昨日1月16日は母の命日、33回忌でした。(享年45歳)
亡くなったのはおいらが中学3年の時、高校受験の1ヶ月前でした。
これだけ長い年月が経っているので、悲しい気持ち等の感情は特にございません。
法要は去年の秋、親族で群馬のお寺で行いました。
多分、親族みんなでお寺へお墓参りへ行くってもうないんだろうと思う…。
そういう意味でも節目なんだなと感じます。
法要は去年の秋、親族で群馬のお寺で行いました。
多分、親族みんなでお寺へお墓参りへ行くってもうないんだろうと思う…。
そういう意味でも節目なんだなと感じます。
母39歳の時に子宮頸がんがみつかり、ほどなく子宮全摘出の手術を受けたのが、おいらが小学3年生の時でした。
その後大腸にがんが転移して、大腸がんの摘出と同時に人工肛門になったのが、母40代前半の時。
それでもがんの転移がとまらず、更に一つ人工肛門をつけることを勧められたのですが、母は「こんなのふたつもつけるなら死んだほうがマシ」と言って更なる手術を拒み、闘病生活6年間で病気が徐々に悪化していきました。
女性であの年齢での子宮全摘出や人工肛門はそうとう辛かったであろうと、我が母ながら改めて感じます。
おいらには3歳上の兄がいます。
あの年の1月14日、15日は国公立大学受験の共通一次試験がありました。
兄の共通一次試験が終わった翌日の明け方に息をひきとりました。
危篤状態が2週間以上続いていたから、母は兄の試験日なんてわかってないと思うのですが、それでも兄の試験が終わるまで持ちこたえた母に、執念というかみえない力を感じたの今でも覚えています。
おいらの高校受験はそれから約1ヵ月後でしたが、なんとか無事合格。
逆に兄は不合格で一浪の末に、私大に合格でした。
アンジェラ・アキさんの「手紙 拝啓十五の君へ」じゃないけど、今の自分があの頃の十五の自分に言えることがあるとすれば…。
母が亡くなったあと、おいらまわりから可哀想な目で見られることがあったように感じます。
ありがたいんだけど、母を亡くした可哀想な?父子家庭に、変に気をつかってくれる方少なくなかった。
ありがたいんだけど、母を亡くした可哀想な?父子家庭に、変に気をつかってくれる方少なくなかった。
自分的にはあの状況を受け入れていたんで、まわりが思うほど悲しんだりしてなかったと思う。
ってか、当時それなりに必死だったんで悲しんでるだったら前向けみたいな(笑)
でもね、そういうのも大人になった今だから言える事なのかもと思うわけで。
ってか、当時それなりに必死だったんで悲しんでるだったら前向けみたいな(笑)
でもね、そういうのも大人になった今だから言える事なのかもと思うわけで。
それでもあの頃の自分にかける言葉があるとしたら「甘えんな」なんだと思う(笑)
母と共にいきた15年間とその後の32年間、いろいろ思いを巡らせながらの33回忌の昨日でした。




