The Wonder Years -2ページ目

漢になるということ

こんにちは。数年ぶりに犬のウンコを踏んでしまった者です。


オーストラリアに来て3ヶ月が経ちました。
その間、1回しかブログ更新してませんでしたね。

さて、3ヶ月何してたのー?と聞かれれば「図書館と散歩」という、日本でやれwwwって声も聞こえてきそうですが、実際自分の思うように事は進まないもんなんだよね。


まず、最初の1ヶ月くらいは、新しい生活に慣れればいいやくらいにしか思ってなかったから、バイト探しも本気ではやってなかった。

仕事が無い分、毎日4時間以上は英語を勉強したり、スティーブ(大家で同居人)が週末はどこかに連れ出してくれたおかげで、仕事してなくてもヒマだなんて思う時間は一切なかった。(めっちゃ寝てるのもあるけど 照)


ポール(スティーブの長男)の引越しを手伝ったり

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チャイニーズレストランで食事とか

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スティーブの孫の誕生日パーティとか

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その他もいろいろとスティーブの家族と過ごす日があって、友達がいない分、自然なオーストラリアンライフを楽しませてもらってます。


子供を抱くという慣れないことをして、はにかむオレ。

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そんな中、オーストラリア生活も1ヶ月を過ぎた頃から真面目にバイト探しを始めたんだけど、何せ今住んでるところがシティから1時間以上も離れた田舎で、近所のショッピングセンターくらいしか近くに店が無い。
シティで仕事となると、バスが夜中まで走ってないので昼間しか働けないのと、往復で毎回8ドルの交通費がかかるので、とりあえず近所でバイト探しをすることにした。

とは言え、何軒か履歴書配ってみたけど、渡すそばから「ダメだと思うよ」みたいな顔をされるばかり。
募集してるところに絞ろうってことで、インターネットの掲示板で探すけど、こんな田舎どんぴしゃで募集してるとこなんてほとんどない。あっても一切折り返しの連絡無し。

最大で6ヶ月しか働けない片言の外国人を雇ってくれるところはあるんだろうかと不安になり、この家とスティーブと猫3匹が好きだけど、シティで仕事見つけて引っ越すことも考え始めたころ、応募してたショッピングセンター内のスーパーから突然、電話がかかってきた!

どうやらこのまま電話で面接をするってことで心の準備も無いまま面接は始まった。

最初は働く時間帯とか時給とかの話で、それでも受けますか的な内容だったので、イエスイエスを連呼してたんだけど、面接始まりますよーみたいな雰囲気になってから半分以上何言ってんのかワカンネー!!

とりあえず、何度か聞き直してわかったのが、
『あなたにとって接客とは何ですか?』って質問。


オレ:えー えー んーっと 客をリスペクトしてー 客をー 客がー えー 私はー
お姉さん:オーケーオーケー じゃあ私他の応募者にも面接しなきゃいけないから、結果はメールするわー じゃーねー


と、あっという間に面接 終了。

電話を切って1分足らずでメール到着。
『今回は応募してくれてありがとう!残念だけどまた今度の機会にヨロシクね』
というテンプレメールで完全に 糸冬了。


凹んだー せっかく地元で職を掴むチャンスだったのに 凹んだー
こんなんじゃ今後、どこ行ったって同じ結果なんじゃないかとお先真っ暗な気分になった。


ただ、その一日で色々考えた。
シティに行けば、日本人経営の日本人達が働く日本食屋の仕事は結構ある。
けど、せっかく外国に来てるのにそれはどうしてもイヤだった。

カナダの時も絶対に日本食レストランでは働かないって決めていた。
そのせいでカネが尽きても、色んな人の助けでフレンチレストランの仕事が見つかるまで何とか凌いでいけた。

でも考えた。また同じように日本に助けを求めるんじゃ何の成長も無い。
また同じことの繰り返しをするがイヤだった。
だからせめて今回は自分が今できることを最大限やってみることにした。


そんな風に考え始めてから、日本食レストランにも積極的に応募するようになった。

がしかし、だからと言って簡単にいかないのが世の中。
電話しても、さっき決まっちゃいましたとか、経験無いとダメですとか、女の人じゃないとダメですとか。。。← 恥ずかしいから最初から書いておいてよ!
って感じで思うように行かない。

あまりストレスとか感じない方だと思ってたけど、夜中に起きて寝付けなかったり、バイト探す夢みたりという日が続いた。


やる気はあってもカネだけが減っていく中、またもや突然の電話。
近所のショッピングセンター内の巻き寿司とか売ってるファーストフード店からだった。
いつでも面接行けますってことで、面接してもらうとその場で採用決定! 


