普段野球には、まったく興味がない親父でも、母校の12年ぶりの出場とあって黙ってられない。
創価高校が甲子園に初出場したのはもう何年前だろうか。
親父は高校3年のとき、寮に入っていた(今は創価中学になってしまった場所)。同じ部屋に硬式野球部のヤツがいた関係で、2学期の定期テストのとき、野球部の後輩が物理を習いに来た(部屋に理系は親父だけ)。キャッチャーのO君は中学のときから知っていたが、背が大きくがっちりしてそれでいて無口なピッチャーは知らなかった。
翌年、創価は甲子園初出場を決めるのだが、「左の本格派」と騒がれていたのが後に近鉄に入る小野君だった。彼は忘れているだろうけど、小野君に物理を教えたのは未だに自慢である。
その年は、1回戦であっさり京都代表の東山高校(仏教対決と言われた)に負けた。
94・95年は大木君という技巧派ピッチャーを擁して2年連続で出場している(もう一回はあんまり覚えていない)。
94年はお盆に応援に行ったが、とにかく暑い年で、確か快晴だった甲子園は死ぬほど暑かった。
1時ぐらいから始まるもっとも暑い時間で、日陰になる内野スタンドでの観戦だったが、それでもじっとしていても絞れるぐらいの汗をかいた。
この試合も、残念ながら、盛り上がることなく負けてしまう。相手のピッチャー(後にオリックスに入る紀勢?)の調子が良すぎた。
以上のように、親父はまだ1度も勝って、校歌を歌っていない。
校歌(昔の寮歌)は、在学中は強い思い入れがあったわけではない(それでも行事のときとかは、力込めて歌っていたんだけど)。卒業から20年以上経って今は特別な歌になっている。なぜか歌うと、玉川上水沿いの「哲学者の径」と獅子の像を思い出す。
ところで、甲子園で校歌歌うときは、1番・5番でしょうか?
過去の創価は、良いピッチャーで勝っていくパターンが多かった。
予選の結果を見てみると、今年はバッティングのチームみたいだ(1年の大島君とか良いね)。
今まであんまり得点が入ったのを見てないので、甲子園で打ちまくる姿を見てみたい。
親父
