているだから。


なんたらかんたら


そして最後は


ピーチさん、忍耐だよ。忍耐・・・。

物事には、秩序ってもんがあるんだよ。


平和を乱してはいけない。平和を乱すものは・・・・



もう、無理です!


ず~~~~っと、これまでどれだけ忍耐をしてきたと思っているんですか?


所詮お父さんには、人の気持ちなんて分からないんですよ!



この後、とめどなくひどい言葉を吐いてしまいそうで、勝手に電話を切った。







もう、ほっておいてほしい。


そっとしておいてくれ!


夫にもやりたい放題やられ、


夫の親にも、いいたいことを言われ




もう、ゲンカイデス!




数日前、


妻には結婚指輪もかっていないのに、


愛人にはせっせと貢いでいた  という話を聞いて


我を忘れて発狂してしまった私。



「もうあなたとなんて出会わなければよかった。結婚しなければよかった。昔に戻りたい。20年前の、あの頃に!


私だって、別れたい。


さっさと別れてせいせいしたい。





でも、それはいけない、と思って頑張っているんでしょう


人として、親として。そんな逃げの人生はいけない・・・でしょう?


そんな人の気も知らないで


いつまでのらりくらりと、甘ったれているわけ?








夫に不倫をされている妻はみじめだ


夫の不貞がわかった時、


まず一番の感情はショック


頭を殴られたように、くらくらして倒れ伏してしまう


そのうちわきあがる、むらむらとした怒り


胸をかきむしられるかのような悲しみ


やがてそれは静かに内に向かい、自己否定が始まる




私が悪いからだ

私には魅力がないからだ


となる。


そうしながらも、


また、夫は、次々と


怪しい言動を繰り返し、外泊をされたり、ショッキングなメールを見つけたりし、


そのたびに妻は


ショック → 怒り → 悲しみ → 自己否定 → ショック → 怒り →


の連鎖の中をまっすぐに突き進んでいく。


それはまるで蟻地獄のようで、もがけばもがくほど、這い上がれない。



そして、そのうち


私には妻としての資格がない


生きていても仕方がない、とか


自分が死ねば、すべてがうまくいくのに。。。と



なってしまう


我が夫の場合は特に、


最寄り駅に着く直前まで、または 玄関に入る直前まで、

愛人と電話したり別れを惜しんでいたものだから

なおさら



二人の愛の邪魔をして、わたしはなんていやな女なんだろう。とか


私さえいなければ、二人は自由に会えるのに。 とか


私なんて消えてなくなればいいのに。


病気になって死ねばいいのに


あす、事故で死しんだら、夫は喜ぶのではないか



と、そんなことばかり考えては、


子どもの顔を見て いかんいかん、と自分を戒める毎日。


そのうち、家から一歩も出れなくなり


朝から夕方まで、ストーブの前に座ったまま1日がすぎていくようになった。


夕方になって、子ども達の帰宅に、はっと我に帰り


渾身の力を振り絞って子どもにご飯を作り、お風呂にいれ、宿題をさせて、寝かしつける。


だけの毎日。


夜は、一緒に寝てしまうことも多いが、決して気は休まらない


今、この瞬間も、夫が愛人といると思うといたたまれないし


飲み仲間と楽しんでいるかと思うと、人の気も知らないで! と恨めしい。


11時、12時、1時、、、時計のちくちくという音が心臓に突き刺さり


酸欠の金魚のように口をパクパクしてしまう。




こんな精神状態だから、当然、料理は手抜き、家は荒れ放題、子どもの成績も下がり忘れ物も多い、


年度末の学校や幼稚園の予定などもすっぽかして先生から電話がかかってきたり


クレジットカードなどの引き落としも、残高不足、と督促状が届く


日常生活が滞り、子どもの会話も右から左に耳をすりぬける


なにより精神的にすごく不安定で


些細なことで、子どもをしかりつけてばかりいた。


テレビを見ている、漫画を読んでいる、ご飯を残す


些細なことなのに、ヒステリックに怒りたおす


そのうち、手が出てしまうようになった。


パチン、頭を叩くだけが、


だんだん、力を込めて、殴ったり蹴ったり。



自分でやっておきながら、


「いたい、いたい」と泣く子どもを見るのは、本当に情けなくて、悲しくて、辛くて。



すぐに


泣きじゃくる子どもを抱きしめ、謝るが


こっちも涙が止まらない。





もういやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。


もう、無理。





ストレスのはけ口は自然と弱者=子どもに向かう。


子どものために、夫婦をやり直そうとしているが、


こんな状態では、元も子もない。





「出て行ってください」


夫にそう頼んだのが12月も中旬。




ゲ・ン・カ・イです。


私はよく我慢して来ました。


でも、もう無理です。


かわいそうです。私が。子どもが。


そろそろ、楽にさせてください。



離れて、お互い、本当に何が大切なのか、考えましょう。







出て行ってください。といわれことがショックだったのか?


