トミーのブログ

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長野県に住んでいる仕事人です。とりあえず小さな頃の想い出を細々と書き綴っていきます。

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≪前回からの続き≫




ある日、アルバイトスタッフから、「スロットの台の中に違う店のコインが大量に入ってたんですけど、これはなんですかね?」という報告があった。

何か嫌な予感がしたので、「念のために、他の台も全部チェックしてくれ!」


通常、パチンコ店というのは、大抵その店の名前の入ったオリジナルのパチンコ玉やスロットコインを使っているもの。

だから、その店で出した玉やコインは、その店で交換しなければいけない、というのがルールとなっている。

基本、どの店舗も、パチンコ玉やスロットコインを、その店舗から持ち出したり、他店から持ち込んだりする行為は禁止となっている。

と、いうのも、お店によって『換金率』と呼ばれる交換時の基準が違う。

貸玉料金は、パチンコ玉が1玉4円、スロットのコインは1枚20円。これが法律で決められており、どの店も一緒。

逆に、交換率は、最高で『等価交換』、スロットで言えば、別称:5枚交換と呼ばれ、これは交換時に5枚で100円になる、という意味。

つまり、1枚20円で貸したコインを、交換時には同価格の1枚20円で買い戻す、ということ。

他にも、6枚交換、7枚交換という店もある。6枚交換の場合、1枚あたりの交換金額が16.666・・・円、7枚交換の場合は14.285・・・円と、借りた時に比べてマイナス計算になるが、その分、等価交換の店よりも出やすく設定されており、枚数が稼げる計算となっている。

なので、低交換率のお店で出したコインを、等価交換の店で使われちゃ、たまったもんじゃない。


以上、パチンコ店経営講座、今日はここまで!




その後、アルバイトに指示を出して調べさせた結果、店の全スロット台の中から計1000枚近くの他店コインが発見された。



やられた、と思った。

俺は事務所に戻り防犯カメラを巻き戻しチェックした。

すると、その途中で、違和感を覚える、明らかに挙動不審な男に目が留まった。

この男は、周りをキョロキョロしながら、一番端の台から順々に、少し打っては隣の台に、また少し打って隣へ、という動作を繰り返していた。

もちろん、コインを買っている動作はない。


犯人はこいつか・・・


そう思っていると、反対側にも同じ動作をしているもう1人の男がいた。

ん?こいつもか?


その数分後、この2人が隣同士になった時、事件が起きた。

どこからともなく4人の男が姿を現し、ある1台のスロット代を囲んだ。

1人を除いた5人が台の周りに立ち、壁の役目をしている。

次の瞬間、台の扉が開き、1人が何かゴソゴソと作業をしている。

この時間、わずか15秒ほど。

そう、ゴト師と呼ばれる集団だった。


『ゴト師』とは、パチンコ台やスロット台に、通常ついている正当な純正ROMを、違法にプログラミングされたROMに交換し、必要以上にパチンコ玉やコインを出して、根こそぎ持っていってしまう集団。この集団によって、閉店に追い込まれる店もあるほどだ。


