このブログで資格談義をすることがある。
好評かどうかはしらないが、割とアクセスがあったりする。
そういう中で、一部の資格をDISったりする人もいて、それに対する反論めいたものを書いていたりもする。
あんまり、気分がよいというわけではない。
資格をDISる人、というのは、つまりは要するに、努力せずに評価を求める、横着な人のことだ。
己をえらく見せるために、己の実績、研鑽ではなく、他を貶めることによって、それを達成しようとする類のことだ。
要するに、勉強するのは嫌だから、資格取得がいかに無駄であるかを力説して、勉強しない己を正当化するということだ。
言い方を変えると、勉強しない己は、勉強した他人と同じか、それ以上の価値があるのだぞ。
そういう主張なのだ。
※あとで読むと、ちょっと激しい書き方だったか。
※別に資格だけが実力を示す方法だといいたいわけではない。
※実力が真にあるなら、別に資格などをDISる人にはならない。
※そういう認識が私にある、ということだ。
この主張の評価はさておく。
しかし、それに、まともに反論する時点で、なにか、そういう人種の仲間入りをしたような気分になるのも確かだ。
反論が悪いというわけでもない。
なんだろう、こんなことしている場合か。と言うような気分だ。
決して、嬉々として他人批判をしているつもりはない。と思っている。
他人からどう見えるかしらないが。
ただまあ、資格をDISっている、そういう人の主張を読んでいると、どうも己の体験と比較して、非常に乖離したことを、まるで事実であるかのように書いている。
それは、正さねばならないと感じる。
思えば、私がIPAや技術士の試験に挑戦したのも、若造の頃、すごく難しい試験があると。
これに合格したら凄いんだと。
そういう評判にあこがれて受験した。そうでなかったら受験していない。
その結果として得たものは大きい。
事実と異なる主張が、世の中に流布することによって、私が得たようなものを得る、
そういう機会を失う人間がいるとしたら、大変残念なことだ。
だから、反論は必要だろう。と、自分に言い聞かせている。
それがなければ、反論は、意味のないことだ。
仮に、やりこめたところで。私自身に何の得もない。
しかし、世の中には、平気でうそをつける人間がいるのだなあ。
それには驚く。
別のところで、左めいた人の主張を分析する機会があったが、いやあ、うそばかりだ。
資格をDISる人にしても、ああいう左の人にしても、
なんで、平気でうそをつけるのだろう。
そういう心理に、少し、興味をもっている。