虐待していることがショックだったのか?



分からないが、


その後、夫は急に、愛人とはもう別れた、と言い出した。



「もう別れるから、信用してくれ。これまでも、この先もずっと、お前の側にいる。心配はいらない


これを乗り越えたら、俺達は前よりもっと良い夫婦になれると思う。そうなるようにがんばろう」



そういって抱きしめた。



「クリスマスも家族で一緒に過ごそう」



愛人とは、クリスマスを祝うことも、プレゼントを交換することもない。


もう、何も心配するな。心配要らないから。


何回も何度もそう言った。







嬉しい・・・


嬉しかった・・・・

だが、どこか素直に喜べない。


心のどこかでサイレンが鳴っていた。


「うそだ・・・・」


以前は


温かく、大きく、父親に抱かれたかのように、心が安らいだ夫の抱擁だが


もうそれを感じることはなかった。




でも、信じよう。と思った


信じたい、と思った。


夫がそういう限り、信じなければ・・・・。









だが、それははかなくも数日であっさりと裏切られることになった。


年末、夫は愛人と二人でしめしあわせて会社を休んで


日帰り旅行へ出かけていった。




なんのことはない、


今まで、堂々とやっていた浮気を、


その後はひた隠ししに隠すようになっただけのことだ。





家が、


妻が


ここまで崩壊しているのに


それでもやるか?


まだやるか?





以前は、純粋に、夫に戻ってきてほしかった。


「血迷っている」夫に正気に戻ってほしかった。


だが、ここまできては、もうそれはもう 「はしか」とは呼べない。



信頼関係が根底から覆えされた

あきれる、、、を通り越して


殺意を   感じる。







バカ男。
ほんとに自分は何てよわいんだろう


数時間前まで、
「神様にゆだねます!」と決めていたのに
夫が帰ってきて、
なんとな~く怪しい土産、電話、言動、
そこに女の影を感じて
また気分がブルーに。
アメリカ出張。
国内と違って、さすがに同伴はできないが
逆に妻の目が届かない

移動時間もたっぷりある
電話もメールもやりたい放題だ。

はぁ~
男って、

どうして、こんなことをするんだろう・・・
悲しい、を通り越して、いまや不思議


大切な人を、悲しませて、どうしてそんなに平然としていられるのか?
子ども、配偶者、母親、父親
みんなの涙と引き換えに
手に入れたい男など
どこにもいない。
鬱、になるほど配偶者を陥れてまで

連絡を取りたい相手など
一人もいない。

・・・のだが、男は違うのだろうか?

そもそも、大切な人、というのが

妻子、親ではなく

愛人、ということになるのか。




サタン、の誘惑に勝てるのは

信仰の盾のみでしかない、と

牧師は言う。




「妻子と別れて愛人と一緒になる!!!」
そう言い出した夫だが
だんだん冷静さを取り戻したのか、
昨年クリスマスごろから「心を入れ替えた!」と


愛人は自分で断ち切って見せるから、
信用しろ。と
言い出した。



それまでの数カ月の素行と言動があまりにもひどかったので、

正直、まったく納得はできなかったが、
夫が信用してくれ、と言われて

信用しないわけにはいかない。

努力した。


そうしながらも、

二人で小旅行に行ったり、
夜中に長電話していたり、
かばんからコンドームが出てきたり
愛人とは関係ないけれど
隠し収入がバレたり、



どこが別れてんねん!
いったい何をしんらいせぃっちゅうねん!

今日は夫が出張から帰ってくる。


めずらしく夕方には帰宅だ。


出張中は毎日メールを交わしている。


写真も送ってきてくれる。


コンクリートジャングルの日本とはえらい違い 広大な湖のそばに立つ広いオフィス 夏はそこでボートが乗れるらしい。


夫の顔も晴れやかだ。メールの文章も心なしか、元気がいい。


日本にいる時より明らかにはつらつとしている。


夫はきっと海外にいたほうが、幸せなのかもしれない。







ここ数カ月、胸の中には、いつも重いおもりをぶら下げていた。足には足かせをはめていた。


夫はいま、恋の病に落ちて、正気ではなく、今にも道を踏み外さんばかり。


周りからは、あなたがしっかりしなくては駄目よパンチ! と言われてきたし、


子どもを守るのも自分しかいない、と思っていた



踏ん張ってきた。しんどかった。






でも、


実は昨日からすこし心が軽い


『5つのパンと2匹の魚』
(新約聖書 マタイの福音書 14章1~21節)


『イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。


「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」


もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。


「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。


「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」イエスは言われた。


「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。


「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。』(新約聖書 ヨハネの福音書 6:5~13)


1.神は私たちの信仰を試される

イエス様は弟子を試したと書かれています。神と私たちの物差しは違います。人は行いのめがねでものを見ますが、神は信仰のめがねで見ておられます。信仰は神のことばをどこまで信頼するかです。ですから神のことばと自分の考えの違いを悔い改めるのは信仰の第一歩です。神は私たちがほんとうに御言葉を信じているかを見たくて、試されます。


2.信仰は一歩踏み出す勇気が必要

弟子たちは最初から無理だと何もしませんでした。しかし、少年はイエス様の言葉を聞いて、自分なりに食物を集めて差し出しました。その時、イエス様は奇蹟を起こされました。信仰には一歩踏み出す勇気が必要なのです。ばかばかしいと思うようなことかもしれません。しかし、御言葉にあるから神が必ず導いてくださると、勇気を出して踏み出すのを、神はご覧になりたいのです。


3.信仰は神に委ねること

神は聖書の中で何度も委ねなさいと言われます。私たちは自分にとって大切だと思って何かを握りしめたり、心配しているせいで、逆につらい思いをしていることがよくあります。手放して、神に委ねれば楽になるのに、なかなかそうできません。しかし、自分のすべきことをやってしまったら、あとは委ねれば、私たちの想像をはるかに越えて神様は私たちを助けて導いて下さいます。




私が、大切だと握りしめているもの、


それは、 家族、こども、こどもの心、こどもの未来 かな。



自分はどうでもよかった。


今の生活を手放すことに未練はない。


家を売って、田舎に戻って


実母の近くでのんびり子育てしながら


食べていければよかった。


良い人がいたら再婚してもいいし


ダメならこの先独身でも。


私はなんとでもなるし、なんとでも生きていける。




でも、


でも、子どもたちから


父親を奪うことが


怖かった。


子どもたちは本当に


父親を大好きで必要としていたから。




大人のエゴで、


自分の忍耐不足で、


子から父親を奪ってはいけない、と


ずっと、思っていた。



父親のいない子どもが不幸になるケース


ごまんと見てきた。


私は、


無理をしていた。


優雅に泳いでいるが、水の中では必死に足をばたつかせている白鳥のように


平静を装っていたが、いつも泣いて、疲れていた。





でも、


それもこれも全部含めて


もう、手放そう~~~ニコニコアップ



と思う。


握りしめていた手を


開こうドキドキ




すったもんだして


なんども夫婦で話し合ったり喧嘩したり仲直りして


愛人とまで話したけれど、



やっと今日


その御言葉を


心の中に受け入れることができました。


神様、感謝します。





これは、今日行った新しい集会と


共に祈ってくださった仲間のおかげ




久しぶりに、教会が楽しい、と


思えた。


日曜日が待ち遠しい。


そして仲間のために、心から祈りたいと


思った。


ひとのために祈れる幸せ。





気持ちが軽いと、


体が楽だ。


そして、なにか美味しいものをつくりたくなってしまう。




油白菜(ナァーユーパイツァイ)


冬野菜のクリーム煮



浮気夫と暮らすクリスチャン妻の日記  



ポイントは、野菜をくたくたに煮ないこと


エバミルクと貝柱のおかげで


シチューよりずっとあっさりしているのに


コクがある。


なにより心も体もぽっかぽか


あっと言う間にできるのにすごくおいしいドキドキ



子どもたちに出したら


「おいしい~~」とがつがつ食べてくれて


母親の幸せがじ~ん!



あたりまえの、些細な幸せが


乾いた心を癒してくれる



プチ鬱、っていうのかな。


ここ何カ月も何もする気が起こらなくて。


あまり美味しいもの、作ってなかったな。




夫にも早く食べさせてあげたい。




それから、


肉まんとあんまんも作ってみた。


無心に小麦粉をこねながら


自分の心をこねてるような気分に・・



浮気夫と暮らすクリスチャン妻の日記  




包み方も上手になってきたチョキ




いよいよ夫が帰ってくる。


夫がいない間は平和だった。


夜中に帰りを待ちながら、じりじりと過ごすこともないし、


愛人からのメールの着信に怯える必要もない





夫が帰ってきてくれるのは、


うれしくもあり、しんどくもあり。




でも、


美味しいものでも作りながら


待とうかな。


幸い天気はいい晴れ


布団を干して


念入りにお掃除して。


上等の明太子も解凍しておかなくっちゃ!







この希望は失望に終わることがありません。 
             ローマ人への手紙5章5節