俺は、すぐホールに戻り、この台で打っているお客を即やめさせ、台の電源をOFFにした。

この台で打っていたお客は、もしかしたら仲間かもしれないが、先ほどの防犯カメラに映っていた集団の男たちにはいない顔だったので、そのまま帰した。

罪のないお客を尋問すると、後々面倒な事になる。

現行犯でない限りは何もできない。



まさか、うちの店がやられるとは・・・




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




パチンコ屋でアルバイトを始めて、半年が過ぎようとしていた。

ここまで必死で努力し、勉強し、人がやりたがらない作業を積極的にやってきた。

この頑張りが支店長の目に留まったのか、「社員にならないか?」という声をいただいた。

これ以上ない喜びだった。

「本当ですか?是非、お願いします!」

「スタートがスタートだから、かなり厳しい道になると思うけど、本当にやれるか?」

「頑張ります!よろしくお願いします!」


そんなこんなで、俺は社員になった。

正確には『社員見込』からのスタートだが・・・。

支店長が言った「スタートがスタートだから・・・」と言ってたのはこの事だった。

通常、新入社員で入ると、『研修生』からスタートし、その後、『班長』→『副主任』→『主任』→『支店長代理』→『副店長』→『支店長』、という順番で出世していく。

だが、俺はそのロードより2つほど工程が多い、『社員見込』→『一般社員』→『研修生』→(あとは一緒)、という道をこれから歩んでいくこととなる。

そして、それ以前に、今のパチンコ業界というのは、基本、大卒しか採用しないもの。

だから、大学を避けて通ってきてしまった俺は、本来、社員にはなれないはずだったのだ。

周りの社員の数倍の努力をしないと生き残れない。

俺は、そんな道をあえて選んだ。




時は流れ、あれから2年が経過していた。

俺は、周りのスタッフから「主任」と呼ばれていた。

そう、俺はこの2年の間に主任に昇格していた。

大卒ではない人間が『主任』という立場にいる以前に、同時期に入社した大卒の社員と比較しても異例の昇進の早さだった。

その大卒の社員は、まだ『班長』と呼ばれていた。


俺は絶対に負けない!負けてたまるか!


そんな思いで毎日を過ごしている。


だが、そんな俺をよく思っていない人間もいる。

俺は、アルバイトからの人望は非常に厚かった。(と、自分では思っている)

逆に、俺以外の支店長を除く社員からの反発はびっくりするほど強かった。

そう、俺の敵は、この社員たちだった。


この状況を察知した支店長は「絶対に負けるなよ!そして、アルバイトたちの心を絶対に離すな!この世界は出世したもん勝ちだからな!」



それから2年後、俺は『副店長』にまで登りつめていた。



そして、その後、副店長として3年ほど経過した頃、事件が起きた・・・。




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




なんとかすべり込みで就職先が決まった。

M下電器グループの子会社だった。

だが、問題がひとつ。

募集要項でも、一次面接・二次面接でも、『営業』ということで話を進めた筈なのだが、いざ入社してみると、配属先は全く違う部署だった。

「システム制御課」といって、東京都内を走るバスのシステムを一気に担う部署だった。

ひとつ断っておくが、俺は昔から理科系の分野(化学・生物・物理・地学)が大の苦手であった。

だから高校時代も文系を選択していた。数学は大好きだったんだけどね。

小学校の時に珠算をやっていたせいもあるのだろうか?

ちなみに、俺は小学校5年生で珠算検定初段を取得、当時は“神童”と呼ばれたもんだ。


話を戻そう。

そんな、理科全般が全くだめな俺にこの部署は絶対無茶だ。

それでも、なんとか騙し騙し、やってきたのだが、入社1年目の年明けに事件が起きた。

ある時、東京都のバスシステムの本部にある制御盤を交換する、という作業で、基盤をショートさせ、全停留所を30分程度システム停止させてしまった。

もちろん、バス会社は、クレーム電話が鳴りっぱなし。


会社に戻ってからも、「学校で何を学んできたんだ!」

「いえ、専門分野は何ひとつ勉強していません」

「じゃあどうして、この部署を希望したんだ!」

「いえ、希望していません、営業希望でしたので」

「そんなはずはない!この会社の新入社員は、必ず希望部署に配属されるはずだ!」

「そう言われましても事実なんです!」


こんなやり取りがしばらく続き、結局、この2ヶ月後に、責任を問われ退職する事となる。


退職後は、行く宛てもなかったので、一旦地元の福島県に戻り、アルバイト生活でつないでいた。

昼間はガソリンスタンド、夜はコンビニエンスストア。


その後、2年近く経過した頃、学生時代の友達から、「知り合いの新聞店が人手不足で困っているんだって、引越代は全部持ってくれるって言ってるから、戻ってこない?この仕事は素人じゃないんだし」との連絡があり、神奈川県の横浜市へ戻ることになった。


その日から、新聞配達員としての生活が始まった。


だが、1年半ほど過ぎた頃、この新聞店は業績不振により、店舗を閉鎖することとなる。


その閉店後、時給が良かった事もあって、パチンコ屋でアルバイトを始めた。

このパチンコ屋との出会いが、俺の人生を大きく変えるターニングポイントとなる。




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




楽しかった学校生活も、終わりを迎えようとしていた。

周りも俺も就職先が決まり、あとは卒業を待つばかり、といった頃、俺の元へ就職先から書類一式が届いた。


『必要書類を揃え、記入・捺印の上、送り返してください』との事。


当時、俺が内定していた会社は、低年齢(3~5歳)の子供のおもちゃを扱う小さな会社。

そこで企画と営業をする事になっていた。

事業内容にしても、取り扱っている商品にしても、とても興味があり、是非やってみたい仕事であった。

その会社から依頼された提出書類には、「入社誓約書」や「卒業証明書」の他に「身元保証書」があった。

その「身元保証書」の記入例には、「二親等以内の身内」というのが条件になっていたが、俺にはこの「二親等以内の身内」がいない。

内定している会社の人事担当者に連絡し、この状況を説明した。

しかし、返ってきた言葉は「身元を保証できる身内の方がいらっしゃらないのであれば、今回の内定は取り消しという事になりますが宜しいですか?」

宜しいも何も、いないものはいないんだよ!

