ここ数日、ジョンカーペンターの『クリスティーン』のDVDをBGVとして流しっぱなしにしながら深町真理子訳の『クリスティーン』上下巻を読み返しておりました。


このクリスティーンの映画と小説は似ているようで基本的なところからかなり違うというのはよく知られてるし、かなりの長編である小説を映画に分かり易く詰め込むには仕方がないと思います。 しかし映画と小説の両方を見返してみると、こんなとこまで違ってたのか? という部分がけっこうあるんですね。

舞台となるのはスティーヴン・キングではお馴染みのメーン州ではなく映画はカリフォルニア州です。それが小説ではペンシルベニア州リバティービルでカリフォルニアとは西の端と東の端、そしてエピローグでは復活したクリスティーンがLAから東へとまた殺戮を繰り返しながらアメリカを横断しようとしているのを匂わせています。


海外、おそらくアメリカあたりだとクリスティーンマニヤがけっこう存在するようで、本当にフルレストアした赤いプリマスフューリーを所有する人も何人もいるようですが、皆カリフォルニアナンバー『CQB 241』を付けているのは映画の方が好きな人が多いのか? 単に小説にはナンバーについては明記してないからか?
ナンバーもですがやっぱり映画の印象が強いのかそれらのプリマスフューリーは皆2ドアのようで、小説だと4ドアなんですよね? ここには何か意味があるのでしょうか? これはちょっと気になります。
小説との設定や展開の違いのために4ドアを2ドアにしなければならない理由も無さそうだし、もしかしたら撮影のために 25台もレストアして用意するにあたって4ドアは手に入り難かった‥‥というのは無いでしょうね?

実際この 25台の撮影車両を作るのに映画の制作費用約$1千万のうちの2割が使われてると聞きますが、そのために集められた車両の中でフューリーは多くはないらしく基本的に同じボディのベルベディアやサヴォイが多く使われたようですね。
そして今も現存しているのは2台だけとのこと。

まあ、1台の出演車両のためにこんなに予算が割かれた映画もなかなか無いでしょうし実質この映画の主役ともあって、この映画はビカビカに仕上げられたプリマスフューリーが走り回る映像を観て楽しむ映画、それだけでいい気もします。
また一方では映画ではほとんど省かれてしまっている人生の中では一瞬の幼少期から十代の日々や、一人々々の人生の陰影のようなものが端役まで丁寧に描かれているところ、これが私がキングを好きな大きな理由です。
小説のクリスティーンは最後のデニスの言葉、『安らかにお休み、アーニー。おまえを愛しているよ。』これが一番印象深く、これが究極的にはこの物語のテーマなのでは?と思います。