季節は春。


3月は、こんなに寒かったかと首を傾げる。

ダウンを着るのは今日が最後かもしれないと思いながら、毎日ダウンを着る。


早くダウンを卒業したい頃合いだが、

冬も最後が嫌いなようで、しぶとく張り付いている。


そんな、まだまだ続きそうな冬気分の3月だけれど、行事ごとはお構いなしに、一定のリズムで刻まれていく。


卒業式、新生活。


そんな言葉から、出会いと別れを連想させる季節になった。

自分は毎年、“別れ”に敏感に反応してしまう。


「最後かもしれない」

そう思うと、ひとつひとつが慎重になる。


少し飛躍して考えると、

明日死んでもいいように生きる、とか。

後悔しないように毎日を大切に、とか。


よく言われることではあるけれど、

この季節だけは、と綺麗事を鵜呑みにして生きてみたりもする。


ただ常々思っているのが、

たぶんそれは、自分の性にはあまり合わないということ。


映画の主人公だって、

事故に遭うまでは毎日を当たり前だと思っているし、タイムスリップしてやっと、死に物狂いで運命を変えようとする。


サボった日も、怠けた日も、

八つ当たりしてしまった日も、全部が事実で。


お世辞にも褒められない日も、

その時の自己ベストだったのだと思う。


タイムスリップしてやり直すというファンタジーがない限り、それは揺るがない事実で、変えられない現実だ。


未来がわかった上でのベストは、自己ベストではない。

それは、いわばチートだ。


そう思うと、映画の主人公の方が少し愚かにも見えてくる。


じゃあ現実に生きる自分たちにできるのは、

地味だけれど、ちゃんと受け止めることなんだと思う。


ああしたら良かった。こうしたら良かった。

そう思う日も、自分を許せない日もたくさんある。


けれどそれは、未来にいる思考だから。


「あの時こうしたら良かった」は、

あの時から見た未来――つまり今の自分の答えを知った上での、逆算でしかない。


結局それは、

結果が見えている方程式に数字を当てはめているようなものだ。


方程式が成立しないのが人生だとしたら、

矛盾を愛することこそが、生きるということなのかもしれない。


それでも、自分の置かれた環境に、少し嫌気がさす日もある。


こうやって言葉にする時間も、

いつまで当たり前に続くのかはわからない。