人事担当者に結構食い下がってみたが、返事は変わらなかった。


「分かりました、辞退させていただきます・・・」


俺の就職活動が、振り出しに戻った。


ここまで書いてきた話は、この時だけじゃなく、この先数十年にわたって、何かあるごとに俺に付きまとう忌わしい出来事だ。


就職するにも、部屋を借りるにも、必ずこの「保証人」が必要になる。


俺は、働きたい会社で働けない運命。

俺は、住みたい部屋には住めない運命。


本当にうんざりする!


仕事を探す時は、この「保証人」の規定が比較的あまい会社を選び、部屋を借りる時は、「保証人」がなくても借りられる物件を選ぶ。

もしくは、会社が社員寮を持っている所か、住み込みで働けるところを探すか。

でも、社員寮って、1年か2年経過したら退寮しなくてはいけないんだよね。


まぁ、保証人の規定にあまい会社、保証人なしでも借りられる物件っていうのは大抵、世間の標準を下回るようなものしかない。

過去に、保証人がどうしても必要な時があって、その時は、金銭契約を結んで保証人を変わりにやってくれる闇のビジネスがあって、そこで15万円を払って保証人になってもらった事が一度ある。

だが、こんな無駄なお金を払ってまで二度とこんな事はしたくない。


数年前、海外の生活が長い知人に話を聞いた事があるのだが、海外では、よっぽどの事がない限り、就職するのにも、部屋を借りるのにも、保証人は全く必要ないらしい。


海外か・・・



いったい俺の人生、どうなっていくんだろうか・・・




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




2年間の学校生活は、とてつもなく楽しかった。

いい仲間に恵まれたようだ。

週に1回あるファミレスのバイトの休みの日は、仲間たちと遊びまくった。

と、いうのも、高校時代はアルバイトに追われ、遊ぶヒマなど全くなかった。

なので、高校を卒業してからの毎日、見るもの全て、一つ一つが新鮮だった。


ファミレスのバイトが休みの日は、学校が終わっていったん別れ、俺が夕刊を配り終わる頃に再度集合し、ご飯を兼ねて居酒屋で時間をつぶす。

その後、勢いで、俺の朝刊配達が始まるまでカラオケに行くのがいつものルートだった。

カラオケでは、とにかく歌いまくった。

たまの休みくらい体を休めてゆっくりすればいいのに、若さってすばらしい!


カラオケといえば、ちょうどこの時期、日本中がカラオケブームの真っ只中で、数分歩けば必ずカラオケボックスがあるくらい、あらゆる所にカラオケ店がとにかく多かった。

だから、カラオケのハシゴ、なんていうのもしょっちゅうあった。


仲間の半分以上は、藤沢市近辺に住んでいたために、藤沢まで遊びに行くことも結構あった。

それも、移動は新聞配達で使っていた“スーパーカブ”をかっとばして1時間くらいかかったかな?

夏は辻堂の海岸で花火もやった。


いろんな事があったが、この2年間は人生で一番楽しく、充実し、好き勝手にやらせてもらった2年間だったと言ってもいい。

仲間たちが、俺の置かれている状況、そして立場、これまでの生い立ちを隅々まで理解してくれ、気を遣ってくれた。

家で鍋をやったりする時も、「もうすぐ配達の時間でしょ?時間になったら起こしてあげるからちょっと眠りなよ」

非常にありがたかった。



20歳を迎え、年明けに成人式を迎えた。

俺は配達があるのもあったし、住民票を相模原市に異動していたこともあって、相模原市で成人式に出席した。

小田急線の相模大野駅のすぐ傍にあった、かなり大きなホールを使っての成人式。

成人式というのは、大抵、その土地に縁のある芸能人とかがゲストで来るものだ。

あの時のゲストは『田村英里子』だった。知ってるかな?

