かなり長文です。
ブログ引っ越しにあたり、2回目のリライトです。


 【第一章。センパイと後輩】
2005年7月18日。ノア東京ドーム大会に私はいた。
そのメインエベントを目撃するためだ。


観戦当時は、心身ともに追い込まれた最悪の状態だったが、
「試合を見届けねば。」という気持ちが勝った。

 

 三沢光晴 VS 川田利明

 

足利工大付属高校レスリング部の1年先輩・後輩
それ以来のつきあいの三沢さんと川田さん。
自分も身近に、
同じ学校で、同じサークルの一年先輩がいる。
縁あって、身近にずっといるということは当時の川田選手の
コトバを借りれば「それも運命」ということになるのかもしれない。
彼から強く非難されたり、ひどい個人攻撃をされたこともある。
「裏切られた」という思いから、暗い考えをもつようにもなった。
「なぜ俺ばかり嫌な思いをしているのか?」
と思う自分。自己嫌悪。どろどろとした感情。
”川田選手にもそんな生々しい感情があるんじゃないのか?”
そんな気持ちであの日は、2人の男の生き様・闘いを

観ていたような気がする。

 

 【第二章。孤高の技術】
ホーリーWARと、スパルタンXがドームに流れ、
主役がリングにそろった。試合がはじまる。

 

「どこまでレスラーとしての誇りを持って攻撃ができるか?」
という川田選手のプライドと、
「どれだけ精度の高い受け身をとれるか?」
という三沢社長の覚悟と技術の闘いであったと思う。

 

プロフェッショナルとして、
バリエーションとえげつなさを増していた川田の攻撃。
当時、同様に<プロとして>インリン様と
”ハッスル”していた姿とは、また別の<プロの顔>である。
顔面へのジャンピングハイキックの攻防はすごかった。
蹴りの起動に反応して”ほんの少し=アゴの位置で1cm程
”顔を横にずらして”受け身”をした三沢さん。

それでも、鼓膜が破れたそうだ。
”骨を断たせて肉を切る”
それが、プロレスの極意だと、ある人はいってたけど
まさに、それをリアルファイトでやってしまった三沢社長。

 

そして、かつて三冠戦でみせた”垂直落下式パワーボム”
平川健太郎アナが思わず絶叫する。
 「来たアアアアア!!」
そのときも、三沢さんは首をちょっとだけ曲げて、
神業といえる”受け身”をとっている。

 

対戦相手は思うだろう。
三沢さんにならこの技をやってもいい・・・という”絶対”
ファンは思っていた。
三沢さんなら不死身。どんな技でも受ける。返す。

という”過度の神格化”

 

彼の「孤高の技術」はそれらを生んだ源泉でもあった。

 

 【第三章。負債を支払うため】
”垂直落下式パワーボム”
三沢光晴は、この危険な技を、

そして危険な川田戦をなぜうけたのだろうか?

 

四天王プロレスを別のものに例えたら、
三沢vs小橋はすばらしい”資産”だと思う。
そして、あえていえば、
来てはいけないところに到達してしまった三沢vs川田。
それは、四天王プロレスの”負債”だとおもう。
負債は決してあってはならないものではない。

収支上、必要なものである。
しかし同時に、必ず返済しなくてはいけないものだ。
「四天王プロレスというものの”負債”を支払う。」
「俺たちがはじめたモノの終着点を見る。ケリをつける。」
「俺たちがファンに問いたい。本当にこれを望んで見たいのか」
そんな思いがあの試合を決断させたのではないかと思う。
ひょっとしたら、川田選手もそれを感じていたのかもしれない。

 

川田選手は、
垂直落下式パワーボムを返された後、一瞬動きが止まってしまった。

多分「負債」の返済が完了したのである。

自分の持つ「デンジャラスな技」を全部出し切って、全部返されて
次に何をしていいかわからなくなったのではないだろうか?
”もう、この先をやってはいけない”
”もう、それ以上続けてはいけない”
「最後のさいごで優しさがあるからプロレスなんだ。」
と、対戦相手の三沢社長は、語ったことがある。

 

一見は正反対にみえるふたりが、
G馬場さんから受け継いでいた、プロレス理想の姿なのかもしれない。

 

 【第四章。みんなの求めるモノ】
プロレスは世間を映す鏡である。
当時の世間に目をむけると、
この試合のあった夏には、

あのコイズミ総理の”郵政民営化選挙”があった。
「刺客」という言葉に代表される戦いは、

敵はもちろんのこと、身内さえも完膚なきまでにつぶす、

”殺し合い覚悟の真剣勝負”のような徹底したものだった。
もちろん、

三沢さんのいう「最後のさいごの優しさ」なんてかけらもない。
「聖域なき改革」「いくところまで行く徹底した競争」
そして、「勝者と敗者を完全に差別化する闘い」
あのときのニホンジンはそれを望んでいたんだろうか?
そういうのにあこがれていたんだろうか?
平成が終わろうとしている今は、どうなんだろうか?
「行き過ぎていたんじゃないのか?」
誰かが、その答えを出せたのだろうか?

 

答えが出ぬまま、

その頂点にいた三沢さんがリングで倒れたあの日以来、
四天王がそろうことは永遠になくなった。

 

 【最終章。未完の問題作】
ドームの試合に戻る。
このTV放送はクルーがとてもいい”作品”を

一丸となって創っていると感じた。
なかでも実況担当の平川健太郎アナは絶品。
 終盤のエルボーとキックの打ち合い。
 「眼に焼き付けろ、三沢VS川田を!」
といったあと、実況をやめて”沈黙”することで試合を魅せてしまった。
お見事である。
プロレス愛のある人々の協力によって、

プロレスが再興することをこころから祈る。

 

そして、試合の最後がおとずれる。
川田利明は20発近いエルボーの連打で、
何故か気持ちよさそうに、前のめりに、

緑のマットに沈んでいった。
私自身には「現場でこの試合を見届けたのだ」という

想いだけがあった。
それでよかったと思う。

 

試合前、ガチガチでデンジャラスモードをぶつけるという
オーラを放出しまくっていた川田。
対する三沢さんは「試合後にうまいビールが飲みたい」と語っていた。
これが、永遠に縮まることのない二人の”一学年”の差だろうか?
「俺のほうがはるかにダメージ負ったうえで、

 やさしく、やさしく倒してやるよ。」
ぐらいに、三沢さんは考えていたような気がする。

 

三沢VS川田という”作品”
試合後に川田選手が語ったように二度と「終止符をうてない」
カードになってしまった。
ノア時代の三沢さんの代表的な闘いであるにもかかわらず、
追悼特集でも外されていたこの試合・・・。
勝敗以上に深くて重いテーマをもった、
”未完の問題作”であった。と私は思う。