日本食ファーストフードとはいえ、マネージャーがシンガポール人で、他の従業員は全員チャイニーズ。
日本人ばっかりの環境も覚悟してたから、中国人でも会話は英語だし、職場に歩いて行けるしで満足。
しかもカウンター越しで、英語での接客の仕事。
これもまた忘れられない経験になるだろうなぁってポジティブな気分です。


ちなみに、この仕事が決まってからすぐ、近所のマックからも面接のオファーあったんだけど、寿司屋のバイトが週6なので、残念ながら断る結果になった。
マックが先ならって一瞬思ったけど、色々考えると今はこれで良かったと思う。


それにバイトが決まったことで明確な貯金プランもできるのでオーストラリアを去る時の旅行、それも『オーストラリア大陸半周、レンタカーで走破一人旅』を計画中!
ワクワクが止まらないぜ!

男だったらこんなワイルドな旅もしないとね。



そう、そしてこれが漢になるということさっ!!


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フリーマントル

小学校では工作クラブに所属していました寺島です。


いやー 一年ぶりくらいのブログ更新です。
オーストラリアに来たのを機にまた始めたいと思います。

そんなわけで、日曜日にフリーマントルってところに行って来ました。
古い町だそうです。詳しくは知りません。


小さな町なので駅でマップを手に入れてフラついてみました。

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立派そうに見えてただの張りぼてなフリーマントル駅

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マーケットに向かって歩いているとゲーセンを発見。
何気なく見回ってみると、セイミツ製品が!(前の会社)

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こんな離れたところにもあの頃の汗と涙の結晶があると思うと嬉しい限りです。
なーんて考えながら歩いているとマーケットに到着。

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中にはごちゃごちゃ色んな店があるけど、こういうところを観て周るだけでも面白い。

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オヤジが焼いてるソーセージがやたらウマそうだったけど、贅沢は敵と教わっているので仕方なくカバンの中でペチャンコになったおにぎりを食べながらフリーマントル刑務所へ向かった。


マーケットから約10分歩くと高い塀と共にムショの看板が現れた。

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フリーマントル刑務所は1850年~1991年まで使われていたオーストラリア囚人遺跡の一つで世界遺産になっている。

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ちなみにガイドツアーが4つもあって普通のツアーと脱走ルートをたどるツアー、地下トンネルを冒険するツアー、夜中に懐中電灯で巡るツアーがある。

どれも面白そうだけどハジメテなのでノーマルの1時間コース指名無しにすることにした。

次のツアーまで少し時間があったので、残りの潰れたおにぎりを頬張って待った。

時間になると看守の格好をしたババアおばさんが鐘をならしながら
『チケットを手に持ってあっちの建物に入んな!』
と叫んで観光客15人くらいが収監された。

中に入るとありがたいことに違う看守のお姉さんがいて、ガイドとして説明しながら中を案内してくれた。

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中の景色は当然ながらムショそのものといった感じ。

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キッチン、独房、運動場、死刑場なんかもあった。

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約1時間のツアーが終了して出口に向かうと入り口付近で次のツアーが始まっていたが、ガイドが鐘を鳴らしてたあのババアだった。


その後、町に戻りつつ海の方へ向かって小さなビーチらしきものを見つけたど、せっかくならもっと広いビーチに行ったときに写真はアップします。

4時間観光して1時間半かけて地元に戻って疲れ気味だったけど、
朝のソーセージを買うべくショッピングセンターでバスを降りて店に向かうと日曜日はやってないらしく完全に閉まっていた。

同居人で大家のスティーブ59歳に電話すると迎えに来てくれたので、車で帰って小旅行は終了した。


そんなわけで、スティーブと家のことは今度改めて書きます。

そして数時間で誕生日だぜ!

JAPANライフ

お久しぶりです。まんぼーです。

さっき記事が全部消えて無気力になっているので、手短に書きます。


帰国してすぐの頃は色んなところに久しぶり感があったし、
よく行ってた飲み屋、飯屋にも行ってやっぱうまいなーなんて感動してたけど
今やすっかり元の生活に慣れきって、カナダでの生活が夢でも見てたかのような感じすらします。

今はオーストラリアに行く為の資金を貯めながら、相変わらず毎日飲んでる生活です。
最近の状況といえばそんなもんかなー


先月、妹と姉とオレの三人でzepp tokyoへスカパラのライブへ行ってきました。

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前回は国技館だったので、自分の席の範囲で踊ることしかできなかったけど、
今回は始まった瞬間はしゃげました。曲的には前回のほうがよかった感はあるけど
今年は初のスカジャンボリーに参戦する予定なので、それを楽しみにするとします。