アメリカのテレビドラマ『HEROES』にも出てたな。

同年代の方は、懐かしんでください。


その田村英里子がゲストで来て、デビュー曲の“ロコモーション・ドリーム”を歌ってた記憶がある。

ってか、田村英里子がゲストって、あんたも成人式だろ!って、みんなでつっこんでたな。

相模原、全然関係ないし。

だって、田村英里子は俺と同級生だし。

歌ってる場合じゃねぇだろ!


なんてな・・・




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




学校にも通い始め、新聞の配達も始まった。

一日の流れとしては、朝は2:30に販売店に行き、その日入れるチラシの準備。

そのうち、トラックで新聞の束が届く。

すると、配達員がそれぞれの自分の部数を数え、新聞にチラシを入れていく。

その後、バイクに積んで3:30頃から配達に向かう。

配達が終わるのが、大体6:00。

そして、朝食を食べ、風呂に入り8:00に学校へ向かう。

学校が終わるのが、14:30頃。

戻ってきて、今度は夕刊配達の準備。

15:00から17:30の間で配り終わる。

こんな感じ。

ただ、学校の授業が進んでいくにつれ、授業料のほかに「教材費」とか「資格の受験料」というオプション的な費用が結構かかることに気付く。

「よし、もうひとつアルバイトをしよう」

と、いうわけで、ファミリーレストランで夜アルバイトをする事にした。

そうなると、かなり厳しい拘束時間になる。


・02:30~06:00・・・朝刊配達
・06:00~08:00・・・朝食・学校の準備
・08:00~14:30・・・学校
・14:30~15:00・・・移動
・15:00~17:30・・・夕刊配達
・17:30~18:00・・・移動
・18:00~翌2:00・・・ファミレスのバイト
・02:00~02:30・・・移動
・02:30~06:00・・・朝刊配達


このような生活が、週6日のペースであった。

もちろん、日曜日は学校が休みになるし、平日のどこかでファミレスのバイトが休みになるので若干の相違はあるが・・・。

この時間のシフトを見てお気づきだろうか?

寝る時間がない。

そう、当時の俺には夜に寝る時間がなかった。

完全なる24時間拘束だ。

ジャック・バウアーよりも前に実行されている。

『24』の主人公は、俺にするべきではなかったのか?

「くそ―――――――っ!!!、でも、今さら騒いだところで、全く意味がないことを・・・本当にすまないと思う!」
(『24』参照)



えぇっと・・・話を戻そう。

とはいえ、24時間一睡もせずにいれば、どんな人間だって倒れてしまう。

それじゃ、いつ寝るか?

“今でしょ!”(失笑)

いやいやいやいや、当時の俺は、学校で寝ていた。

いやぁ、申し訳ない!

我慢できる時は起きていたが、あまりも睡魔が襲ってきている時は、授業中でも休み時間でも寝てしまっていた。

しょうがないでしょ・・・。



今思えば、あの時、4年制の学校を選んでなくてよかったと・・・心から思う。




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




3月の中旬にもなって、短大や専門学校を探し始めるのもどうかと思うが、実際の所、あるのだろうか・・・。

さすがに短大は、受験日程が全て終了しており、残っていなかった。

専門学校はどうだ?

時期が時期だけに、申し込みが終了している所ばかりだが、そんな中、唯一まだ募集していた所を見つけて即、願書を送付した。

東京都の町田市にある専門学校に決めた。情報処理・経理系の学校だ。

その後、奨学生としてお世話になる新聞社にも連絡して、配属店を決めてもらった。

神奈川県の相模原市の販売店になった。

新しい住居はどんな所なんだろうか。あまりにもギリギリに決めたので、新居の下見ができずに引越しをする羽目になった。

そもそも、新聞販売店の社員寮なのでそんなに広くはないだろう、最悪は相部屋も覚悟しておいたほうがいいかな、なんていう思いでいた。


福島県から東北新幹線→山手線→小田急線と乗り継ぎ、降り立った『東林間駅』。

学校がある町田駅から数えて、小田急線で2つめの駅だ。

駅を降りてすぐの場所にある新聞店に行き、挨拶をした。

「お世話になります、宜しくお願いします」

「慣れるまで大変だろうけど、頑張ってな!とりあえず部屋に行こうか」

販売店から徒歩で15分ほどの場所にあるアパートだった。

徒歩だと遠く感じるが、今後は、販売店のスーパーカブ(ギア付きの原付バイク)を自由に使っていいとの事で、それだと5分もかからない距離だ。

外観は意外ときれい。中に入ってみてビックリ!

