先日、小学3年生時代の担任だったU先生と電話でお話した。

ずっとネットで検索して探していても行方が分からなかったが、今般、ようやく先生の電話番号が分かったのである(既にご退職されてました)。

 

U先生は当時先生になったばかりで私のような問題児に手を焼きつつも、温かい目でいつも見守ってくれているような女性教師。

当時の私は、落ち着きがないと言われていたが(今でも言われている…)、そのレベルは現在ではおそらく多動性障害(ADHD)と病名がつくレベルであった。

 

例えば授業を座って聞いておられず、教室の後ろにあったロッカーの上に座って聞いたりとにかく(興味の無い物事に対して)集中力が決定的に欠けていた(今もそうだけど…)。

 

小学4年生になったある日、下りの坂道から猛スピードで自転車で降りていた私は2トントラックに正面衝突して救急搬送、入院した(この際トラックのフロントガラスが割れたようなので強い衝撃があったと推測される)。この間、当然ながら学校を休んでいた。

そんな時、U先生は既に担任ではなかったが、何度もお見舞いに来て励ましてくれた。

 

退院後も片足が曲がったままで医者からは「生涯歩行はできない」との宣告をされていた。必死のリハビリの結果、医者の判断を裏切って、歩けるようになり走れるようになり、そして6年生の小学校最後の運動会。

個人競争の種目では、ゴール前でライバルの転校生と1位を競っていた。

その時、運動会の放送を担当していたU先生が「〇〇君(私の名前)頑張れ!!」と絶叫。

その応援の声に力を得て見事に1位となった。

 

先生の電話では当時その運動会で「特定の生徒を応援して叱られた」と言っていたがそれは当然であろう(笑)

 

でも、この時の先生の声援がとても嬉しく今でもはっきりと記憶に残っている。

 

今度帰省した際には先生に会いに行く予定。

あの問題児が(立派ではないけど)筋肉ムキムキのおやじに成長した姿をみせつつ、食事でもご馳走してあげたい。