あと先日、なっ様ことなっさん、いや、なっちゃんからチケットが余ってしまった凛として時雨のライブのお誘いがあったので、全然聴いたことなかったけど行ってきました。

開演前にビール飲もう!ってことで生ビール半額の店で久しぶりの再開を果たしました。
ほどよく飲んで参戦したわけだけど、案の定二人とも途中で放尿の刑にあいました。

ライブは演奏が良くて普段聴かないタイプだったので楽しめたし、
自分じゃ来ることなかったはずだから、こんな機会をくれたなっ様に感謝します。


ライブ後、小ばちやが近いので行きますかってことで、初小ばちやを体験してきました!

思ってた通りの店内で、つまみも酒も旨いし、店の娘もいい感じで噂のI氏とも会うことができて
時間を忘れて飲んだ結果、終電が無くなり漫喫送りになったけど、
あっというまに過ぎた時間はそれだけ楽しかったってこと。

今度は他のみなさんも一緒に飲めたらいいなと思います。


そんな感じの近況ですが、今日は夕方から少し辛いツマミ達を作ってビールとマッコリを
バルコニーで飲みながらブログを書いてみたけど、思いのほか涼しくて快適に過ごせました。
夏の夕方って好きなんだよなー もう夜だけど。


そんなわけで、まだ会っていない方は近々会いましょう。
では!

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ケベックからジャスパーへ

12日の朝、ケベックシティを出てその日の夕方にトロントに着いた。
これが最後のトロント、とはいえ次の宿の予約、車内での食料の買出し、さらには携帯の解約と感傷に浸る隙も無くあっという間に乗車時間を迎えた。

発車時刻の30分前に乗車開始なので、いつもはエコノミー席は自由席の為、
客は列を作って待っているのに40分前に着いたが誰もいない。
またも独り不安になる外国人テラシマ。


乗車時間を少し過ぎた頃、一人の駅員がやってきてこの列車の乗客と確認すると
乗車口まで案内してくれたので、そのまま列車に向かい乗り込むとすでにそこには沢山の客が席に座っていた。
んなあほなと思いながらも無事に空いてる二人席を確保できた。
ここから更に2日半かけてジャスパーへ向かうので、相席では寝るにも精神的にも辛い。


ケベックを出てから約3日半、二人分の席を使っても熟睡は難しくシャワーも無しで
なかなかハードではあったけど、ついにロッキー山脈に囲まれた自然の中の町、ジャスパーに到着した。

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到着後すぐに滞在分の食料と酒を買い込んで、ホステルのピックアップサービスの車がくる場所を探して歩いた。
今回のホステルの場所が山の中のため、宿から迎えの車が決まった時間に来ることになっている。

それにしても荷物がめちゃくちゃに重い。。。
バックパックにPCを含む車内生活用品の入った肩掛けカバン、
そして買出しの袋約5キロ。この状態で見知らぬ土地を彷徨うのはかなり苦痛だった。

がしかし中々その場所を特定できない。
同じ通り沿いにはいたので、思ったよりも遠いのかと思い覚悟を決めて歩き出したその時、
一人のオバサンが、そっちには何も無いけどどこ行くの?明らかな観光客のオレに声をかけてくれた。
オレが宿のピックアップがあるはずだと説明すると、それならきっと駅の隣のバスターミナルだと教えてくれた。

このオバサンがいなければムキになって果てしなく突き進んでいたに違いない。。。
心優しいオバサンに感謝しながらも、明らかに違う場所が記されていた宿のネットの地図に腹が立った。

無事にターミナルには着いたものの、オバサンの言ってることが本当なのか逆に怪しくなってきたので、
電話の英会話は苦手だけど念のため公衆電話から宿に確認してみることにした。
電話が繋がると、更に追い討ちをかけるように、相手の声が遠く不戦敗気味な気持ちになったが、
え?どういうこと?あーそういうことか。いやいや違います。を繰り返して何とか詳細を把握した。
したはいいが、次の迎えが来る時間は3時間後しかないと言われ途方にくれた。

タクシーなら15ドルくらいで着くわよと言われたが、そんなカネがあるならそもそもこんな安宿など取っていない。

とはいえ、この荷物ではどこへも行けない。行く気がしない。
仕方なく駅の隅にある剥製が並ぶ不気味な場所でひたすら時間を潰した。

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ようやく時間になり外へ出ると小雪が舞うなか、8人ほど宿の客が車を待っていた。
全員は乗れないので、先発後、更に15分待ってやっと車に乗り込み宿に着いた。