風呂・トイレ別、8畳の和室と8畳相当のダイニングキッチンの1DKの部屋だった。

いい意味で予想を裏切られる、一人で生活するにはもったいないほどの部屋だった。

「荷物はいつ届くのかな?」

「布団が今日の午後に届きます」

「残りの荷物は?」

「ありません、これだけです」

「少ないんだね」

「ちょっといろいろあって、これだけなんです」


元々、あの火事で燃えてしまった為に、タンスや収納棚、衣類なんかもほとんど残っておらず、必要最低限の物しかなかった。

福島を出てくるときに持ってきた物と言えば、大きめのボストンバッグに着替えとかの身の回りの物を入れ、BOOWYとPRINCESS PRINNCESSと渡辺美里のCDが数枚とラジカセだけだった。

「疲れてるだろうから明日はゆっくり体を休めて、あさってから仕事に入ってもらおうかな」

「わかりました、何時に行けばいいですか?」

「とりあえず10時ね」



俺の新しい生活が始まった。




≪続く・・・≫


≪前回からの続き≫




高校3年 冬

同級生たちをはじめ、周りは完全に受験シーズンモードに突入していた。

「受験生には盆も正月もない」とか、「受験生の前で“スベる”とか“落ちる”とか言っちゃいけない」とか言われるが、当の本人たちは言うほど気にはしてないもんだ。


新年を迎えたが、この時期になっても、俺は進路を決めかねていた。

さすがに、いまさら就職は間に合わないので、大学へ行くか、専門学校か、短期大学か。

いずれにせよ、受験勉強は続けなければならない。

国立大学も視野に入れ、センター試験を受験することにした。

このセンター試験、前年までは「共通一次試験」と呼ばれていたが、俺たちの代から「大学入試センター試験」へと名称が変更になった。

俺は、国立大学を含め、5大学を受験することとした。

国立大は地元のF島大学(距離は結構離れているが・・・)、Y浜国立大学、私立大はH政大学、K奈川大学、あとは念のためのスベリ止めの大学。

受験料は、一校30,000円、5校を受けると合計150,000円。

バカにならないよね・・・。


F島大学以外は、受験日が近い大学を選んだ。そして、自分で安いホテルを取り、そこを拠点に受験大学へと向かう。そんなに長期間の滞在はできないし、交通費ももったいないので。


数週間後、受験結果が届く。

一番最初に結果が出たのが、スベリ止めとして受けた大学だった。

ビックリ、なんと不合格!

ちょっとナメてた部分があったのだろうか?。

その他の大学からも、次々と結果が届いた。

結果から言えば、4勝1敗。

スベリ止めの大学以外は全て合格、というなんとも言えない結果となった。

ここでも迷いが生じる。

大学・短大・専門学校、どの選択肢を選んだにせよ、入学金は即金で払えないので「新聞配達奨学生」として通うことを決めていた。

大学を選べば4年間、それ以外なら2年間(留年したらまた話は別だが・・・)新聞配達し続けなければならない。

途中で挫折すれば、全額返金するのが規則だ。そんなことはできない。

俺は、この時点で、新聞配達を4年間続ける自身がなかったので、大学進学は諦める決断をした。




3月に入り、卒業式を迎えた。

教室に入ると、誰がどこの大学に行くとか、どこに引っ越すとか、そんな話題で盛り上がっていた。

仲のいい友人にも同様の事を聞かれた。

「おいおい、どうだった?」

俺は、友人たちに変に気を遣わせても悪いと思ったので、「いやぁ、ダメだったわ、全滅だったよ」と嘘をつき、その場を凌いだ。



無事に高校は卒業できた。

さぁ、問題はこれからだ・・・




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




「お前ら、今何時だ!」

「遅くなってすみません」

「今が何時かって聞いてるんだ!」

「6時です」

「6時までに戻ってくるように、って言わなかったか!」

「すみません、ギリギリでした」

「ギリギリだ?、6時“まで”っていうのは、6時はアウトなんだよ!」

「そ、そんな!」

「お前ら全員、夕食が終わっても部屋に帰らずその場に残れ!いいな!」

「はい・・・」



他のみんなは楽しそうに、そして美味しそうに夕食を食べていたようだが、少なくとも俺は、夕食の味はほとんど覚えていない。というか、夕食の時間の記憶が全くない。


夕食後、俺たちがその場で待っていると、T先生が現れた。

スターウォーズで使われていた、ダースベイダーのテーマが背後に流れていそうな雰囲気だ。

「お前ら全員一列に並んで正座しろ!」

渋々、俺たちはその場に正座した。

「モタモタするな!シャキッと動け!」

全員が正座したのを見届けると、T先生がゆっくりと歩き始めた。

その手には、表紙が黒く、ぶ厚く、ハンパなく硬い、あの出席簿があった。

T先生は一番端で正座していた俺の前で立ち止まると、持っていた出席簿を、まるでゴルフのスウィングのように真上まで振り上げ、勢いをつけて思いっきり俺の側頭部を殴りつけた。

