木原俊男(ヨットデザイナー)講演会 | す~でらトーク

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豪華帆船 SUPER DELUXE号のキャプテンが、海や街を航海するおはなし。                  写真は的矢湾

10月15日

ヨットデザイナー木原俊男氏の

歴史的な講演会が開催されました。

(大橋且典氏主催・ヨットの科学)

 

 

木原俊男

今の若きヨットマンには

知る人も少なくなりましたが

1970~1990頃

日本のヨット界でのビッグネーム

「木原デザイン艇の進水は

累計200艇~300艇未満

だそうです」

木原先生曰く、

もう忘れたわ~

 

 

ここでまず

木原先生の歴史を

ざっと語りますと

 

まだ日本のヨット界に

レーシングヨットが普及してない頃

海外ではすでにレースをするための

俊足艇なるジャンルがあった。

興味を抱いたものの日本には

そんなヨットは無く

一路、イギリスに行こうと決心

大学を卒業したのち

なんと、シベリア鉄道に乗り

イギリスのワイト島近くの

カウズに渡りました。

とにかくあてもなく

先の事は何にもわからん

ただ

マリーナに行けば、何とかなるだろう

という志だけで。。。

 

もう凄い度胸です

 

マリーナに着き、予定通りヨットに

乗せてもらう日々を過ごし

ビル・グリーン

ロン・ホランド

ダグ・ピーターソン

と出会いヨットを学ぶ

もう、この時点で知り合った

当時、ヨット界をリードしていた

方々との

出会いが凄いですね。

 

それでも木原氏の

冒険は続いたようです

イギリスからアメリカに回航する

ヨットに乗る機会を得て

アメリカに渡る

(この行動も予定外 エイヤーの旅)

アメリカはニューヨークに渡り

そこでもマリーナ暮らし

 

当時のビザに当たる

グリーンカードが無く

滞在できないところを

ソニーの盛田氏の協力を得て

滞在許可を得る

こうして当時世界1のヨットデザイン会社

S&Sに正式にヨットデザイナーとして入社

数々のレースで経験を増し

セイルの神様 ロウエル・ノース氏や

当時のヨット関連のプロと出会う

その後、帰国し三重県伊勢市に

なかよし造船を起業する

 

そして、日本が誇るレース艇の

名艇が生まれる

 

月光

 

 

コ・テルテル2

その他

なかよし295

ハイグレース30・33

アリカシリーズ

などを手掛けました。

 

当時の木原氏

(若い!!)

この頃、私は木原先生と知り合い

図面の美しさに魅了されてしまったのでした

 

 

(左)大橋さんと木原さん

(大橋さんも日本ヨット界における

ビッグネームのお一人です)

 

 

講演の後

さんしんを披露する

木原先生(芸達者なのでもあります)

 

 

木原先生を囲み一杯

 

 

小生(左)と木原先生の一枚

 

37年前の小生(左)

と木原先生

(シーボニアで)

 

とにもかくにも

木原マニアの私には

非常に嬉しい一日でした。

 

このような会を開いてくださった

大橋先生に感謝です