チェックインの際にアイスウォークという凍った渓谷を歩くツアーがあることを知り、そのまま翌日のツアーに申し込んだ。


カナダ内での時差により、2時間得した気分のオレは普段通りに起きても早起きなため、ツアーのピックアップにも遅れることなく、イケメン外人の車に乗り込んだ。
その後、数箇所のホテルで参加者を拾って、目的のなんとか谷に向かった。


渓谷を流れる水は全て、もちろん大きな滝までもが青く凍っていてその光景に感動して写真を取りまくった。

今まで見たどんな建物よりも美しかった。

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約3時間のツアーを終えて駅前で降ろしてもらったのがちょうど昼過ぎころだったので、スーパーで缶詰のシチューを買ってベンチで食べた。こんなもん暖めもしないでおいしくいただける食通でない舌に感謝した。

味はともかく腹を満たしたオレは、宿で聞き出したハイキングコースに挑むことにした。
歩くことは好きだ。特に自然の中を歩くのは気持ちがいい。

ジョン・デンバーを聴きながら、カントリーな雰囲気に酔うことにした。

しばらく歩いていると突然目の前に鹿が数匹現れた。
鹿慣れしていないオレはビビッたけど、野生の鹿が間近に現れるような自然にも感動してしまった。

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その後、道路を離れて山道に入り、宿でもらった地図を片手に山の中をどんどん突き進む。


どんどん。


突き進む。



完全に山の中にただ一人の状況が続いた。

山道なうえに、あたり一面雪で覆い尽くされている。
軽い気持ちでハイキングに挑んだが、実際は孤独な山登りだった。

たった2m幅ほどの道らしきものがある以外は遭難者並みの光景が永遠と続いた。

ほんとーーーに、だーーーれもいない。
全行程約5時間歩きつくしたんだけど、その間、街に出るまでは誰一人として会わなかった。


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地図と分かれ道に印されているコースナンバーだけが頼りだった。

こんな雪の積もった山道、ちょっくら渋谷へ行けるようなシティーな服装と装備で歩いてるジャパニーズなんているわけない。と言い切れるほどネイチャーな道のりだった。

おまけに、楽しみに目指した2つの湖は当然ながら凍り付いていて、どっちも単なる真っ白な大地と化していた。

とはいえ、雪に囲まれた山はわずかな風の音だけで、静かで、たまに立ち止まってはその静けさと、
時折拓ける自然の光景を満喫した。

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約5時間後、無事に宿に着いた後は肉を焼いて酒を飲んで寝た。



翌朝、チェックアウト後、駅まで送ってもらいクソ重いバックパックを列車にチェックインした。

2日間しかいないジャスパーの一日目をDSやら剥製を眺めてるだけで過ごすはめになったオレは、
列車の発車時刻は14時半だったので、それまでの時間を利用してクソ重い肩掛けカバンのみで、懲りずに前日とは反対側のハイキングコースに繰り出すことにした。

クソ重いカバンのせいで前日よりか肩の負担がデカかったけど、
ハイキングコース自体は山登りではなく、ハイキングと言える道のりで天気も良く本当に気持ちよかった。

2時間ほど歩いたところで、小高い丘を登るとそこには素晴らしい眺めが待っていた。
少し寒かったけど、そこで休憩することにした。

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地面に座って景色を眺めたり、寝転がってみたり。
ものすごく穏やかな気分だった。

もっとその場にいたかったけど、動いていないと暖かさを維持できないので
小学生ぶりに影送りをやってまた先に進むことにした。


しばらく進むとちょうど折り返し地点に辿りついた。
このまま同じ道を戻るのもつまらないので、川沿いの道路脇を歩いて町に戻ることにした。
夏に歩いたらもっと雰囲気があるだろうなー、なんて勝手なことを考えながら自然の道とはまた違った味のある道を楽しんだ。

猿岩石がヒッチハイクしてそうな道。

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約4キロの道を戻り駅に着いた頃には発車時刻までまだ1時間あったけど、
朝から3時間半のハイキングを堪能したオレは、駅構内で乗車時間まで休み、カナダの自然を感じることのできたジャスパーをあとにして、カナダの最終目的地バンクーバーへ向かった。

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ケベックシティ

9日の昼にハリファックスを出てケベックに向かいました。
その車内で車掌さんから、君の席は非常事態の場合の係りだからと言われ、
非常口から遠い車両の真ん中の席なのに、何故か任命され車両後部の非常口の開け方を伝授されました。