耳がキーン、としている。

一発で終わりかと思ったら、間髪入れずに反対側も殴られた。

その瞬間、頭がクラッとし、目には星が飛んでいた。

残りの連中も、同じように殴られていた。


今の時代でこんな一件があったら、間違いなく体罰、さらに運が悪ければ裁判沙汰にまでなると思うのだが、当時はこんな事はしょっちゅう、日常茶飯事で起こっている事だった。


T先生は、全員を殴った後、「俺がいいと言うまでそのままでいろ!いいな!」と言い残し、その場を去った。


T先生が去った後、しばらくは誰一人として口を開く者はいなかったが、30分も過ぎた頃に一人、また一人と小声で話し始めた。

「ちょっとやりすぎじゃねぇ?」

「いつまで正座してればいいんだよ!」



夕食後に正座をさせられたのが午後8:00ちょっと前。

その後、T先生が俺たちの前に姿を現したのは、なんと午後11:30を回っていた。

「シュー、コー、シュー、コー(お前ら、もういいぞ!集団行動は時間厳守が鉄則だ!忘れるな!)」

ダースベイダーは意気揚々と去っていった。

が、4時間近くも正座させられていた為、誰もが足の感覚がなく、しばらく立ち上がることはできなかった。


残りの旅行が、テンション落ちまくりでつまらないものになったのは、言うまでもない・・・。




≪続く・・・≫
≪前回からの続き≫




高校2年 秋

こんな俺にも、修学旅行に行くチャンスが与えられた。

“4泊5日 関西・四国方面への旅”

当時はまだ瀬戸大橋が完成したばかりの頃で、橋を渡るのがコースのひとつになったらしい。

香川県では、金比羅山に立ち寄り、あの1000段を超える階段を上らされた。

そして、地元の名物“讃岐うどん”が昼食だった。


日が変わり、場所は京都へと移った。

京都では自由行動となっており、班行動の数名で観光し、夕方6時までに宿に戻ることとなった。

いろいろと見て回り、お土産なんかも購入。


辺りがだんだんと暗くなってきた。

さて、そろそろ宿に戻ろうか、という話になり、宿があるはずの方向へ足を進めた。


・・・・・・


が、いくら歩いても目的地である宿が見えてこない。

移動が、歩きから早歩きになっていた。

完全に迷ったらしい。

時間がない!

タクシーの運転手をつかまえ、宿までの道のりを聞いた。

「この道を真っ直ぐ行ってな、和菓子屋がある6つ目の角を曲がってやな、200mくらいの所にあるで」

「ありがとうございます!」


小走りで移動した。

が、タクシーの運転手の言った通りに来たのに、周りはパチンコ屋とか居酒屋が立ち並んでいる。

どこだ!くそっ!

全然ないじゃないか!

お土産屋のおばさんに再度聞いてみた。

すると「方向が逆やわ、ずいぶん遠くまで来ちゃったみたいやな。ここからだと結構歩くで」

な、なに!

なんてことだ!タクシーの運転手にまったく違う場所を教えられたようだ。

これはまずい・・・。

お土産屋さんのおばさんは、親切にこのあたりの地図をくれた。

地図を頼りに、宿へと急いだ。

その頃には、移動は駆け足になっていた。

6時まで残り時間が10分を切った。

急げ急げ!

通りを歩く人たちをすり抜けながら宿へと急いだ。

気がつけば、みんな全力でダッシュしていた。

すると、視線の先に目的とする宿を発見し、やっと到着した。

「ハァ、ハァ、ハァ・・・」

時計を見ると6時ジャスト!どうやら間に合ったようだ。


みんな息を切らしたまま、宿の入り口から中に入った。

するとそこには英語を担当するT先生が仁王立ちで立っていた。

T先生というのは、ほぼ全員の生徒たちから恐れられており、中には元暴力団員だったとか、バックに組織がついているとか言う奴もいるほど。

そのT先生が鬼の形相で、目の前に立ちはだかっていた。




≪続く・・・≫