地震や津波のことを含む表現です。
嫌なひとはブラウザバックで。
センシティヴな内容に対して、個人的な見解も多いですし、
今回、リブログ・コメントの公開はご容赦ください。
記事は下です。
コロナ禍で、2度目のこの日がきた。
あの日、
たくさんの命を奪った、あの黒い津波。
その映像をヘリコプターから撮影した報道カメラマンを
とりあげた、ネット上の記事を読んだ。
他のヘリは仙台空港で津波に呑まれ、
空撮で生中継できたのは彼一人だったそうだ。
あまりに衝撃的な映像だったが、
あの生中継のおかげで、いちはやくサポートにつながり、
実際、助かった命も多かったはずである。
彼はその後、
世紀の大スクープとして、いくつも賞を受けたが、
「自分は、一番安全なところであの映像を撮ってしまった」
ということに苦しみ、報道カメラマンを辞めたそうだ。
現在は、「観た人に何かを感じてもらえるように」
福島でアーティストになって、表現活動をされている。
今も葛藤し続けながら。
あの日、あの空撮で地震の模様をみて、
犠牲はもちろん大きかったけど、世の人たち(特にメディアの人)
の意識は、確実に大きく変化したと思う。
それだけ、圧倒的なエネルギーを持った映像だった。ひょっとして、世の中はいい方向へ大きくシフトするかも?と、思ったが
残念ながら、
いつの間にか、多くの人々の心は元に戻ってしまった。
恥ずかしながら、自分自身もそういう面が多いし、
甘い観測に期待し過ぎたのかもしれない。と、今は思う。
もう少し時間の針を巻き戻す。
阪神淡路大震災のときに読んだ記事。
震災直後、電気もつかない夜。その人はバスを待ってたそうだ。
真冬のいつ来るかもわからないバス待ちの行列。
多くのモノや心をはぎ取られ、失った人々が、
自分の存在感で周囲を不快にさせないようにただ、佇む。
そんな、静かに並んでいる人たちの表情はみな穏やかで、
月明かりに照らされて並ぶ仏さまのように見えたという。
煩悩の消えた「涅槃・ニルヴァーナ」はこんなところなのだろう。
そう、記事は語っていた。
しかし、少し経つと給水や炊き出し待ちの行列ではいさかい。
そばで凍えているご老人がいても、知らない顔で予備校行のバスを待つ若者。
いつしか人々は自分の欲にしか、興味がなくなっていった。という。
当時の現地の状況ならば、その反応がむしろ正常だと思う。
人が生きていく、この世の活力というのは、
少なからずそういう面があるのかもしれない。
「時にはちょっとだけ、欲を抑える。」
そんなふうに出来ればいいと思う。
自分は悟りの境地などには至らなくていいが、
この「時にはちょっと」にすら葛藤してる自分と向き合ってみる。