18時間ほど過ぎた頃、乗り換え駅の手前で列車異常で1時間動かなくなり
結局手配されたタクシーでケベック駅に到着しました。

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明け方のケベックの街は人気もなく静かだった。
宿のチェックインの時間は昼頃なので、宿の方に向かいながらオシャレなマックで寝不足の体を休めることにした。


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数時間仮眠したあと外に出ると街は賑わっていた。

ほぼ迷うことなく、宿について早めのチェックインも問題なくできた。
毎回同じ系列の宿に泊まってるんだけど、ここは今までで一番でかい。
一晩風呂に入れなかったので、速攻で入ろうとしたら何と1時から3時まで清掃時間により入れないとの張り紙が!
待っていても仕方ないので、臭いまま街を歩き回ることにした。


いやー 同じフレンチカナダでもケベックは街もキレイだし活気もあってモントリオールよりかずっといい。

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壁に囲まれているFFっぽい街、ケベックシティ。

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一番気に入ったのが城みたいな古いホテルのシャトー・フロントナック。(名前もカッコイイ!)

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とりあえず勝手にロビーに入って歩き回っていると、ホテル内のガイドツアーの看板が目に入った。
早速近くのインフォメーションにいたおばあちゃんに聞いてみると、参加するには予約が必要とのこと。
ずる賢く残念そうな顔を見せると、ちょっと待ってと言って何やら電話したあと、
5時からの回でよければと、笑顔で手配してくれた。いいおばあちゃんだった。

一度宿に戻りシャワーを浴びて向かうと、集合場所には15,6人が集まっていて
フランス語ガイドと英語ガイドに分けられた。
すると階段からキレイなメイド服のお姉さんが現れてフランスチームを連れ去っていった。

こっちチームはどんな人かなーと1分ほど待っていると、
階段から口笛を吹きながら現れたのは、背が低い小太りなメガネのおっさんだった。

とは言え、なかなか味のあるオッサンでガイドも楽しかったので良しとした。


夜になり腹が減ってきたので、スーパーを探したけど町並みからしてありそうな気配もない。

適当に街のはずれの方に歩いていると信号待ちしている人の中に
ピンクのTバックとわかるくらい透けてるスパッツを履いたお姉さんがいた。
完全に心奪われたオレはプリプリなケツについて行くこと数分、
偶然にも小さなスーパーにたどり着いたのでプリケツにお礼を言って店に入った。

思いのほか肉が安かったので肉と安ワインを買って宿で一杯やることにした。

実は宿の冷蔵庫にケベックの法律により宿に酒は持ち込めませんとの張り紙があったが
従うわけもなく、ブドウジュースのボトルとワインを部屋で入れ替えて堂々と飲んだ。

散々歩き回って体力を消耗していたせいか、
牛肉650グラムとワイン1リットルをあっさり平らげ満足した。

その後、ほろ酔い気分で出かけた夜の街は人気も少なく、
ライトの明かりが幻想的な雰囲気を醸し出していて美しさを増していた。

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次の日、モンモランシーの滝という落差82メートルの滝を見に、郊外に出た。
目的地までは市バスで向かう。こういうローカルなシステムを初めて使うときは
使い慣れた人達に混じって勝手のわからない状態でいるので緊張する。

目的地の名前は確認済みだったけど、フランス語がちゃんと聞き取れるか心配していたがバス停のアナウンスすら無くみんな黙々と自分の目的地手前で止めてのボタンを押していた。

40分くらい経った頃、偶然にも近くに座っていた旅行者風の女の子二人組みが降りる素振りをしていたので
注意深く外を見ていると停留所にモンモランシーの文字があったので降りることが出来た。
そしてそこはこのバスのルートの終点でもあった。


まだ雪も残ってて河の表面も凍っているシーズンオフの滝は数人の観光客と地元民とすれ違う程度だった。
到着地点が滝の上側なので全貌を見る前に滝の真上にかかっているつり橋を渡りながら上から滝を眺めた。

下からも眺めたかったけど、まだ凍ってるため行けなかったので少し離れた所まで行って眺めた。

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帰りのバスで転寝していたオレは目が覚めた瞬間、ココだ!と思って降りたとこが全然手前で、結局そこから30分かけてもとの街に戻った。

ケベックはバスの数がハンパない。勿論それぞれ行き先だかルートだかは違うけど、3台連なって走っているのは当たり前。道路を見渡せば必ずバスが目に入るほどだ。
そのおかげで、見知らぬ土地でもバスが曲がった角を確認して目的地まで戻ってこれた。

宿に戻って夕食を冷凍食品で手短に済ませて、次の日の出発に備えて寝た。


次の目的地はカナダの自然溢れるジャスパーです!
(とかいってこの記事はすでにジャスパーで書いてるけどな!)

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