昨年末、母は自宅で転倒し、大腿骨を骨折して急遽入院した。
もともと癌を患っており通院しながら治療を続けていましたが、骨折により治療が難しくなった。
ちょうどインフルエンザやコロナが流行していた時期で、入院中の面会はほとんどできず、私は毎日のように差し入れを持って病院に通うことしかできなかった。
電話越しに「早く自宅に帰りたい、今すぐ帰れる」と訴える母に、私はただ励ましの言葉をかけ、家では祈り続ける日々。
母は入院中、「自宅に帰る」と繰り返していましたが、「痛い」とか「辛い」といった弱音を吐くことは一度もなかった。
その姿に、母の強さと穏やかさを感じ、私自身も心を支えられていたように思う。
年が明け、食事も細くなりどんどん痩せていく母。
そして1月の末。病状が悪化し、母は個室に移りました。そこではようやく面会と付き添いが許されるようになった。
正直、とても嬉しかった。毎日のように病室に足を運び、姉と交代で夜も付き添った。
看護師さんたちの献身的な看護にも深く感動し、心から感謝した。
静かな病室の夜、母の好きな讃美歌を流し、短い会話を交わし、母が眠っているときには神谷美恵子の『生きがいについて』を読みふけった。
朝を迎えると、外には雪が舞っていて、母はその雪を見て嬉しそうに笑う。いつも父のことを気にかけ、必ず自宅に帰ると強い意志を持ちながら、周囲への思いやりを忘れず、穏やかに過ごしていた。
母と二人きりで過ごしたその静かな時間は、人生で最も豊かで、最も静かで、そして幸せな時間だった。あの病室には、確かに神様が共におられたのだと思う。
個室に移ってから10日後の朝、母は静かに息を引き取った。
その最期のほんの数分前、母はまるで自らの旅立ちの瞬間を悟ったかのように、穏やかな表情で「ありがとう…」「ありがとう…」と二度、繰り返した。
母の最後の「ありがとう」は、単なる別れの言葉ではなかった。
その声を耳にしたとき、私は深く心を揺さぶられた。
――今こそ自分が母に感謝している。
この世に生み出してくれて、育ててくれて、そしてずっと私の味方でいてくれたこと。感謝してもしきれない。
母からの「ありがとう」は、むしろ私が母に伝えたかった言葉であり、母の一生を通して私に与えられた愛そのものの響きだった。
そしてその言葉は、私自身の人生が「生きるに値するものだ」と改めて教えてくれるメッセージとなった。
母の最期の「ありがとう」は、私にとって永遠の問いであり、同時に生きる意味を支える灯火となった。