夢にA.B.C-Zの橋本良亮が出てきたことがある。
グループワークで一緒になるんだけど、あまりにも私が橋本としか話さないから気づくとグループ全員が去ってた……。
この時に初めて理解した。
コップンカー(橋本が一般女性ナンパ時に第一声として使用したタイ語)の意味を——。
語学ってこういうことね。
今日はクリスマスプレゼントを買った。
ネットショッピング下手すぎちゃんだから実店舗まで見に来たけど、実店舗ショッピングってやっぱり楽しすぎかも♪
大体の探し物においてそうだけど、検索って自分が知りたいものについて感知できてる範囲でしか探せないのに対して、実店舗とか図書館とか、ある程度カテゴリごとで区切られたうえで人によって揃えられた場所に行くって探し方だと、想定のだいぶ外にある選択肢も見えて楽しいね。
↑ガキ時代に国語の問題で読んだ図書館設置の検索サービスと図書カードの違いについての文章のほぼ受け売り
買い物大好き^^♪
今日NUMBER GIRLの解散ライブらしい。
滅茶苦茶詳しくて超ファンとかじゃないから流石に行かないけど、やっぱりかっこいいね。
結局一番好きなのはこれ。全然順張りだけど恥ずかしくない!かっこいいし。
あとは鉄風とかABSTRACT TRUTHも大好き♪
好きな理由とか好きなところとかを本当に言語化できないの何とかしたいけど、
こればっかりは言語化とか野暮まであるかもね。
それでは、コップンカー。
(訳:最高の道である愛。たとえ、人間の不思議な言葉、天使の不思議な言葉を話しても愛がなければ私は鳴る銅鑼、響くシンバル。たとえ、予言の賜物がありあらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても愛がなければ私は何物でもない。たとえ、全財産を貧しい人に分け与え、たとえ、称賛を受ける為に自分の身を引き渡しても愛がなければ私には何の益にもならない。愛は寛容なもの 慈悲深いものは愛。愛は妬まず高ぶらず誇らない見苦しい振る舞いをせず自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない愛は決して滅び去ることはない。予言の賜物なら廃りもしよう 不思議な言葉ならば止みもしよう 知識ならば無用となりもしよう。我々が知るのは一部分、また予言するのも一部分である故に完全なものが到来するときには部分的なものは廃れさる。私は幼い子供であった時、幼い子供のように語り幼い子供のように考え、幼い子供のように思いを巡らした。ただ、一人前の者になった時、幼い子供のことは止めにした。我々が今見ているのは、ぼんやりと鏡に映っているもの。その時に見るのは顔と顔を合わせてのもの。私が今知っているのは一部分。その時には自分が既に完全に知られているように、私は完全に知るようになる。だから引き続き残るのは信仰、希望、愛、この三つ。このうち最も優れているのは、愛。)